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『そして羽音、ひとつ』チラシで描く醜さと美しさ

「マジョリティはどうすれば自分のマジョリティ特権に気が付けるか」というテーマで作品を作ります、と演出家の山口茜さんに聞いた時、正直最初はピンとこなかった。マイノリティは少数者(少数派)。それに対して、マジョリティは多数者(多数派)、という意味はわかる。では、ここで指すのは何においての少数者/多数者のことですか? と僕が聞くと「すべてにおいてです」と茜さんは答えた。

環境に違和感を抱いて社会になじめなかった10代から始まり、自分は「みんな」が選ぶ道を選ばない(100%マイノリティというわけではないけど)どちらかといえば少数者側の人生だと思っていた。でも今の自分を客観的に見てみると、男性で、既婚者で、子どももいて、自分も両親も日本人で、持病もなく、ある程度社会人としてキャリアを重ねてきた39歳で、自分のこれらの属性(?)によって相手の態度が変わったり、見下されたり、不当な扱いを受けることはほぼないと言っていい。今の日本ではバリバリのマジョリティだし、いやこれってあきらかな特権じゃね? と気づいて、愕然とした。自分が履かされていた下駄が見えていなかったのだ。
自分に与えられた特権に気づかないということは、自分の足元にいる、不当な扱いを受けている人の存在や問題にも気づかないということだ。ヘタしたら気づかぬうちに自分の下駄で踏みつけているかもしれないのに。

トリコ・A『そして羽音、ひとつ』という舞台のチラシをデザインさせてもらうことになり、戯曲を何度も読んだ。山岡徳貴子さんの戯曲はめちゃくちゃおもしろいのに、どこか掴みどころがないように感じて、なんとかヒントを掴もうと何度も何度も読んで、10回ほど読んだ頃にやっと、これは見えない存在とされている者の物語だと思った。
痴呆が進み、時が止まり暗く汚れた部屋で佇む老女。「独居老人」「老老介護」「孤独死」みたいな単語は目にしても、日常生活で当事者に出会うことがなければ、無意識マジョリティにとってニュースで目にする事件が自分ごとになることはなく、老女の存在は見えない。社会の周縁でニュースにも流れず消えていく透明人間。

『そして羽音、ひとつ』は、けして明るい物語ではない。でもこの物語には、社会のどん底と呼ばれるような場所で生きる人々の息を吹き返す瞬間が描かれている。この世界で消えてしまいそうな彼女らが「醜い」とされている姿と、息を吹き返す美しさ、両方をチラシでは描くべきだと思った。
そこで、劇中で象徴的に登場するハトのフンを女性の後頭部に重ねた。汚されていく身体、消えていく記憶、社会に埋もれて消えていく存在。そんなネガティブな要素を美しく包み、人々が目をそむけないように。
僕らが知っている「醜さ」は本当に醜いのか? 頭で醜いと思っているだけで、視点が変わり本質に目がいくようになれば、「美しさ」に変わることもあるんじゃないだろうか?

マジョリティがマジョリティ特権に簡単に気づけるとは思えない。僕のように、実際はマジョリティなのに自分はマイノリティだと思っている人のほうが多い可能性もある。山口茜さんと山岡徳貴子さんが掬い上げようとしているこの物語を観ただけで、何かがすぐに変わるわけではないかもしれない。自分が当たり前だと思っていたことが当たり前ではないこと、それに気づくと愕然とするかもしれないけど、世界の見え方は大きく変わる。そうすることで世界は少しずつよくなると信じたい。

トリコ・A『そして羽音、ひとつ』チラシ
デザイン:山口良太
撮影:坂下丈太郎

トリコ・A 演劇公演2023
『そして羽音、ひとつ』
https://stamp-llc.com/stage/haoto/

愛知公演
2023年11月10日(金)~12日(日) 
メニコン シアターAoi 

大阪公演
2023年11月18日(土)~19日(日)
扇町ミュージアムキューブ CUBE01

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