クリスマスに恋人と別れた。 24日も25日も約束をしていたのに、 24日に会ってすぐ 些細なことでケンカをして、 結局別れることになった。 今は何が原因でケンカをしたのかも 思い出せないけれど 当時はとても重要で とてもしょうもないことだったのだと思う。 今夜も明日も予定がなくなり、 バイトを入れればよかったとか 友達のパーティに参加すればよかったとか 1人寂しくアパートで やけにうるさい年末特番を見て思った。 * 25日の夜はなぜか友達といた。
大学4年の冬 「勤務地については、2月下旬から3月上旬にかけて、順次電話でお伝えし、そのあと面接を行い、最終決定します。」 と通達され、遊びに行けないね〜と言っていた同期を横目に私は1週間ロンドンに行った。 勤務地の電話や面接より 4年間一緒に働いたアルバイト達との旅行をとった。 今はそんなことできないなと思ってしまう。 それは先のことを考えられる大人になったと言うべきか、それとも、先のことばかり考えて今を楽しんでいない大人になったと言うべきか、よくは分からない。
今年、あなたはひとつ歳を取る。 その度に、歳相応にとか、 いい歳してとか、つまらない言葉が、 あなたを縛ろうとする。 あなたは、耳を貸す必要なんてない。 世間の見る目なんて、 いつだって後から変わる。 来たことのない服に袖を通して、 見たことのない自分に心躍らせる。 他の誰でもない「私」を楽しむ。 そんな2017年が、 あなたには必要なのだから。 年齢を脱ぐ。 冒険を着る。 わたしは、私 (樹木希林/西武・そごう企業広告) 誕生日を迎えたあなた
わたしが以前使っていた通勤定期券は 電車とバスの定期券が1つになったもので 半年で約10万円もするものでした。 定期券は家の鍵と同じ小さなケースに入れて 毎日欠かさず持ち歩いていました。 * いつものように出社して いつものように働いて いつものように退社して いつものようにバスに乗り いつもの駅前のバス停で降り いつもの駅の改札の前 おかしい、いつもの定期券がない。 カバンの中も上着もズボンのポケットも どこを探してもあのいつものケースが見当たらな
大学1年生のとき自転車が必要で 赤いママチャリを買った 牛丼屋の前に止めていたらいなくなった 鍵はわたしの手元にあるのに 安いママチャリはすぐにいなくなった 新しい自転車は水色だった * 社会人になって自転車に乗らなくなった 気づけばサドルには砂埃が積もっていた * あるひ遠くの警察から電話がきた 赤いママチャリが見つかったらしい そういえば遺失届を書いたっけ 随分と長い間旅をしていたのだね 鍵をなくしたわたしは引き取ることなく 処分許可の署名を
駅で困った顔した人がいた 何故だか放っておけなくて 話を聞いたら 隣駅に行く130円がないらしい 「袖振り合うも他生の縁」だ わたしから話しかけたのだ 130円くらいあげてしまおう * 数週間後 わたしを見つけ出し 130円が返ってきた お菓子と手紙が添えてあり あったかい気持ちになった たった百三十円 されど百三十円
不幸話は半年後には笑い話 悲しいことがあっても飲み会のネタになるなと思ってコツコツと不幸話を貯めていた。 貴重な時間をわたしに使ってくれているのだから、せっかくなら楽しませたい!と謎の芸人魂が顔を出す。 だけど 悲しすぎると飲み会なんて行かなくなるし、そもそもなんでわたしが笑わせなあかんねん、みたいなやさぐれた気持ちになる。 本当にしんどい時に偶然誰かが現れるなんて、ドラマやあるまいし。 まして、タイミングよく電話が鳴ったりするなんてありえない。 駅から家までの夜道
人生はすごい。 何が起こるか分からない。 楽しいことばかりではない。 つらいことばかりでもない。 楽しくするのも自分。 つまらなくするのも自分。 全ては自分次第なんだな。 「楽しむ力」を養いたいな。 「楽しくない!」「つまらない!」 「つらい!」「いやだ!」 こんなの言うのは簡単だから、 そう思ったらそうなっちゃうから、 いろいろあるけどさ、 楽しくなくて、つまらなくて、つらくて、いやなことも たっくさんたっくさんあるけどさ、 人生、楽しむ。 楽しんだもん勝ちだ。 * *
