京唄子・鳳啓助

「唄子・啓助」という漫才師がいた。京唄子さんと鳳啓助さんの夫婦漫才。(途中で離婚されたが)

京唄子さんには、「朝の連続ドラマ」に何本も御出演頂いた。ドラマの中で、京さんしか出せない存在感を出されていたと思う。

鳳啓助さんも一度、「朝ドラ」に出てもらった事がある。

最初の「朝ドラ」、「花いちばん」(1986年4月〜10月)。

夏の炎天下、陽炎が立ち上る様な極暑の奈良の田んぼの真ん中でのロケ。「暑い」という記憶しか無い。

この人里離れたロケ地で、鳳啓助さんから「差し入れ」を頂いた。

大きくてカラフルなビーチパラソルを田んぼの真ん中に立て、その下に「フランス料理のオードブル(クラッカーの上に、キャビアやチーズなど様々な具材が載った高級料理)を巨大なまんまるいお皿に並べて差し入れて下さったのだ。

そして、汗だくで走り回っているスタッフにそれはそれは熱心に、そのオードブルを食べる様に優しく勧めておられた。

「おおきに!おおきに!」

漫才をやっている時と同様、「満面の笑み」。人懐っこい人柄が溢れ出ている。

スタッフ一人一人がオードブルを手にして、啓助さんにお礼を言う。啓助さんも嬉しそうだ。

多分、ドラマのロケは初めてで何を差し入れたら良いか分からなかったのかも知れない。

でも、鳳啓助さんの優しさがスタッフに伝わった瞬間だった。

その鳳啓助さんが亡くなった。ちょうど、「朝ドラ」の収録でよみうりテレビにおられた京唄子さんにコメントを頂く事になった。ディレクターは僕だ。場所はメイク室の鏡前。

「VTR回ってまっか?」
と京さん。

僕が頷くと、京唄子さんは号泣しながら、鳳啓助さんに対する思いを述べられた。

「はい、OKです。頂きました」

僕がそう言うと、京唄子さんはスッと泣き止み、鏡の一点を見つめられた。

その顔には、「深い悲しさ」と「照れ隠し」の両方がある様に僕は感じた。

「相方」であり、「元・旦那」である鳳啓助さんへの熱く揺るぎない思いだと思った。

お二人ともすでに鬼籍に入られたが、「唄子・啓助」という漫才師の事を僕は一生忘れないだろう。

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