人を傷つけて楽しんでいる者たちへ

思想界の化石燃料です。どうぞ燃やされて下さい。

自分が傷つけられたからって、世の中を良くしようともせずに、ただ人を傷つけて楽しんでるってことは  “そこに生まれてきてよかった”ということになる。

人を傷つける人生を楽しみたくて、そういうヒドイ人間になるように、自ら進んでヒドイ境遇に生まれてきたということになる。

人にヒドイことをされたから恨んでいるのではなく、恨んでいることを言い訳に人を傷つけたいだけの魂。

よかったね~、人を恨めるように育ててくれる環境が地球に残ってて。人間のせいで鬼になったんじゃない。最初から鬼。恨みなんか無くても鬼。恨みを言い訳にしてるだけ。偽善ならぬ偽恨。偽物の恨み。


鬼とセットなのが学ぼうとしない赤ちゃんの人格。

生き残るために学ぼうとしなくても安全が保証されていた。保育者を傷つければ願いが叶えられる。その恩を忘れて人を傷つけて楽しむ。クズ。

0歳の時から安全を保証されてなかった人間なら、どうやったら安全を得られるか必死に考える。頭を使う。泣きわめいて願いを叶えてもらえる程甘い場所に生まれてない。甘ったれてる余裕なんて無い。

甘ったれてる余裕の上にあぐらをかいて、人を傷つける最低な鬼。改めろ。成長しろ。



さて一方、育てる側には子供の脳の機能獲得度合いに合わせる形で甘やかすことが必要。上のような人間にさせないようにと幼い頃から厳しくしたところで、脳にはそれを受け止める機能が備わっていない。できたての柔らかいパンが包丁で切れないのと同様、柔らかい脳に厳しさは通用しない。改めさせることが出来ないどころか、暴力的に強引に人にいうことをきかせることを学んでしまう。

幼い脳がまだ獲得出来ない段階のことについては大人が許容する必要がある。


10月16日追記

ちなみに、外国人の方が読んでいるとは思いませんが、日本人にしか当てはまりません。赤ちゃんの時から隔離して寝かせる文化の外国人だったり、親に口答えを一切出来ない文化の外国人には当てはまりません。

例えばキリスト教文化だったら、チャリティーやドーネーションが文化の中に組み込まれていたりと、それぞれの文化ごとに落とし所が存在しています。

2023年2月26日追記
現代日本で未だに親に一切異論を唱えることの出来ない文化圏の人が残っているとは思ってなかったけど、年上の人のことが頭から抜け落ちてました。アメリカ文化が散々流入してきた現代日本で若者にもまだそんな文化のまま生きてる人がいるんだろうか。親に反抗する勇気がない人はいても、親に反抗することが文化的にタブーな人がいたらびっくり。

あと、日本にはチャリティーやドネーションみたいな文化的な落とし所がないと思っていたけど、村八分にして切り捨てる・切り離すっていうのが文化的な落とし所なんだったら、日本ってお・も・て・な・し文化の裏が実はめちゃめちゃ恐ろしい国だったんですね。
ノーベル賞をとるような優秀な人材が海外に流出するのもそのせいだったのかー。





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