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10万円の定期

わたしが以前使っていた通勤定期券は
電車とバスの定期券が1つになったもので
半年で約10万円もするものでした。

定期券は家の鍵と同じ小さなケースに入れて
毎日欠かさず持ち歩いていました。

         *

いつものように出社して
いつものように働いて
いつものように退社して
いつものようにバスに乗り
いつもの駅前のバス停で降り
いつもの駅の改札の前
おかしい、いつもの定期券がない。

カバンの中も上着もズボンのポケットも
どこを探してもあのいつものケースが見当たらない。

落としたことに気づいた時の絶望と
そんな馬鹿なという呆れと
やけにじとっとした夏の蒸し暑さ。
ぜんぶが混じって変な汗をかいた。

21時を過ぎていた。
どうしたものか。
駅の改札前、ひとり途方に暮れた。

バスに乗ったということは、職場に忘れたわけではない。降車時はピッとICカードをタッチしないが、乗車時はタッチした。

バスで落としたのか…
バス停から改札までの道で落としたのか…

携帯の充電は10%を切っていた。
とりあえずバス会社には電話しておこう。
近くのコンビニと交番にも行ってみるか。
来た道を歩いて戻ってみるか。

最悪、定期は再発行すればいいな。

だけど、鍵は?
今日わたし帰る家がないのか。

いや、友達の家にでも泊めてもらうか。
でも、こんな夜に突然行っていいものか。
最悪、漫画喫茶でもいいか。

けど、不動産屋にはいつ行くんだ。
明日も明後日も仕事じゃないか。
こんな遅くに行ったって閉まってるだろうし。

ああああああああああああぁぁあああ!
そんなことよりお腹減ったな。早く寝たい。

頭の中でぐるぐると思考が巡る。
意外と冷静な自分に少し笑えた。

結局、職場の先輩に連絡を入れたのは、
後輩という立場に甘えたのだと思う。

いいよ、家おいで。って言ってくれるのを
期待していたのだと思う。

こんな時でさえ、わたしは冷静でずる賢い。

バス会社に電話をしてみるも届け物はなく、
近くのコンビニも交番も行った。
来た道を目を凝らし何度も歩いた。

それでも探しものは見つからなかった。

まもなく充電の切れる携帯が震えた。
知らない番号からだった。
わたしが途方に暮れてた駅からだった。

駅に落ちていたらしい。
家の鍵らしきものが入っていたから、
定期券に登録されている電話番号を調べて
急いで電話をかけてくれたらしい。

じゅうまん円の定期券
わたしの家のかぎ
すこしの小銭
が入ったいつものケースがそこにあった。

こんなに探し求めていたものが
こんなに近くにあったとは
灯台下暗しとは、まさにこのこと。

どうして駅の落とし物センターに行かなかったのか。

変なところずる賢いくせに
とてつもなく地頭が悪い。

         *

だけど世の中、悪い人ばかりではないのだね。

拾って届けてくれた方はもちろん、電話してくれた駅員さんも、快諾してくれた先輩も、本当にありがとうございました。

お陰様で家に帰れました。
びっくりするほどよく眠れました。

「困った時はお互い様」精神で、わたしも誰かの「困った」に駆けつけられる人になりたいと思った一件でした。
(だがしかし、そのためには心に余裕がなくてはいけないが、いつも自分のことで精一杯で誰かを思いやれる余裕がないのである。)

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