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田中の串カツバケツとか続・タモリとか

2001.9.11から20年が経った。当時大学生だった私は20年前のその日、先輩のバンド、ザジのドラムの前ちゃんと2人で自宅で一緒に酒を飲んでいて、高層ビルに突っ込んでいく旅客機をテレビで観ながら「やべえ!とうとう戦争がはじまるぜ!」と興奮していたのだった。そうか、あの日から20年も経ったのか。月並みだが、光陰矢の如し。

レッチリにマジックジョンソンという最高の曲がある。私はその中の「カリーム!アブ!ドゥルジャバー」という掛け合いのパートが大好きで(開始から1:54くらい)聴くたびにいつも笑ってしまうのだ。言わずもがな、カリームアブドゥルジャバーはレイカーズの伝説的なバスケットボール選手だが、本人もまさか「カリーム」と「アブ」と「ドゥルジャバー」に名前が解体され、パンク上がり且つ、シャ○漬けの青年にそれぞれ叫ばれ、それが録音されミックス、マスタリングの工程を経て、銀盤に乗って世界流通するなど思いもしなかっただろう。個人に名付けられた名前をただの意味のない〈音の塊〉して消費しようとする態度に、言葉の意味を無効化する日本のお笑いに通ずるセンスを感じて、思わずニヤリとしてしまう。レッチリとニールヤングとミニットメンこそアメリカの良心、と私は信じている。

串カツ田中の串カツバケツは、コロナ過の家庭に投下される最終兵器。これと偽ビールがあれば、俺は生きていける。俺は生きていけるぞーー!!(不確かな未来に向かって咆哮)

常に〈うまくいくためにはどうすればいいか〉に注力すべきで、うまくいかない現実を嘆く、或いは自分のせいにしてしまうのは愚の骨頂である。世界は不条理や欺瞞に溢れているので、うまくいくはずもなく、うまくいかない私やあなたはいつも正しいのである。つまり必要なのは「これでいいのだ!」という開き直りなのだが、俺はいつからこの自己啓発染みた言葉で鼓舞していかないと日常を生きられなくなったのか。そんな時こそ、「これでいいのだ!」(※冒頭へ戻り、繰り返し)

東京浴場へ毎週恒例の一人朝風呂へ。風呂後「昨日のカレー、明日のパン」ロビーで読む。渡辺ペコの漫画版のやつ。普段漫画読まないけど、良いですね。サクサク読める短編のストーリーにふっと残る余韻、読後感、人間関係についての考え方のヒント。風呂も読書もデトックス。フロ中書店街、最高。

続・タモリブーム。「タモリ学」(戸部田誠(てれびのスキマ) )を貪り読み。既に知っているものも含め、タモリエピソード満載。タモリは過去や未来や自己や観念に執着せず、今を淡々と生きている。虚無を前提とし、瞬間の煌めきに全てをかけている。ああ、タモリ、私はタモリの家に遊びに行きたい。私もタモリの作る手料理を待ちながらリビングのソファでウイスキー飲みながら爆音でジャズを聴きたい。どうすればタモリの家に遊びに行けるのか。そこに小池栄子と中井貴一が居たら、もう私は何も言い残すことはない。

テイラーに続き、テレキャスをリペアに出したい。今回は松下工房以外に出してみたいな、と思っているのだがどこが良いのだろう、とネットを徘徊。最近はCreamのクロスロードの完コピを目指し、ギターを触っている。中学生か、俺は。クロスロードで魂を売り渡すことのなかった俺のギター人生。

ランニングにしても登山にしても海外に行った時もいつもそうだけど、朝早く起きて、世界がまだ始まってない時間、誰とも繋がらず外を歩いている心もとない感じが大好きである。冷んやりした空気、薄暗い空。一歩を踏み出す度、生きている喜びに溢れてくるのですが、私だけでしょうか?だいたひかるは元気でしょうか?

ワクチンを2回接種完了。マジでコロナのうんたらかんたら、早く終わって欲しい。もう飽き飽き。

先日、娘が油性マジックの雄〈マッキー〉で家中の家具や壁に少しずつマーキングをしているのを発見し、発狂する。無水エタノールを買いに薬局へ走る。愛すべき慌ただしい日常。幸せとは今、ここにあると見つけたり候。早漏。



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