見出し画像

生成AIと問い(第9回定例会の振り返り)

滋賀県内の自治体や企業らが集まり、スマートシティのあり方を一緒に考える研究会。年末の定例会で扱ったテーマは「生成AIと問い」です。

生成AIの活用について「問い」というキーワードを切り口に、「問いのデザイン」という本を書いた安斎勇樹さんと塩瀬隆之さんの対談動画「生成AI時代に必要な「問い」のデザイン力を磨くには?」を視聴したうえで、ディスカッションを行いました。

この対談動画の元になっている本「問いのデザイン」はこちら。

インプットパートの内容を一言でまとめると、生成AIそのものの活用は問いの立てかたが重要になるが、生成AIによる社会インパクト(アタリマエの変化)によって問いそのものが変わりうる、というものでした。このことを踏まえて、以下参加者の振り返りを共有します。

自身の判断基準を持ったうえで、AIと向き合う

まず、「生成AIそのものの活用は問いの立てかたが重要になる」ということに対する振り返りです。

「テクノロジーはビジョンの現実可能性を拡げるもの」「まずは市のビジョンやパーパスを考えたうえで、AIをどのように使えるのか考える」ということに、非常に共感を感じました。
特定の業務(窓口業務など)に対しても、まずは窓口がどうあるべきかを考えたうえで、どのようなテクノロジー(AI)が活用できるのかを考えていく必要があると感じました。

自分の意思を持たずに生成AIを利用しその結果をそのまま活用することは、期待するアウトプットが得られないだけでなく、誤った方向に導かれる可能性があることを改めて感じています。
いろいろなものがコンピューターに置き換わり、かつ制御される世の中になった今、生成 AIの発展は、より人間が中心となる社会へと改めて見直していくことにもつながるのかなとも思いました。

事前に共有いただいた動画や社内実践からも、やはりAIは答えをくれる存在ではなく、何をやらせるかを決めるのは自分(こっち)で、私としては、ちょっと生意気(頭のいい)な部下=AIを、うまく使うのが上司=自分だと思っています。
また、YouTubeの中で特に印象に残ったことは、「生成AIにはモチベーションもない」という言葉でした。人の場合、モチベーションがあり、それにより、会話がはずんだり、しらけたり、本気であったり、適当であったり、本音であったり、建前であったり。正しいか正しくないかではない部分があるのが人間かと。
そこで、AIの出す回答に対して、どういう判断をするのか、その時の人間のモチベーションやバックボーンに依ることになるのか??と考えると、自分自身の判断能力が試されることになる。そこを鍛えていかなければいけないし、知識をつけていかないといけないと、改めて思いました。

市として導入に向けた取組を進めている中で、課題は「使いかた」になるので、今後は業務の中でも「上手に使える人材」が重宝されるんだろうなと思う一方で、取り残された人は「上手な人に使われる」「AIに使われる」ような、手だけ動かす職員が発生するのではないかと懸念してしまったところです。
上手な使い方について、官民問わず色々と情報交換もしていけたらと思います。

無駄を楽しむ

次に「生成AIによる社会インパクト(アタリマエの変化)によって問いそのものが変わりうる」ということに対する振り返りです。

AI黎明期には「単純労働がAIに取って代わられ、知的労働は人の手に残る」など言われていましたが、昨今の状況を見ているとそうではないなと感じます。この事実は、どんな労働がAIに奪われるのかということよりも、我々がAIの進歩を予測しきれなかったということを意識させられました。
そうした中「生成 AIによる社会インパクトで変わりそうなアタリマエ」はたくさん考えられたのですが、逆に「変わらなそうなアタリマエ」を想像することが難しかったです。
意見としては、「無駄なこと」。例えば、地図をみて元々探していたもの以外のものを見つけるような、本来の目的以外の副産物的なことが変わらずに残るのかなと感じました。

生成AIが改めて生活の隅々に入り始めている認識です。ビジョンという軸と共にAIではできない人間の「むだ」を楽しむことが今後の人生では楽しみなのかと思います。無駄を楽しめる時、それを共にできる人や場所が大事なことだと考えていきたいと思います。

この研究会でも何度か取り上げている山口周氏が「ChatGPTは神か悪魔か」という本のなかで、「AIが普及しても職業そのものは簡単には無くならないが、従来の優秀さはその価値を失っていく」ということを指摘していました。
「人間の無駄を楽しむ」というのは、その話にも繋がるのかもしれません。AIによる働き方や競争ルールのゲームチェンジによって、人間そのものの本質がより剥き出しになっていくような、そんな感じがします。

まずは使ってみる

「AIが普及しても職業そのものは簡単には無くならない」といいますが、それでもAIを活用している企業と活用できていない企業とで、社会適応力上の差は大きくなるのだろうと思います。何かしら問いを立てたうえで、まずはこうして普及した生成AIを使ってみるということが、AIと向き合う最初の一歩なのだろうと思います。

生成AIについては、弊社内でもChatAIを利用しています。用途は特に限定されてはおらず、個人個人が自由に試しながらナレッジを蓄積している感じです。
蓄積されたプロンプトは、メールや報告書、議事録の作成、文章要約などで、今日お話を伺ったパワポ資料の作成という活用方法は、周りでそういう使い方をしている者がおらず新鮮でした。

AIの活用(付き合い方)には、いろいろ悩んでいるところですが、受け止める側が助けを求めつつも、しっかりと考えを持っておくことが大事だと再認識しました。
AIの活用はあくまでも手段なわけですが、可能性が未知数なので不安を持ってしまう印象でしょうか。
まずは慣れることが大事かなと思います。なので無料のサービスで試してみようよと思うのですが、組織上難しいところもあり、悩むところです。

私が利用しているより、企業や自治体で使っている、また使われようとしていることがよくわかりました。
AI、特に生成AIについてここまで考えたことはなかったので、本当にいい経験になりました。ChatGPTは少し怖いもの、もしくは疑わしいものという考えがあったのは事実で、あまり利用してなかったですが、これをきっかけに使っていきます。最後に、、やはりビジョンは大事です!

テクノロジーから入っていくディスカッションは、己の土台にあるものを持っておかないとフワフワするので、やはり短期的な目線では「問い」を、長期的な目線ではビジョンやパーパスのようなものを持っておかないと、色んな物事に振り回されてしまいそうだなということを再確認した時間でした。