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やっぱり、「学ぶ意欲だけ」では不十分だと思う理由。【総合型選抜入試への違和感】

ここで何度か書いていますが、現状の総合型選抜入試について、疑問を持っています。

過渡期で、今後改善が図られているとは理解していますが、私は、指導の経験から「学ぶ意欲」が第三者によってつくることが可能であることを理解していることもあり、懐疑的に見ています。

その経験については、こちらで書いています。シリーズが未完になっていますが、考えをまとめて仕上げたいと思っています。

先日、YouTubeを見ていたら、この疑問について、答えのひとつになるのかと思う動画を見つけました。少し古いですが、本質をついていると思いましたので、ご紹介します。英語ですが、字幕設定で日本語字幕で視聴できます。

米ペンシルベニア大学の心理学教授であるアンジェラ・リー・ダックワースさんは、「grid」(=やりぬく力)が大切だと主張されています。

これは、塾講師として、学びの現場に立つものとしてとても納得のいく主張です。

これまで多くの受験生と向き合ってきました。才能に溢れた人、勉強が苦手な人、やる気を見つける事が出来ない人・・・様々な受験生がいましたが、

成功する受験生のひとつの形が、やり抜くことができる人です。

日本でも初志貫徹が高い価値として考えられていますが、洋の東西を問わない本質的な価値だと思います。

高校での学びは、「わかる」と「できる」が分離します。「わかった」からといって、「できる」とは限りません。できるためのトレーニングが必要で、名門進学校の高校生であっても成績が伸び悩む人は、最初にここで躓きます。

できるまでやり抜かないといけないことをここで学び損なうとほとんどの場合、受験では良い結果を出すことはできません。

理系の場合、大学受験を通して、数学、物理、化学、生物の高等教育の基礎を身に着けることはとても大切であり、大学への学びに直結します。不十分であったり、努力不足であった場合、一般入試では、不合格という結果によって、そのアプローチの問題点を突き付けられます。

高い偏差値の大学に入れなくとも、自分の努力の限界点に挑み、やり抜く経験を持っていれば、未来は開けています。かつての生徒さんの中には、志望の国公立大学の受験に失敗したものの、進学先の私立大で特待生になった方もいます。

それほど、このやり抜くことは、とても高い意味を持ちます。

一般入試は、結果としてやり抜く力を養成し、チェックするシステムを内包していると言えるでしょう。

一方で、総合型選抜でチェックしている「学ぶ意欲」というのは、このやり抜く力を問わない入試形式なのではないでしょうか。

意欲があれば、問題なし!と思っている大人がどれほどいるでしょうか。

会社の人事でお仕事されている方は、「私は、やる気では誰にも負けません!」という学生をそれこそ数え切れないほど見ているでしょう。同時に実際にやる気を維持し、結果を出せる人がごく一握りであることも理解されていると思います。

意欲が大切であることは、私もその通りだと思います。しかし、意欲だけで乗り切れるほど世の中は甘くないとも思います。

総合選抜では、何かに取り組んだことを評価していると主張される向きもあるでしょうが、環境の問題を無視してはいけません。

やり抜くことの価値は、やり抜くことが難しい環境でより意味があります。この動画でアンジェラさんは、そのことも主張されていると思います。プレッシャーもなく、逆風も吹いていない環境下で何かに取り組んだことを過大評価すべきではないのではと思います。

総合型選抜が一般入試と比肩しても十分な価値があるというのであれば、このやり抜く力を問うという指標は入れておかないといけないのではないかなと感じます。

現に総合型選抜を選ぶ受験生の中に、「楽に大学に入れる入試」「コスパのよい美味しい入試」とみる向きもあり、この入試のサポートをする業者は暗にそのことを売りにしているところもあります。

一般入試が良い入試方法だと思っているわけではありません。私はいかなる入試方法であっても、公平であるべきであり、そのための努力は最大限なされるべきであると思うのです。


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