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ル・プティ・シュヴァリエ Le Petit Chevalier 8 Heavy Soul

 磔の庭の地下、それは地下室のことだと思っていた。
 鬱蒼とした樹木と苔が偏在する地下世界。
 空は抜けるような青一色。鳥の鳴き声。
 めくるめく無機物に近づきつつある地上世界とは対照的に、ここは生命の香りが立ち込めていた。
 
 「真砂さん、聞こえましたか? 三十分は努力目標じゃないらしいです」
 「うん」
 「真砂さん、大丈夫ですか?」
 「何が?」
 「いろいろです」
 「大丈夫なのかな、うーん、もうわからなくなってきた」
 ミト君が笑い、私も笑った。
 「この環境で三十分以内」
 「きびしいよね」
 「どうします?」
 「向こうから来てくれるんじゃない? じゃなきゃ三十分なんて言わないよ」
 「あの」
 ミト君が急に真面目な表情になったので私はドキッとした。
 八ッ橋のことがバレたのではないかと思ったのだ。
 「昨日、アンリが任務の詳細を話したとき、真砂さんの雰囲気が変わったと思ったんですよ」
 私は動揺を悟られないように「うん」とだけ言って、ミト君が続けるのを待った。
 「やっぱりプレッシャーに感じてるのかなと」
 ホッとした。
 キミは脳天気だねえ、そう心の中で嘲った。
 「んん、全然」
 「ほんとですか、大丈夫ならいいんですよ。真砂さん、長女ですか?」
 「違うよ、私は一人っ子。母子家庭だったの」
 「へえ、そんなイメージなかったな」
 「お母さんは女手一つで私を大学まで入れてくれたからね。感謝してるよ。たまにクソババアだけど」
 私にとってお母さんはお父さんでもあったな、と思い出した。
 でも最後はお母さんで、クソババアなときはお母さんですらないと思うこともあった。亜空間でそんなことを思い出す自分が不思議だった。
 
 気がつくと私たちは湿った岩に腰かけて話し込んでいた。
 「五十嵐先輩と付き合ってたんですか?」
 「付き合ってないよ」
 「あらら」
 「当時は社会人だったかな、彼氏」
 ああ、前彼、いい男だったなあ、クズだったけど。
 「やばいです、あと二十五分。来ないですね」
 ミト君は何か違うんだよな、顔は悪くないけどね。
 クールぶってるけど、ナルシストぽいというか。
 でもフィギュールがあればもうほかに何もいらないんだ。
 「あの、真砂さん? 駅でどうして俺に」
 「あ」
 
 一瞬、空が隠れた。
 地平線から音速で放たれた直径五十メートルほどの結晶の球をアメリは百メートルほど先まで巨大な剣を伸ばして串刺しにした。
 空に鉱物が粉々に破裂する音が響く。
 傘のような軌道を描き、砕けた結晶の雨が降り注ぐ。
 
 「榊と幽玄実行部隊四人、テリトリーに侵入しました」
 アメリのアナウンス。
 「榊は服装もフィギュールも黒、幽玄実行部隊はゴーストの服装が白でフィギュールは黒以外です」
 「来た」とミト君。
 
 私の視線は森のすきまを縫って、奥の奥、小高い岩の上。
いる。
 白装束の髪を後ろに束ねた女。
 幽玄実行部隊のゴースト。
 この距離は目前にいるのと変わらない。
 「彼女のフィギュールは空間歪曲と遠隔攻撃を組み合わせて頭上から爆弾を降らせます」
 アンリが教えてくれた。
 「ありがとう、助かる」
 私はアンリにお礼を言った。
 ミト君は必ず足手まといになる。でもアンリの分析能力は役に立つ。
白装束に剣を向け焦点を合わせる。
 
 視認した瞬間に狩ればよかった。
 「真砂さん、走りましょう」
 私たちは駆けた。
 空が曇りゲリラ豪雨のように数万発の結晶爆弾が降り注ぐ。走りながらアンリは空に連射し、そのいくらかを削る。私も走りながらアメリの剣を枝分かれさせ空へ向けて伸ばす。地上から約二百メートルの高さで大量の爆弾を   串刺しにする。
 地上まで届く爆風。
 恐怖はない。きっとミト君もそうだ。
 
 すべての爆弾を補足できない
 「ミト君、頭低くして」
 地上に到達して爆発する寸前、アメリの剣を広げて巨大な盾を作る。
 二人は身を屈めて頭上を無数の砕けた岩や大木が飛んでいくのを見た。
 
 アメリの盾は簡易シェルターだ。二人とも無傷だったが、「次の攻撃も上からです」とアンリ。
 朦々と舞う土煙のあいだから琥珀色のフィギュールが現れる。
 五秒間、八十回ほどの攻撃を捌く。
 モーニングスターの頭はアメリの剣で砕けない。硬い。
 アンリが力を溜めて放出する。
 至近距離から巨大な結晶の弾丸。だが容易く弾かれる。
 防戦一方だ。このままじゃ勝てない。
 空がまた暗くなった。爆弾の豪雨が始まる。私がモーニングスターに応戦しているあいだ、アンリは上空に連射し爆弾を削る。
 
 モーニングスターは幽玄実行部隊のフィギュール。仲間の頭上に爆弾は落とさないはず。剣を枝分かれさせモーニングスターをすり抜ける。琥珀色の身体に突き刺す。だが致命傷ではない。
 
