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ル・プティ・シュヴァリエ Le Petit Chevalier 1 前頭前夜

あらすじ

上位世界から、この世界を救う使命を託された真砂まさごリサは、任務遂行のパートナーに後輩の来栖くるすミトを誘う。授けられた特殊能力、「フィギュール」を駆使し、任務は順調に進むかに見えたが、二人の内に秘めた目的のズレが次第に影を落とし始める。



1 前頭前夜 

 月夜。白い花、これはユリだそうです、そう電話口から真砂さんに教えた。
 
 よかったねと返ってきたけれど、いやあ、猫がいるんでユリは身近に置けないんですよ、と俺は苦笑いした。よかったね、か。三毛猫のおはぎはクッションの上で目を閉じている。
 
 手元の、包装紙で二重に包まれた白いユリの花束。
 包装紙は、内側が半透明のパープル、外側は鮮やかなピンク。垂れ下がったリボンはつややかな深紅。
 
 電話が途切れた。
 そのあいだに、五本のユリのうち一本に指を這わせて、重なり合う花びらを数えてみる。ユリの花びらは六枚に見えるが、実際には三枚で、花びらを支えるガクが花びらに似ているために六枚に見えるらしい。
 
 三日前、最寄り駅の改札で、大学の先輩である真砂リサさんに偶然再会した。同じサークルだったのに、彼女が卒業するまでろくに話したこともなく、関係性は単なる顔見知り。それが突然背後から肩を叩かれ、ミト君じゃん、ひさしぶり、と声をかけられた。
 
 俺が振り向いた瞬間、強い風で真砂さんの顔は鎖骨まである黒髪に隠され、彼女はそれを指先で払って微笑を浮かべた。シックな服装で、少しうるんだ目をしてた。
 「ああ、ええっと」
 顔は覚えているが名前を忘れてしまっていた。
 「おひさしぶりです」
 苦し紛れにそう口にした。
 「ひさしぶりー、元気?」
 「はは、元気ですよ」
 「最後に会ったの二年ぐらい前だよね。あれ何のときだっけ、あたし歳取っちゃったよ、もう二十六、やばいよ」
 「若いじゃないですか、俺もたいした変わらないし。五日後に二十五ですからね」
 「え、ほんと? 誕生日なの?」
 「そうですよ」
 「そっかあ、じゃあミト君住所教えて」
 唐突に訊かれた。
 誕生日プレゼントを郵送したいという。
 俺は戸惑ったし、そんないいですよ、と小さく口にしたが、彼女の好意を無下にしないほうがいいと考え、ええほんとですか、ありがとうございます、と応じた。そこには下心も含まれていたのかもしれない。
 
 彼女は現在、都内のデパートで美容部員として働いているそうだ。俺はフリーのカメラマンをやっていると伝えてから、別れ際に気まずそうに真砂さんの名前を訊いて、その五日後にこうして花束が届いた、というわけだ。
 
 彼女は自分で送った花の名前を知らなかった。俺も花は詳しくなかったので、届いたときに検索して、初めてその名前を知った。
 
 ユリを片手に部屋をウロウロしながら電話している。
 猫にとってユリは猛毒だ。おはぎがユリを口に含むことはないかもしれないが、万が一のことを想像すると神経が張り詰める。いたたまれずベランダに出た。振り向くとおはぎは目を細めてこちらを見ていた。
 
 今夜の月はやけに大きく見える。
 エレベーターで昇って行けそうだ。
 星も都会の空とは思えないほど強烈な光を放ち、踊り狂っている。
 
 ベランダの手すり越しにユリの花束を掲げ、膨張した月を背景にスマートフォンで写真を撮った。すぐに真砂さんに伝え、画像を送信した。
 
 送りました、ほんとに見てほしい、この月、すごくないですか?
 「すごーい、きれいだねー」
 「でしょう? きれいなんだけど、ちょっと不気味ですよね」
 ふいに電話口の向こうの雰囲気が変化した。
 重い扉を閉ざすように、彼女は「うん」と低い声で短く頷いて沈黙してしまった。
 
