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20190317(Sun.)beyond the vision

たまに、3ヶ国語で話す夢を見る。
学生時代に1年弱オーストリアに留学していたおかげでドイツ語がなんとなくできて、ルームメイトがドイツ語のできないアメリカ人だったので英語も同じようになんとかなっていって、今では海外旅行にも全く行かないし外国人と接する機会もほとんどないが夢の中では今でもドイツ語と英語を話すことがある。しかも、でたらめを言っているわけじゃなくてきちんと考えて発語している自覚があるからふしぎだ。
留学していたときは現地のシェアハウス的な学生寮の暮らしがめちゃくちゃ嫌でルームメイトとも全然話さなかったのに今になって流暢にしゃべる自分を発見するのはふしぎだ。だけど夢の中であって、現実ではやっぱり話さないので、皮肉とも思える。

演劇か何かのワークショップで、どこかに渡航して、外国人に囲まれていた。
ホテルで同室になった女の子はアメリカ人で名前を思い出せない。
夜に、外に遊びに行こうと他の子たちに誘われたのでわたしは一旦部屋に戻り、その子に鞄か靴かを取ってくれと頼んだ。靴を受け取って何気なくDankeと答えたら変な顔をされたので、慌ててthank youと言い直した。
Ich habe in Graz studiert じゃなくて、I have been to Austria for one year
ドイツ語の方が先に出てくるのはやっぱり留学先の問題だろう。私は今でもドイツ語と英語がごっちゃになって口の手前で言葉が目詰まりを起こす感覚を覚えている。
いいね、私にも本当はその選択肢があって、そっちを選びたかったんだけど。と彼女は言った。選ばなかった理由は教えてくれなかった。

サブリナちゃんと再会した。
サブリナちゃんは留学先で出会った日本語を学ぶ女の子で、わたしよりもひとつかふたつ年下の女の子だ。わたしが留学したときに知り合って、わたしが帰国した翌年に今度はサブリナちゃんが神大に留学して再会して、サブリナちゃんが帰国した年にわたしがまた留学先に行く機会があってまた再会してコーヒーを飲んだ。
それ以来の再会だ。夢の中。
日本人のわたしがドイツ語を話し、オーストリア人のサブリナちゃんが日本語で答えた。
雨が降っていた。
「雨だね」サブリナちゃんが言う。「Ja, regnet」わたしが答える。
Rainy、後ろを歩いていたアメリカ人の男の子が言った。

なぜこんなことが起こるのだろうと、言語を行き来する夢を見るたび考える。というより不思議なのは、夢の中で頭を使って言葉を選んでいる感覚があるということだ。
夢は無意識の産物だというのに夢の中にいて外国語を話すわたしはあまりにも理性的だ。
しかも現世では話さないというのに。

一度目覚めて、二度寝して、次は津波の夢を見た。
海沿いの建物の中にいて地震が起きた。目の前の海を見て誰かか、わたしが叫んだ。津波が来る! 屋上に逃げた。青い水が迫ってくる。
これは、寝る前に『南三陸日記』を読んだからだろうなと思った。東日本大震災で津波にのまれた南三陸町に駐在して現地からのコラムを連載していた朝日新聞の記者さんの本だ。
そこには津波のことは一様に「黒い波」と書かれていた。
だけどわたしの頭は黒い波のことをイメージできなかった。同様に、夢は青い水がざあざあと迫ってくるところで終わり、わたしは波にのまれてはいない。
想像を超越したところにある光景は夢の中だろうと描くことはできない。

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