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「GPA」の背景にあるもの

休みの日に、アメリカのミステリードラマ『COLD CASE』シーズン6の第1話を観ていました。
すると、一瞬ですが、「GPA」という単語が出てきました。
あらすじが、↓のサイトにまとめられています。ネタバレもあります。

この回では、アメリカの大学におけるアメリカンフットボールの問題が扱われています。
アメリカ国内では、圧倒的な人気を誇るアメリカンフットボールですが、プロリーグであるNFLは、週1回程度の試合と短いシーズンのため、アメリカ人の需要をカバーできず、大学のフットボール(カレッジフットボール)もプロ並みの人気があるようです。その影響でアマチュアスポーツにも巨額の資金が流れ込み、さまざまな矛盾を引き起こしている点に焦点をあてています。

舞台は、1970年代でニクソン大統領のころです。GPAはこのころかあったのですね。

日本の大学は、これまでアメリカの価値観ともヨーロッパの価値観とも異なった独自の価値観で運営されてきました。

アメリカの価値観では、教育は商品であり、高い教育を受けたいのであれば、相応の対価を払うべきであるという考えになっているとされています。それには、学歴によるステータスも含まれています。
そのため、東海岸の名門大学のアイビーリーグや西海岸のスタンフォード大学などは巨額の学費が必要です。受益者負担なので当然だという価値観です。
文科省も、受益者負担の原則をたびたび表明しています。

学費が高額のため、奨学金の有無は、学生にとって死活問題となります。このドラマでは、スポーツ奨学金を失った学生は退学に追い込まれ、優秀な学生のレポート代筆によって成績を維持しようとする学生の姿も描かれます。

一方、ヨーロッパでは、大学の位置付けは、社会に帰属しているという考えのようです。そのため大学教育は無償としている国もあり、高い教育を受けた人は、社会に貢献するので、恩恵は社会が受ける。なので、学費は社会が負担するという考えになっている部分があります。

かつての日本は、私立大学はアメリカの大学に近く、国立大学は、ヨーロッパの大学に近い側面がありました。

そのためか、国立大学は、きわめて低廉な学費で学ぶことができました。アルバイトで自分の学費を賄い、奨学金を受け、タダ同然の学生寮で生活すれば、親の資産に関わらず何とか自立できた。学びの自由度は今より高かったと言えます。教育機関に就職すれば、奨学金の返済免除という仕組みもありました。

現代では不可能である、夢のような時代だったとも言えます。

昨今の日本の大学に関するいろんな改革の流れは、アメリカ型の価値観に統一する流れと理解すべきなのでしょう。

そのような視点で見れば、日本の大学のアメリカ化は着々と進行しているようです。数年前に、国立大学の学費について、学部ごとに変えてはどうかとという提言が文科省からでましたが、財務省からの睨みもあり、文科省はアメリカの大学のように、受益者負担の原則をさらに徹底させたいのでしょう。

大学のアメリカ化が背景にあれば、GPAへの学生の価値観を集約させようとする動きは、納得のいくものがあります。

AO入試もアメリカの大学の入試システムに近いものがあり、入試時点での学生の経済格差があからさまに出る一面があるにもかかわらず、推奨する流れも当然なのでしょう。

教授会などの大学の自治は骨抜きにされ、若手研究者は不安定な身分。学生はGPAで管理され、保護者は、右肩上がりの学費負担に追い立てられる・・・。

いつの間にか、私たちは同意した覚えのない価値観の変更の渦中に放り込まれているのかもしれません。




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