ポストクラシカルという音楽ジャンルに触れるようになって思うこと

最近、ポストクラシカルという、あまりメジャーではないジャンルの音楽に手を出すようになった。

僕は元々は、ポップミュージックと西洋クラシックばかり聞いていた。中高から大学までオーケストラ部に所属していたし、ことあるごとにカラオケ店に友だち数人と遊びに行って日が暮れるまで歌うということをよくしていた。
しかし大学院に入ってからは、オーケストラやそういう遊び方と距離が空くようになり、研究に追われ続けて精神的な余裕がなくなり、いろいろな限界を感じながら昔ほど「聴き込む」こともできなくなり、クラシックもポップソングも手には負えなくなってきた。その中で、ポストクラシカルというジャンルを知って、以来よく聴くようになった形だ。

このジャンルの作品の特徴を一概に言うのはとても難しい。前衛的に感じるものもあれば、聞き馴染みやすい作品もある。楽器編成も音作りもアーティストによって千差万別だ。ただそんな中でも、少なくとも僕がこれまで触れてきたポストクラシカル作品に共通していると思う点は、「丁寧な音作り」、「無駄を削ぎ落す」という2点だ。
いわゆる限界大学院生的な境遇に陥る中で、いつの間にか、派手に飾った音楽よりは、必要最小限に近い音楽のほうが自分にフィットするようになっていったわけだ。
でも具体的に、僕は音楽にどんなことを必要最小限としていたのだろうか。

僕が繰り返し唱えている論に、「美しさとは、反復性と連続性だ」というのがある。人が何かを美しいと感じるとき、そこには必ずこの2つがあると僕は思っている。
こんなことを言っても全然偉ぶっているつもりはなくて、むしろ言ってることはとても素朴のつもりだ。つまるところ、人はなめらかな線や整った配列を美しく感じて好み、逆に断絶や無関係は汚く感じ嫌悪するように"できている"。
例えば書店に行って、デザイン関係の本を手に取って見て欲しい。おすすめはこの本だ(実用的だし、読解に美的センスもいらないので)。

書類やパワポやポスターなどの非芸術であっても、一定の法則下でデザインを反復させて連続の印象を与えることが、どれだけ「美しいデザイン」として好印象を買うことに機能するかがよく分かるはずだ。

話戻ってポストクラシカルについてだが、このジャンルには反復性と連続性がきわめて簡潔かつ丁寧に含まれていると、僕は考えている。僕の求めるものだけがパッケージされているといった様相であり、その過不足のなさが余裕のなかった自分にとってはありがたかったのだと思う。

しかし、ポストクラシカルという、よく言えば究極的、悪く言えば「どん詰まり」なジャンルに依存してまで僕が音楽を断つことができなかったのは、なぜだろう。大仰な言い分に聞こえるかもしれないが、それは美しさに触れるという行為が、ある種の自己存在肯定であるがゆえではないだろうか。

人は毎日を繰り返して生活をしている。地球が1周するごとに人は、起きて、活動して、寝る。その反復の中で、人世では様々な発展が進んでいく。赤子は大人になる。ムラがクニになる。小規模ベンチャーが世界的大企業になる。これらは場合によっては滅びを迎え、こうして文明は形を変えながら今もなお続いていっている。また人に限らないあらゆる生き物も、繁殖と生存と絶滅を繰り返し続けてきていており、今の生態系バランスはその流れの一部にすぎないと言える。
そしてこれら反復の中の一つ一つの事象は、決して相互無関係に起こるのではない。全ての反復されたる事象は因果の流れの中にあり、とある「有機的で大きな連続」の一部として現れている。そのあまりの偉大さに、古くの迷信的世界ではそれが「神」と称されていた。神とは世界そのものであり、つまり世界の全ては、反復と連続だ。

それは僕らとて例外ではないに違いない。地球や祖先がこれまで積み重ねてきたことの一つの帰結、つまり反復と連続のなりゆきとして、今の僕とあなたがある。そして、僕もあなたもこれから先、家庭や、仕事や、友情といった形で、それらが有意義か無意味かに関わらず、何かしらの積み重ねを連綿と続けて、この流れの一部となっていかざるを得ない――これはれっきとした事実に違いないと、僕は思う。
だから、連続性と反復性に触れることは、「美しい」という感性を通して自己存在を肯定することに他ならないのではないかと考えるわけである。
僕の場合そのためのツールがたまたま音楽だったけど、人によってはそれは絵画だったり演劇だったり映像だったりするのだろう。

素朴なことを書いてるつもりだったのに、やっぱりなんだか大層な話を並べてしまったような気がする。でも、少なくとも古典美術や大衆芸術に触れる人にとっては、中らずと雖も遠からず、の範囲の話ではあると思う(近代以降の新芸術には当てはまらない)。
ここまで読んでくださった方の今後の芸術との触れ合いにおいて、この投稿がその視点を豊かにする方向に作用することを願って、ひとまずの締めとしよう。

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