発展途上国と呼ばれるような小さな国の小さな村に行った。 電波もWi-Fiもなければ、温かいシャワーもふかふかの布団もない。コンビニやカフェもなければ、バスも電車もない。 「ないものを見つけるのではなく、 あるものに目を向けなさい。」 一緒に訪れた日本人が教えてくれた言葉だ。 見方ひとつで世界は変わる。 人と人との温かな交流があり、みんなで食卓を囲む嬉しさがある。山々に沈みゆく大きな赤い夕日があれば、満点の星空もある。動物たちの鳴き声に子どもたちの歌声、当たり前のよう
ねぶた祭りが見たい!!! と思って、ふと青森に行った。 東北といえど、やや暑い夏の夜 目の前を練り歩く力強い山車に 囃子と跳子たちの熱量に ラッセラー!ラッセラー!の掛け声に 一瞬で心奪われた。 跳子として参加していたら、きっともっと楽しいのだろうなと思うけど、見ているだけで元気をもらえる、そんな時間だった。 近くで警備員のおじさんと跳子をしていた高校生くらいの女の子が話していた。たぶん2人は顔見知りなのだろう。 彼らの早口な津軽弁が妙に心地よく、それと同時に標準語を話
「罪がなければ、逃げる楽しみもない」 「砂の女」(著:安部公房)の冒頭の一文である。 砂に埋もれる一軒家から逃亡を試みる男と 家を守るために逃亡を妨害する女、 そして2人を監視する部落の人々。 人は慣れる生き物なのかもしれない。 動物たちが周りの環境に応じて進化していったように 我々人間も、周りの環境や繰り返される生活に嫌でも順応していってしまう。 こわいこわい。 読了後は、わたしの舌にも砂が混じっているような、冷たい水をコップいっぱいに飲みたくなった。
はたちの夏 初めて一人旅をした ダイビングショップのお姉さんが教えてくれた 日本の最西端、与那国島 初めての一人旅 真新しいバックパックに希望をいっぱいに詰め込んで 初めて一人でとった航空券を片手に小躍りした 遥か雲の上、小さな窓から下界を見下ろし ほくそ笑んでいたのは、はたちのわたし。 それよりさらに遥か空の上、 神様はこんなわたしを見下ろし、 ほくそ笑んでいたのかもしれません。 ヤシガニに挟まれて大出血するし 初めて乗った原付で迷子になるし 台風が来て延泊に延泊を
「自分が幸せか、不幸せか。自分ではよく分からない。 ただひとつだけ分かることがある。 自分が思うだけで、人はいくらでも幸せにも、不幸せにもなれるいうことだ。」 (「世界から猫が消えたなら」著:川村元気) 他人を羨んでは、自分ばかりが不幸だと嘆いていたけれど、幸せなんて人と比較するものじゃないし、自分が幸せと思うのであれば、目の前のありふれたちっぽけなことだって、それは幸せなのかもしれないな、と思えた一節。 そして逆も然り。不幸であると思えば思うほど、人は不幸になっていく
田舎から都会へ上り電車に乗っていると、いつのまにか田園がなくなり、ビルやマンションばかり、電光掲示板ばかり、人工の光ばかり。 小さい頃は好きなものがはっきりしていたのに、大人になると自分が好きなものすらよくわからなくなる。 3日続けて投稿したことに満足して、全然投稿していなかった... とりあえずまた3日、いや、5日!目指して描いて投稿するぞ!と意気込む、そんな師走。
心だけは貧しくならないように。 想像力だけは忘れないように。
「どんなことでも1万時間かければ形になるらしいから。悩むなら、1万時間かけてから悩めばいいの。」 「羊と鋼の森 著:宮下奈都」の中の北川さんの言葉がとても印象に残っています。 すぐには形にはならない。 時間をかけたからと言って形にならないこともある。 ただ、1万時間かけたという事実が、いつかどこかで自分の自信につながるんじゃないかと思う。