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『機動戦士ガンダム』(ファーストガンダム)が今も尚、おじさんの心をつかむ理由【人生経験の糧が「再発見」を導く格別の面白さ】

CSのアニメ専門チャンネル「アニマックス」で『機動戦士ガンダム』(ファーストガンダム)の再放映が始まっています。

ちょっと観るかという程度の軽いノリで録画したのですが、やっぱり面白いですね(^^)

どうして、こんなに面白いのか。

岡田斗司夫さんなど「識者」がいろんな解説をしていますが、やはり、子供時代に熱狂的にみていたお話の中に、大人にならないと理解できない要素があるからなのでしょう。

第2回のシャア・アズナブル少佐の何気ないセリフ、

戦いとは、常に二手三手先を読んで行うものだ

などは、大人になってからの方がビシビシとセリフが入ってきますし、シャアの「中間管理職」としての苦労も見えてきますし、部下思いの「上司としてのシャア」の管理マネジメントの秀逸さも見えてくる。

ファーストガンダムは、意図したものかどうは別にしても、子供には理解できない要素をスキップしても十分エンタメとして楽しかったことで、視聴が継続し、そのあと、子供では理解できない「余白」を大人になって埋めていくことが可能な構造になっているのでしょう。

だから、人生経験を積むことで、解釈の広がりを得ることができる。
まさに無限ループとなって学びのある作品になっている。

その深みに改めて震撼させられます。

このあとの展開に登場する、ガルマ・ザビを陥れたときに、発した有名な

(ガルマ・ザビは死んだ。なぜだ)坊やだからさ

というセリフにしても

これまで、巷間言われているように、ザビ家への復讐に燃えるシャアの嘲笑として理解していましたが、岡田さんの指摘にあるように、必ずしもそうではない。

シャアの感情は重層的であり、学友であるガルマを悼む気持ちもやはり残っている。冷徹に復讐に燃える男ではない。
なぜなら、第2回で、生き別れた妹セイラ(アルテイシア)の存在を知り、動揺しているからです。

シャアは、見かけほどのクールな人間ではなく、奥に熱い情熱を秘めた人物であり、復讐を果たせたからと言って単純に喜べるような人物ではない。その点では、普通の感覚をもつ人物だと理解すべきではと思っています。

あのシーンは、身の丈に合わない苛烈な運命を背負わさた自分の現実についてのシャアの嘆息であると理解するのが正しいのでしょう。

子供向けアニメなのに、こんなすごい設定ってありなんでしょうか(^^)

歴史を作る作品って本当に深いですね。しばらくは、再びガンダム祭りの日々になりそうです(笑)。

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