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根っこに沁みてる暖かさ

こんばんは。うみです。
いつも読んでくださってありがとうございます。

今日は、ふと私語りをしたくなったので、noteを使ってみたいと思います。


私は中学生の時にイジメにあいました。
と言っても、暴言吐かれたり暴力を受けるわけではなく、突然誰からも輪に入れてもらえなくなりました。

少し前に学校が大荒れしていたらしく、私が入学した頃は落ち着きは戻ったものの、先生方がいろんなところを力で押さえつけているような印象だったのを覚えています。

上級生が私の名前で勝手に同級生男子にラブレターを書いて下駄箱に入れ、しかも、その男子はとても人気のある子だったので、バカにされまくり、もちろんこちらには恋愛感情はないので注目を1人浴び、訴えても上級生はお咎めなしで、足が遠のきました。

不登校教室に行くと、父の恩師がそこでリーダーをしていて、副リーダーは小学校の時にこれでもかと可愛がっていただいた先生で、少しずつ元気を取り戻していきました。

そんな折、その不登校教室に部活の顧問が自分の担任の子を訪問に来ていたのです。
そこで、たまたま私にも会って行ってくれました。
「あのね、教室来れなくても、部活だけ来てもいいよ?待ってるからおいで?守るし!」
と、その言葉で部活だけ学校に行くようになります。

部員は空気のように受け入れてくれて、そのうちに、学校では話してくれない子たちが、塾だと普通に仲間に入れてくれたり、塾の前の時間に遊びにきてくれたりするようになりました。

そんなこんなで、
いじめられていたし、不登校だったし、最終的には学校に行けるようになったものの半分くらい保健室にいたけれど、
よくあるイジメの被害者達から比べたら、私ってとても軽症で、まぁ、この先も生きていればこのくらいの波はあるよね〜と思っていたほどでした。

いや、辛かったですし、絶対に同じ中学校の子達が行かない高校に行く!という固い決心はしましたけど、それでも私の中での私の位置付けは『軽症』だったのです。


さて、うちの父は薬剤師で、いわゆる町の薬屋さんでした。
ちょっと特殊な薬屋さんだったので、長居をする必要のあるお客様も多かったのです。

そのうちに顔見知りになって、身の上話をしたりすることもあったり、
店内をうろうろとしていた幼少期などは、相当お客様に可愛がっていただいたものです。
お客様でいらしていた香具師のおじちゃんは、堅気の店では絶対に悪いことをしなかったどころか、誰よりもマナーが良く、お祭りでそのおじちゃんに会うのが楽しみだったりと、
人間は見た目や学歴じゃないぞというのもとても学ばせていただきました。


とある日の夕方、部活を終えて1人で家路をトボトボと帰ってきました。
もう、そこに店が見えているほどの距離です。

突然向こうからこちらに向かってきたご婦人の足が早くなり、私に駆け寄るとガバッと抱きしめられたのです。

中学生になり、思春期も手伝って軽く挨拶をするだけになったお客様達。顔はなんとなく憶えはあるものの、名前も出てこず、明らかに動揺してしまいました。

「おかえりなさい。よく頑張ったのね」

と、一声発するとともに、私の肩がじわーっと濡れていくのを感じます。

女性はひっくひっくと嗚咽しながら「えらかった。」「よく頑張ったね」と声にならない声で微笑むのです。

そして「うみちゃんの好きなケーキ、お父さんにお渡ししてきたから、食べてね!疲れたでしょう!会えて良かった!」と言い、その場から居なくなりました。

ありがとうございます。

どこのどなたかもわからず、蚊の鳴くような声でお礼を言い、訝しがりながら店に帰りました。

父が「冷蔵庫にプラリネあるよ!疲れたでしょう!お食べお食べ!お客様に戴いたんだ!!!でも、さすがに一本丸々食べるのはだめだよ?」というので、
「うん、今、そこでお会いした女性に伺ったよ」と言ったのです。

「そうか!お会いできたのか!!」


時は2時間ほど遡って…

薬を買いに来ていらしたそのご婦人が、いつもは店にいる私がいない事に気づき、父に尋ねたそうです。

元小学校の先生をされていた方だそうです。大柄でいかにも真面目な上品な服装に、お手製と思われる素敵なブローチを毎回されていた記憶があります。

父は、イジメにあってること、不登校教室に行ってること、でも、最近部活だけするために学校に行ってることを話したそうです。

私が学校に行けない間、私の姿を実はとても気にかけてくださっていたらしく、
小学校の頃はハツラツとしていたのに目が虚なこと、でも何か諦めてない気がするとおっしゃっていて、

今の学校制度はね、イジメに遭っていると認定されたら、振り落とされるの。そんなことあっちゃいけないのよ。お嬢さんこそ救われなきゃいけないのに。
学校は面倒臭いから振り落とそうとするのよ。
それなのに、必死にしがみついて部活に行ったの?
なんてことなの?

と、ポロポロと心配して泣いてくださったそうです。
その後、父から薬を受け取り、
「お嬢さんならきっと大丈夫よ!先生、素敵なお嬢さんをお育てになって!私でできることがあればなんでも言って!」とお帰りになったそうなのですが、

私に会う直前に、
「ねぇ、むかーし食の細いお嬢さんが、プラリネ一本食い尽くしたって笑ってらっしゃったわよね?それって長女さんの話だったわよね?」と、

プラリネを持って再来店され、
父に「きっと見た目以上に疲れているから、甘いもの食べさせてあげて」とプレゼントしてくださったそうです。

その直後、ちょうど店を出たところで私を見つけ、走ってきてくださったわけです。


蚊の鳴くような声でお礼を言い別れましたが、
そのプラリネの美味しかったこと。
少し涙でしょっぱいプラリネでした。

次に会った時こそきちんとお礼を言おうと思い続けて30年近く経ちますが、今だにそのお礼は叶っていません。

中学生の私にはとても衝撃的な出来事でした。
私に肩入れしても、私のために泣いても、その方はなんのメリットもないのに、本気で心配し泣いてお金まで使ってくださって…そんな方が私の人生にいてくださること、顔も朧げにしか覚えていないその方の、ほんの数十秒のコマが、何度も何度もことあるごとに私の中でリピートされるのです。


モラ逃げをしてから、本当にたくさんの方の善意によって生かしていただいているうみとその子ども達です。

決して当たり前なことではないと、子ども達の心にも刻まれてほしいと思っています。

このモラ逃げ後の温かいご支援で、何度もそのご婦人を思い出す機会があり、つい先日母に動向を聞いてみました。

私には名前も存じなかったのに、母はすぐにそのご婦人の事だと分かり、話をしてくれました。

その出来事があってからまもなくして、夜に体調不良で救急搬送されたまま息を引き取られたそうです。
そんなことも知らずに、お参りにも行かず(もちろん父が代表して参列したそうです)、結局お礼も言えずじまいで大変もどかしく思っています。
思春期という己の発達すら恨めしく思います。

ですが、苦しくなるとその方が浮かび、折れそうになるとその方が浮かび、私の根っこを温め続けてくださっています。
今、なんの得もしないのに、私を手助けしてくださっている多くの方々にも、

本当に本当にありがとうございます。
まだ駆け出し始めたばかりでなんのお礼もできません。
いつか必ずなんらかの形でお返しさせてください。
そして、
どうかこの感謝の気持ち
忘れずに受け取っていただけたら嬉しいです。

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