営みの町がくれたら色めき

パソコンのタブが、どんどんたまって、いつ何の目的で検索したのかわからなくなっている。スマホのタブも同じ。

最初は感動したYoutubeも、今では無表情で眺め続ける。

完全に切り離すことなど、もうできない。スマホも、ネットも。刻々と、時計の針は進む。

明日、一日有給とれって言われたら、特に何をすればいいかわからない。すぐに連絡とれる友人もいない。やることもない。

俺はどこに向かうのだろう。自分の意思で動けない。流されて生きることしかできない。

星野源さんの歌の歌詞が好きだ。

営みの町が暮れたら色めき 風たちは運ぶわ カラスと人々の群れ

意味なんかないさ暮らしがあるだけ ただ腹を空かせて 

君のもとへ帰るんだ

子供のまま、大人になってしまった。

どうして思考が止まっているの?ぼーっとしているとき、つい考えてしまうことはなに?怖いと思うのは何?自分には価値がないと、突き付けられること。

思考をとめることってそんなにいけないこと?みんな誰もが考えないよう目を背けてることはあるでしょう。そのことが苦しみに繋がっているということ。これをなんとかしたい。

善悪の視点を控えれば、本質にたどりつく、と。

今自分の中で

「この考えは良くない」「都合が悪い」「この考えはいい」という基準が邪魔になっているのではないだろうか。

休みの日にデートに出かけたり、友人とテニスをすることが充実してて、

一日中スマホやテレビの前に座っているのは充実していない。

その枠を外してみて、きょう自分は何がしたいか?気になってた人のツイッターをチェックしてみる、でも、もちろんあいつを誘って飲みにいく、でも。いくらでもやりようはある。あるけれど、自分の中の線引きが邪魔をする。



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