 どうしたんですか? 真砂さんは答えない。
 しばらく遠くのビルの航空障害灯が赤く点滅するのを眺めていた。
 
 「話があるの」
 彼女は重苦しく沈黙を破る。
 声のトーンから、決して楽しい話ではないだろうと予想した。
 
 悩み相談かな、例えば借金があるとか、だから親しくもなかった俺に急に花束を送ったりしたのかな? だが、そんな邪推は裏切られることになる。
 「花束を見てくれる? 包装紙にメッセージカードが挟まってるでしょ」
 
 気づかなかった。だが、よく見ると包装紙と茎のあいだに小さな封筒が見える。指先でつまんで引っこ抜く。
 「二週間前、ウチで寝てるときにね、朝方気配を感じて目が覚めたの。そしたら真っ暗な壁に真っ白な人影が映ってたの。すごい驚くでしょ? でも動けなくて、金縛りみたいに。そしたら白い影が壁を飛び出して私のほうに近づいてくるの、アニメみたいに。それで私に話しかけてきて、ある言葉を残して消えたの」
 
 話の展開があまりにも予想外だったので、俺はスマートフォンを耳に当てたまま呆然としていた。
 
 「白い影が最後に話した言葉がカードに書いてあるから見てみて」
白いうさぎの形をした封筒を開くと、琥珀色の厚紙で作られたメッセージカードと、厚さ二ミリほどの結晶で作られたカードが入っていた。メッセージカードには四行詩のようなものが書かれている。
 
 八月の狂おしい産声がはるか彼方より響くとき
 星屑を塗られた空の皮膚は砕け散るだろう
 堕ちて砂に埋もれた太陽に涙を滴らせるなら
 磔の庭の地下深く眠る凍てついた火口に残忍な子守歌を
 
 「読んでくれた?」
 「ええ、読みました」
 「どう思う?」
 「ボードレールの詩ぽいかな、わかんないけど」
 「ボードレール、知らない」
 「じゃなきゃ予言みたいですね」
 「驚かないで聞いてほしいんだけど
 「はい」
 「八月に世界は終わるの」
 
 俺は相手に聞こえないくらい小さくため息を吐いた。真砂さんとかかわったことを後悔した。絶対怪しい勧誘だ。もう電話を切りたかった。
 「そうですか」
 今年はどうせ孤独な誕生日だと思っていた。
 多少なりともぬか喜びした自分はみじめだ。
 「世界が終わるって、それ驚きますよ」
 「ミト君に世界の終わりを阻止する手伝いをしてほしいの」
 
 白い影は、真砂さんの枕元で人間の言葉を話した。
 真砂さんは夢うつつで影と会話したそうだ。
 
 「あなたたちはゲームの中にいる。ゲームというのは比喩だ」
 「はい」
 「この世界はコンピュータゲームとは異なる原理で動いている。しかし製作者がいること、スイッチを切れば消えてしまう、という点で似ている」
 「はい」
 「二ヶ月と二十五日前、ゲームのスイッチは切られた」
 「はい」
 「それはちょうど、世界の生命維持装置が外されたようなものだ。世界は猛スピードで衰退している。あらゆる生命体は闇に落下してこの世界を認識できる存在はいなくなる。世界の死だ」
 「はい」
 「私は世界の解体を食い止めるため、上位世界から派遣されたゴーストだ」
 「はい」
 「ゲームの比喩を用いるなら、この世界の内部には、解体を停止させるバグが存在する。バグの作動は、製作者に摘み取られてしまわぬようひっそりと行う必要がある。そのためにあなたが選ばれた」
 「……」
 「とはいえ、あなた一人ですべてを行うのは難しいだろう」
 「……」
 「まず、任務に必要不可欠なカードを渡す。二枚のうち一枚をあなたが使用し、もう一枚をほかの誰かに渡すのだ。カードの表面をなぞり認証されると、秘められた力が解放される」
 「……」
 「最後に、私がこれから話す言葉を書き記しておいてほしい。任務を遂行する際の指針となるから」
 「……はい」
 
 そしてあの四行詩を言い残して、真砂さんに二枚のカードを手渡すと、白い影は闇に溶けて消えた。
 
 「あのー、真砂さんはその使命を受け容れたわけですか?」
 「うん、だって楽しそうじゃん」
 世界が終わるのに楽しいか。
 真砂さんは案外俺と同類なのかもしれない。かりそめの日常を軽蔑しながらやりすごして、地下室でだけ本当の自分になれる社会不適合者。彼女の言っていることがヤバいのは間違いないけれど。
 
