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ル・プティ・シュヴァリエ Le Petit Chevalier 6 Vein Ⅲ

 ホテルを出て、駅の改札を横切ると、閉園した遊園地のように無人だった。思わず立ち止まる。いや、違う。目を凝らすと窓口に駅員はいるし、表通りから見上げる高架ホームにも数人の乗客を確認できた。
 「それにしても」
 いつもの癖で口元に手をやり、閑散としたバス停を見渡しながら、囁いた。
 日中に市街の中心部にある駅周辺に人の気配が乏しいのは不気味だ。
 しばらく敵の気配もない。
 空に浮かぶ銀河だけが荘厳さを際立たせ、昼と夜の区別を曖昧にしていた。静寂を縫って粛々と電車が到着し、宛先不明の駅の構内アナウンスが流れる。虚無感に圧し潰されそうになる。
 
 無性に真砂さんと話したいという気分になった。
 
 次のクダは街はずれの博物館だ。
 宇都宮市内を三キロほど歩くだけで到着できた。
 そこから福島県郡山市のクダへ飛ぶ。教会だった。
 
 郡山駅近くの商店街を歩く。やはりほとんど人がいない。
 シャッターが下りている店。朽ちかけの看板がぶら下がっている。かろうじて「柘榴」という文字が判別できる。
 ここです、とアンリが教えてくれる。
 「裏口から回ってください。裏口は施錠されていません」
 
 「ほんとだ。いつからなんだ」
 ドアを開けると中はかびと土の混じったような匂いがした。
 食べ物? それとも観葉植物? バックヤードから眺める店内はがらんとしていて、匂いの元はわからない。空気が妙にひんやりして心地よかったが、ここから浄土ヶ浜のクダに飛べる。浸っている暇はない。
 迅速にカードを取り出し掲げる。
 
 飛んだのは浄土ヶ浜近くの神社の本殿だった。
 時刻はまだ十五時台だ。
 「ここから歩いて真砂リサの宿泊しているホテルへ向かいます。アメリに推定到着時間を伝えておきました」
 「ありがとう」と、自分の能力に伝え、滑稽な気もしたが、自分とは本来双子のように存在していて、それに気づかなかっただけではないか、という気もするのだった。
 
 ホテルの入り口で真砂さんは出迎えてくれた。
 たぶん、お互いほっとした顔をしていた。
 「駅で会ってからだから、五日ぶりですね」
 「そうだねー。ミト君、よく来てくれたよ」
 弾んだ人の声を聞くのはひさしぶりな気がして、うれしくなった。
 「いえいえ、なんか大昔のことみたいですね」
 「わかる」
 「まさかこんな事態になるとは」
 「そうだよね。無事だった?」
 「ええ、なんとか。真砂さんのほうは無事でしたか?」 
 
 ホテルのバーで話すことにした。
 俺たちは、いや少なくとも俺は、北海道で行う任務の具体的な内容をまだ知らない。

 「私から説明しましょう」
 俺は鶏肉のコンフィと生ハムをシェアしながら、アンリの話に耳を傾けている。真砂さんは鶏肉は少しでいいが生ハムを多めに食べたいと言った。ちょうど俺と逆だ。真砂さんは赤ワインを速いペースで減らしている。
 
 「私たちがこれから行う任務は、北海道の苫小牧市に開いた巨大なクダを閉じることです」
 この兆候が最初に観測されたのはおよそ四十年前。
 当時、北海道各地で多発した神隠し事件。
 それは唯一の上位世界につながるクダが拡大した影響によるものだった。
 こちらの世界から見れば神隠しだが、上位世界ではこちらの世界オブジェクトから人間が生体のまま大挙してくる異常事態として受け止められた。
 製作者は可能な限りのテクネーを投入し、クダの修復を試みた。
 それでも拡大に歯止めをかけることはできなかった。
 
 このままでは上位世界の秩序が崩壊してしまう。
 そこで製作者は北海道のクダに一体のフィギュールを派遣した。
 フィギュールに命じて拡大したクダ周辺に結界を張らせ、番人の役割を担わせたのだ。
 ひとまず事態は収束したかに見えた。
 だが、この番人たるフィギュールを認証したゴーストが曲者だった。
 ゴーストの実体は榊真サカキシンという男。
 榊は上位世界の殺人鬼だった。
 結界の設置にかけては超一流の素質を持っていたため、製作者は苦肉の策としてフィギュールを付与した。
 「磔の庭というのは、北海道の苫小牧市にある朽ちかけた一軒家の中庭です。四十年近く、榊真のゴーストが住んでいます。もちろん、こちらの世界では彼がゴーストであると誰も知りません」
となりに座るアンリを一瞥し、視線を落としてからオレンジフィズを飲む。
 
