見出し画像

仕事で危機に直面した時、本来の自分を発揮できた話【IT企業】

エピソード#10 拾う神降臨

前回までのあらすじ
~IT企業入社3か月後、開発管理室から経営企画室に異動になったが、産休予定の女性が急遽入院したため、そこには誰もいなかった。経営企画室の仕事について何も知らない私の前に現れた人とは~

とりあえず、何をするべきなのだろう、と私は周りを見渡した。
パソコンが数台と乱雑におかれた書籍やファイルが目に入った。
しばらくぼーっと座っていると、隣のパーテーションからひょっこり男性が顔を出し「こんにちは、はじめまして」と挨拶をしてくれた。
開発管理室のひとたちよりも感じが良い男性で、私は少しだけほっとした。
「入院されたみたいで心配ですね」と話し合った。しかし、どうやらこの男性は私の配属先とは違う部署の人らしいことがわかった。

そうこうしているうちに、次に経理部長だという中年の男性が現れた。経理部長は「毎週木曜日と金曜日に東京から君の上司が来るから、そのパソコンを使ってネットワークのドライブに保存してある資料を確認しておいて」と言って去っていった。資料は、売上集計表、損益計算書、部門別実績表等の業績関係が多かった。

次の日の木曜日の朝、フロアにある休憩室でコーヒーを飲みながら、私は清掃員のおばちゃんと話をしていた。ちょうど窓から朝日が差し込んで休憩室を明るく照らしていた。
会社のフロアはだだっ広く、外注先の清掃業者が毎日フロアの清掃をしてくれていた。毎日数回は清掃員のおばちゃんに会うため、いつの間にか顔見知りとなっていた。

振り返ると宇宙人みたいな男性が立っていた。
体は瘦せていて、スーツが体にあっておらずぶかぶかだった。眼鏡をかけ、髪は薄く、おでこがひろく、なにより頭がとても大きかった。
それが私が上司に抱いた第一印象だった。

しかし、後から振り返ると、この上司が私の前に現れた”拾う神”であったと思う。人生は、誰かの人生と重なり連なり何十にも折り重なっていく。そのなかで、恩師となる人に巡り合うのだ。その時は気がつかなくとも。

エピソード#11 第一関門

私の上司は財務担当役員をしている経営企画室長だった。その上司と形式的な挨拶をすませた後、昨日もやってきた経理部長が困った顔をして現れた。

上司:「お見舞いっていってもね、、、
僕たちが産婦人科に行くってわけにもいかないし」
経理部長:「でも、どうする?東京の奴らは知ってるの?」
上司:「いや、彼女しかわからないと思う」

なにやらごにょごにょと二人で話した後、私にA4一枚の紙を渡した。
「この資料を来週の取締役会までに作ってほしいんだ」
見るとそれは定時取締役会(※注)で報告される月次業績資料であった。
社内で「予実管理表」といわれ、毎月の製品別、部門別の業績、設備投資の状況などがコンパクトに一枚の紙にまとめられた資料である。

「これをですか?来週までに?ですよね?」
私の声が震えた。

この「予実管理」資料が重要な意味を持っていることはわかった。
しかし、何をどう見てどうやって作ったらよいのかというHOWの部分がまったく不明であった。

原因は上司のマネジメント不足だったといえるが、こんな重要業務が完全に「属人化」していたのである。なので、緊急入院してしまった彼女しか資料の作成方法がわからなかったのだ。

社内の誰も作り方がわからない重要資料を、入社3か月の私に1週間で作成しろという無茶苦茶な指示であった。
もうやるしかなかった。私が腹をくくった瞬間であった。

「このネットワークドライブに保存されてあるデータをもとにこの資料が作られているのですよね?」、
「わかりました、やってみます。」と私は静かに言い放った。

膨大な量の数値データであった。それらを集計し比較し、手渡された「見本」と同じように資料を試行錯誤で作成していった。

作業が長時間続いていると、時々隣のパーテーションからひょっこり心配そうに男性が顔を出し、声をかけてくれた。

そして、一週間後。
資料は完成していた。
無事に定時取締役会に提出し、上司の面目は保たれた。

世間では、危機に遭遇した時、それは逆にチャンスだという。
まったくその通りである。
この結果、私は異例の早さで契約社員から正社員に昇格した。

※注:取締役会とは、業務の執行に関する株式会社の意思決定および監督機関。取締役全員で構成される合議体のこと。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?