 「でも俺は」
 怪しい団体への勧誘の話はまだ出てこない。このカードも売りつけようというのでもなさそうだ。いずれにせよ、面倒なことにならないうちに穏便に断りたかった。
 「ミト君、目が大きいよね」
 「目ですか?」
 「背も高いし」
 「いや、目も大きくないし、背もふつうですよ」
 「金髪も似合ってるし」
 「ありがとうございます」
 「ごめん、無理強いはできないよね」
 「ああいや、ええと」
 「もし手伝ってくれるならだけど、カードの表面を指でなぞって。それだけでいいから」
 「認証、されるとどうなるんですか?」
 「ねえ聞いて、ほんとに、ほんとに驚いたんだけど、超能力が使えるようになるの」
 
 彼女はわざとらしいくらい興奮して話した。
 超能力が使えるようになったのなら無理もない。
 ユリの花束を抱きながら、鈍い光を宿す半透明のカードをスワイプするように下から上へなぞった。何も変わった感じはしない。当然だと思いながら、少し虚しい気持ちになった。
 
 ふいにチャイムが鳴る。時間指定の荷物が届く予定だったのだ。おはぎは怠そうにベッド裏に隠れた。
 
 「すいません、ちょっと荷物来たんで、一回切ってかけ直しますね」
花束を抱えたまま、スマートフォンをベッドの上に放り投げると、「はい」と返事をして玄関ドアを開けた。その瞬間、俺は現れた光景に釘づけになり、寒気が首筋を伝って髪の毛まで這い上がった。
 
 マンションの廊下には、水色の結晶を纏った、身長二メートルはあろう人形が仁王立ちしている。見上げると三白眼の鋭い目。結晶はプロテクターのように変形していて、頭部にはたてがみをいただいていた。無機質なのに、猛獣のような殺気が漏れている。
 俺は慌ててドアを閉めた。
 
 そっとカギをかけ、高まる動揺を抑えながら、ドアスコープを覗く。
 人形の姿はない。どうなってるんだ。額に汗がにじむ。
 
 八月に世界は終わるの。
 超能力が使えるようになるの。
 真砂さんの言葉が頭をよぎった。
 
 とにかく真砂さんに電話だ、そう考え振り向くと、真後ろに人形が立っていた。俺は思わず「うあああ」と声を上げ、その場から動けなくなってしまった。
 
 ただ混乱した頭で人形を観察するしかなかった。これは人間なのか、それともほかの生き物なのか……
 俺は口を開けて何か訴えようとしたが、言葉が出ない。
 すると人形のほうから言葉を発した。
 
 「落ち着いてください」
 その声は抑揚がなく、なめらかだった。
 
 落ち着いてください?
 人形の言葉に、剥き出しの心臓を素手で扱われたような怒りが湧き、反射的に言い返した。
 「あのさ、落ち着けるわけないよね?」
 無表情を崩さない人形へ詰め寄る。
 「落ち着けるわけないでしょ、この状況でさ」
 「仰る通りです。たしかに」
 人形は動揺もなく続ける。
 「驚くのも無理はありませんが、真砂リサから話は聞いていないのですか?」
 「聞いてないよ。とにかく人の家に勝手に入らないでくれるかな」
 「それは無理です」
 人形を真っすぐ見つめて「無理とは?」
 「私は認証を終えたエージェントに付与される能力です。あなたが対話しているのは独立した人格ではなく、あなた自身の能力なのです。私はすでにあなたと一体化しています」
 
 ベッドのスマートフォンが震えた。きっと真砂さんだ。
ちょっと退いてくれる?
 微動だにしない人形の横を強引に通り抜ける。
 「もしもし、ミト君?」
 「はい、あの」
 「ひょっとして認証した?」
 背後の人形を振り返る。相変わらずの無表情でこちらを見ている。
 「どうやらしたみたいです」
 
