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デジタル化は、たぶん人をダメにする(1)【字は手で書かないと、どんどん書けなくなる】

それは、ある意味衝撃的な映像でした。

東京都選出の参議院議員、音喜多駿さんは、先日40歳になられたとかで、政治活動の節目もあり、パーティーを開かれたそうです。
その際に、披露されたダンスが、某宗教団体の青年たちの踊りと酷似していたとかで、リベラル界隈で話題となりました。

そのこともあったのでしょうか、音喜多さんは、ご自身の主張を動画でアップされたようです。

ところが・・・

これを見て、リベラル界隈では、このミスを揶揄する投稿が相次ぎましたが、

これは笑えないのでは?と思っています。

というもの、私も同じようなミスをするのではと思ったからです。

そして、この間違い方が、いかにもデジタル時代の間違いなのだと感じました。

「呆れる」という漢字を知っているからこそ、「吊れる」と書いたと思われるミス。二つの字は、よく似ているといえば、よく似ている。デジタルデバイスでの漢字は視認するものだからこのようなミスは起こり得る。

たとえ、知っている字でもあまり使わない字はあります。ましてや、手書きをあまりしないなら、間違いは起こり得るでしょう。

同じような事例としては、

これも同じようなものです。

誰もがその人固有の知らない漢字はありますし、その漢字が読めない場合もある。松井さんのように気が付かないうちにそれが正しいと思ってしまうこともある。

手で字を書かず、キーボード入力ばかりしていると弊害はあるなと感じています。

私の場合、加齢や教養不足もあり、漢字が出てこないと感じることが増えました。

これは、ここ数年、密かな悩みでもあります。読むことはできても、自分の手で書けない漢字が年々増えていると感じます。

私はこれは、デジタル時代の弊害だと理解しています。

そのこともあり、意識して手書きの機会を増やしています。

スケジュール管理は紙の手帳で行っていますし、教材も手間という問題もありますが、手書きを貫いています。

そのような体験もあり、デジタル化がなんでもいいという風潮に、私は密かに抵抗しています。その理由が、デジタルは人をダメにする一面があることを私は「確信」しているからです。

社会のデジタル化は止められない。
でも、それによって人間が進化するわけではないのかもしれません。

今後もデジタルは人をダメにする(かも)という視点は持っておきたいと思っています。



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