 「ゴーストは実体の影です。通常、積極的な人格を持ちません。しかし、榊は違いました。所有している邸宅を拠点にして、現在まで五百人以上の人間を殺したのです」
 「フィギュールの能力があれば簡単だよね」
 俺はアンリに向かって言った。
 「そうです。榊は唯一、ターゲットを誘拐するときだけ他人と接点を持ちました」
 続きを真砂さんのとなりに座るアメリが話す。
 「榊は毎回、誘拐した人間を殺す際に、中庭に設置された十字架に磔にして嬲り殺しにします。建物の窓はすべて中庭に面しているので、外から十字架は見えません」
 「処刑場だね。何でそれがバレたのかしら?」
 真砂さんが訊く。
 「榊は証拠隠滅のため、遺体を含むあらゆる物証を上位世界へ通じるクダに流していました。すると上位世界には」
 「死体が次々に届くと。それでこんな世界は終わらせちゃえってなった?」
  俺が冗談半分で訊くと、アメリは半分はその通りです、と答えた。
 「上位世界には独立した法があり、この世界の法には一切干渉しません。しかし、上位世界の秩序を脅かす事態が起これば対処しなければいけません。榊は大量の遺体を流すだけでは飽き足らず、番人の役割を放棄してクダを拡張しようとしたのです。さすがに製作者も看過できなくなり、この世界と上位世界のあいだに裂け目メザニンを入れて榊もろともこの世界を廃棄してしまおうと考えました」
 
 「じゃあその榊は裂け目に飲み込まれたの」
 生ハムを多めに取り分けた皿を真砂さんの近くに置く。
 「いえ、榊はメザニンの影響を受けることなく、現在もクダを拡張しようとしています。そこで上位世界から、榊を排除するために幽玄実行部隊と呼ばれるフィギュールを付与されたゴーストの特殊部隊が派遣されました。結果はといえば……現在も榊が拡張した地下空間で戦闘中です」
 
 「予想以上にカオスな状況になってるねえ」
 アメリはアンリに視線を送り、役割が決まっていたようにアンリが話をまとめる。
 「ここからが本題です。私たちの任務は三つのステップを踏みます。一つは榊を倒すこと。二つ目はこの世界と上位世界のメザニンを塞ぐこと。三つ目はこの世界と上位世界のクダを縮小し、結界を張ることです」
 
 一つ目。
 榊を倒さない限り、裂け目を塞ぐこともクダに結界を張ることもできない。榊が邪魔な点で、俺たちと製作者の利害は一致している。
しかし、製作者が派遣した幽玄実行部隊にとっては俺たちも等しく邪魔者だ。
 二つ目。
 メザニンを塞ぐことは俺たちの目的である。
 だが、俺たちにそんな能力はない。
 明日の朝、浄土ヶ浜に助っ人が到着する予定だ。
 ゴーストの刻印を受けた呪術師。アリという名の陰陽師の末裔。
 裂け目が鬱陶しいのは俺たちも榊も同じ。
 空間系能力のスペシャリストである榊も裂け目を塞ぐことができずにいる。
 三つ目についてはこうだ。
 「私たち反製作者側の任務はさしあたり二番目を遂行できれば完了なのですが、実際にはそれで終わりではありません。メザニンを塞いでもクダが拡大したままなら上位世界は次の手を打つだけです。より過激な手段でこの世界を滅ぼそうとする可能性もあるでしょう。私たちは後始末として、上位世界とつながるクダを縮小し、結界を張る必要があるのです。件の作業ついても呪術師アリの手助けが必要です」
 
 真砂さんの雰囲気が急に変わった。
 険しい表情で、口を堅く閉ざしている。
 「真砂さん、大丈夫?」
 「え?」
 「んん、なんとなく。疲れてるんじゃないですか?」
 「大丈夫だよ」
 そう彼女は表情を少しだけ明るくし取り繕った。
 アンリの話に反応したような気もした。
 「そういえば真砂さんのこと何も知らないですよね」
 包み隠さず思っていたことを言った。
 「うん、そうだね」
 そこで言葉を切る。
 それだけか、と思った。
 真砂さんも俺のことを何も知らないし、知ろうともしない。
 興味がないのだろう。じゃあなぜ俺を誘ったのか。訊きあぐねた。
 最後の晩餐にはしたくないですね、俺がそう言うと真砂さんは笑った。

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