帰郷

 していたのである、3泊4日くらい。何というわけではなく高校の頃の部活の同窓会のお誘いがあったので、そこに合わせて平日の飛行機を取ったらそれくらいの長さになったという、それだけの帰郷であった。
 全日程がほぼほぼつつがなく終了し、空港まで送ってくれた家族と別れて一人で成田行の飛行機に乗って、何故か私、ほとんどずっと泣いていた。何が悲しいわけでもなく、寂しいというのもまた何かよくわからないが、とりあえず涙が流れて止まらなかったのだ。泣き止もうとしてもうまくいかず、そんなことしてる間に眼鏡が座席の手すりから後ろの席へ滑り落ちてしまい、見も知らぬお兄さんに「足ででもいいので眼鏡取っていただけませんか」などという迷惑なお願いをしたりしていた。座席の隙間から話しかけてくる涙顔の謎のオバサン。マジ何だかわからなかったと思う。ごめんな兄ちゃん、眼鏡ないと何もできないレベルの近眼なんだこのオバン。
 多分、いい滞在だったのだ。互いに大人になった家族同士はかつてのようにギスギスしておらず、下手くそすぎて周囲の足を引っ張って顰蹙を買い浮いていた当時の部活も今は過去のことで、地元の美味しいものをたくさんいただき、調子に乗って飲みすぎて悪酔いし、会った人全てとまたねと言い合って別れた。いい3泊4日だった。3泊4日だからいい思い出になったことがわかるから、多分それで泣けてくるのだ。
 不惑を前に、これからについて迷っている。現在の私は事務員という形で雇われて薄給で図書室の司書みたいな仕事を東京でしているわけだが、郷里の町立図書館がそれよりいい待遇で人を探していると聞いたのだ。この図書館はいわば私が司書になろうと思った原点の地でもあり、今の司書ごっこみたいな仕事よりも確実に正しく司書の仕事ができる場所でもある。そこで司書になれるなら夢が叶ったも同然だ。
 が、そもそものそもそも、学生時代に故郷で仕事を見つけられなくて追い出されるように上京してきたのが私だ。都会の無関心のエアポケットの中で誤魔化し誤魔化し存在しているようなのが今の私だ。相互に関心を向け合って初めて良い環境になる……かもしれないっていうかそうなればいいなっていうかまあ関心って言っても意地悪い人だっていくらでもいるし遭遇しても逃げ場がないんだよなあという地方で、既にボロッボロに敗退したことがあるのが私なのである。
 いい滞在だった。だけど、そこに私の居場所があるわけではない。ゲストではなくレギュラーとしてその場に留まる自信が、今の私にはまだないのだ。
 それがたぶん、しみじみとつらいのである。だってさすがにもう一回敗退したらもう行き場はない。それならまだ勝ってはいないが負けてもいない東京に、誤魔化し誤魔化し留まっている方がまだ勝算がある。そういう孤独感がひしひしと迫ってきたから、私は泣いていたのだと思う。

 そんなことを考えながら帰ってきた東京の自室は、なぜだか暖かい。荷物を下ろして確認したところ、エアコンが24℃で稼働しっぱなしだったのだ。3泊4日の間、ずっと。
 自分の迂闊さにショックを受けて、感慨なんか吹っ飛んでしまった。どうしても私という人間は、綺麗に締まらないようだった。

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