 それよりも、突き刺した剣が抜けない。
 結晶爆弾が落下する。退避しなければ。
 モーニングスターは爆発直前で逃れるつもりだ。
 「ミト君、アメリの左手を握って」
 「わかりました」
 ミト君の手を引きながら敵の身体に刺した剣を伸ばして爆弾の射程範囲から逃れた。
 
 「あと二十四分です」
 ミト君はスマートフォンの画面で残り時間を確認する。
 
 二回狩れるチャンスはあった。
 けれどミト君に配慮したスタイルで戦っている限り、簡単に膠着状態は終わらない。制限時間内に狩り尽くすのは困難だ。かといってミト君と離れて行動すればミト君が殺される可能性がある。
 
 ミト君が死ねば八ッ橋との取り引きは無効になる。榊と幽玄実行部隊を殺さなければ裂け目を塞いでクダを縮小することもできず、世界が終わってしまう。常識的に考えれば優先すべきは世界の救済だ。
 「ミト君、キミは後方から支援してくれる? 私から攻める」
 「了解」
 
 狩る。
 アメリとの一体度を高め、体勢を低くする。
 剣は全長八メートルほど、殺りやすい凶悪な形態に整える。
 ほどよく厚く巨大でめっぽう鋭い。
 
 大地を蹴る。
 真砂リサは消えた。
 速すぎて常人にはそう感じる。
 樹海の迷路を静かに移動する。
 
 北東に二百メートル地点の茂みにいた。
 白装束の女、爆弾をありがとう。お礼をどうぞ。
 横一文字にシュッと一振りで樹々の枝葉がなびく風。
 女の首はふっ飛びゴロゴロ地面に転がった。
 目の端で女の身体が消えるのを確認しながら跳躍する。
 
 撃ってきな。
 上空で剣を長大なこん棒の形に変える。
 案の定、直径五十メートル、結晶の巨大な球に狙い撃ちされる。
 壊さないように、優しく飛んできた方向へ打ち返す。
 鈍く低い音が空に響く。
 地上を駆けて球を追う。
 
 結晶の球は地響きをさせて大地にめり込む。土煙で視界が奪われた。
 本体は後回しだ。たぶん生きてる。
 どのみち全員テリトリー内にいるのだ。走れば当たる。私から逃れるのは不可能だ。
 
 「南に二百メートル。目の前です」
 アメリが教えてくれる。
 真正面からカウンターでミサイルのような矢。私は足を止めない。
 ぶつかる寸前で身体を横に逸らして逃れる。
 弓を引くフィギュールと背後の白装束の男をまとめて串刺しにする。
 やっと一体狩った。遅すぎる。
 でもここから、ここから狩りは楽しくなるの。
 冷たい快楽に侵され自分の身体が溶けて消えそうだ。
 「西に五百メートル。幽玄実行部隊のフィギュールです」
 
 私はふいに立ち止まる。西を睨んで悪魔の笑みを浮かべながら剣を伸ばす。
 こんなことは初めてだった。だが一挙手一投足を感じる。
 線上に敵がいて私に近づいてくる。少しずつ。少しずつ。
 「ウアアアアアアアア」
 私は野獣のように叫ぶ。
 一秒にも満たない速さで五百メートル先、樹海に隠された敵へピンポイントで剣を伸ばして突き刺す。手応えありだ。素早く剣を縮める。
 戻ってきたのは串刺しにされた真っ赤なフィギュール。
 はじめまして、さようなら。すぐに消えた。
 「二体目」
 
 もっと、もっと速く。
 三体目、四体目、榊を一秒で速く殺ること、その後のことをもう考えている。
 私は煙草を吸っている。狩りの後の一服。
 もうすべては済んでいる。
 
 幽玄実行部隊は残り二体。
 私が二体狩ったのに気づいてミト君を狙う可能性が高い。
 二体同時に攻撃してくる可能性もゼロじゃない。
 榊は読めない。ここまで気配を感じない。
 
 駆けながら横目で捉えた。いるじゃん。
 さっき鉄球を打ち返した相手か。
 手負いだ。
 腕を振りざまに剣を伸ばしてサッと切る。
 これで三体。
 
 遠くにミト君が見える。よかった、まだ生きている。
 だがミト君の上空が曇った。爆弾の雨が降る。
 爆弾を削ろうとして空に弾丸を撃ちながら走るミト君の腕を掴んで飛んだ。
 二人とも爆風でさらに飛ばされ地面に転がる。
 
 樹木の下で息を切らしながらミト君が顔を上げる。
 「助かりました……真砂さん、無事でしたか?」
 「三体倒した」
 ミト君は絶句していた。
 「白装束の爆弾女が厄介だね」
 「お役に立てなくてすいません。俺は敵を見つけることすらできなかった」
 
 空が曇った。また来る。
 いや、さっきよりも広範囲で、空全体を覆い尽くすような爆弾。
 「ミト君、逃げ」
 そう言いかけたが、ミト君は地面に膝をついて動こうとしない。
 「どうしたの?」
 「左足をやられちゃったみたいです」
 とっさにミト君の手を引いて逃げようとする。
 これは間に合わない。
 盾を作っても耐えきれないかもしれない。
 だが、爆弾の雲は雨となって落ちてくることはなく、やがて消えていった。

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