 人形はたしかにドアをすり抜けた。
 状況に理解が追いつかないが、それはつまり真砂さんの話が真実味を帯びてきた、ということだ。夢を見ているのでなければ。
 「驚くよね。最初にフィギュールが現れたとき、夢かと思ったもの」
 「フィギュール?」
 「アメリがね、ああ、アメリっていうのは、フィギュールに私がつけた名前なんだけど」
 「そうです」と、玄関の人形はこちらにゆっくり近づいてきて、話し始めた。
 
 認証を終えたエージェントにはそれぞれの資質に見合う能力が発現する。
能力は必ず結晶体として具現化し、エージェントの精神に帰属するものでありながら、対話も可能だという。それらの能力はフィギュールと総称されている、と。
 
 世界を解体させようと目論む製作者に抵抗すべく、アンチ製作者から任務を託された。この世界に隠されたバグを作動させる。目的地は「磔の庭」。
 
 「そこに至るルートは私が案内します」
 
 ベッド裏に隠れていたおはぎが姿を現し、つかず離れずの距離でフィギュールを眺めている。おはぎが少しも怯えていないのが不思議だった。
 「ネットワーク化されたフィギュールは必要に応じて連携することも可能です。前提として、この任務は真砂リサと来栖ミトの二人で行います。私たちと同一のネットワーク上に存在しているのは、真砂リサのフィギュールのみです」
 「いや、待ってくれ。行う前提で進めないでくれ」
 
 とはいえ、これだけ非現実的な出来事にもかかわらず、夢じゃないと確信したとたん、すんなり受け容れている自分がいた。
 
 待ち焦がれていた事態が訪れたのだ。
 それも最高の形で。
 
 べつに終末を待望しているわけではない。
世界を揺るがす危機がどんなたぐいのものであろうと、蚊帳の外では虚しいだけだ。世界の命運がほかならぬ自分に託されている、それが重要なのだ。
 俺は迷わず旅立ちを決めた。
 
 「あの、真砂さん」
 「うん」
 「ぜひ、お手伝いさせてください」
 「ほんと? よかった。私一人じゃ荷が重すぎるもの」
 真砂さんの返事は意外と冷静で、どこかわざとらしさがあった。
 
 彼女にすぐ合流しますか、と訊くと、アメリと話し合って決めると言われた。
 フィギュールの状況分析能力は極めて精緻かつ適切で、導き出される判断は人間のそれよりはるかに信頼に値する、と。
 
 「遅かれ早かれ合流しなきゃいけないね」
 「ところで真砂さん、仕事はどうするんですか? 俺はすべての依頼をキャンセルすることにしました」
 世界が終わるだけなら仕事などどうでもいいのかもしれない。
 だが俺たちは世界を救うために旅立つのだ。
 若干気が滅入るが、救ったあとのことも考慮に入れる必要がある。
 明日世界が終わるとしても私は今日林檎の木を植える。らしくないと言われるが、ルター伝のこの言葉は俺の座右の銘だった。
 
 「私はもう休職届出したよ」
 「早いですね」
 
 気になることがあった。
 なぜゴーストとやらにほかでもない真砂さんが選ばれ、その真砂さんに俺は選ばれたのか。駅で真砂さんに声をかけられたときのことを思い出した。真砂さんの目に俺はどう映っていたのか?
 「どうしたの?」
 「何でもないです。いや、出発の準備をしなきゃなあと思いまして」
 「そうだね。それにしてもさ、ミト君て冷静だよね」
 「そうですか? これでも興奮してますよ。今日は寝れるかどうか」
 「ほんとに?」
 「ほんとですよ。お話がぶっ飛びすぎてて現実感がないからかなあ。真砂さんも冷静じゃないですか?」
 「そう? 何でだろうね」
 彼女はとぼけるような口調で言った。
 するとまた、駅でまた真砂さんに声をかけられたときの情景が頭に浮かんだ。頭蓋骨の内部で肥大した意識にチクリと棘が刺さり、眠気が漏れ出てくるような気がした。
 
 「それでは、また明日連絡しますね」
 「おやすみー」
 「おやすみなさい」
 
 フィギュールは無機質な瞳を輝かせこちらを見ている。
 真砂さんのフィギュールがアメリなら、お前はアンリだ。アンリは静かに、了解しました、と答えた。フィギュールは美しいと思った。

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