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訃報の多い最近。「幸せに死んでいってほしい」という私の想い。


この記事は漫画の話なのかドラマの話なのか犯罪の話なのかあちこち広げまくっていますが、最近のいろいろの中で強く思ったことを吐き出す記事です。
著名な功績を残した方と犯罪者をならべるなとかいろいろご意見あるかもしれませんがご容赦くださいませ。



元旦早々に震災で始まり、悲惨な事故や事件などのニュースが続く2024年。
最近、「死」について考えることが多かった。


先日の桐島聡容疑者の自白とその後まもなくの病死は、とてもインパクトがあって、ちょっといろいろ考えさせられてしまった。

…およそ50年の逃亡生活。
もちろん犯罪を犯してしまったことが悪いのだし、逃げ続けたこともまた罪であることはわかるのだけど、
二十歳やそこらから50年、身を潜め、身元がバレることを恐れながら暮らし続けることの苦しさは相当なものがあったと思う。

音楽好きで明るい人と評判だったようだけど酒癖は悪く、酔って「お前に俺の何がわかるんだ」とケンカをしていたなどというエピソードを見ると、決して楽しいばかりではない本人の葛藤と苦しさが垣間見えるようだ。

むしろ事件直後に捕まっていたら、
数年の刑期を経て、前科があり肩身が狭いとしても、とっくの昔に自由に暮らせていたのである。
対して桐島容疑者の長すぎる50年…。


その容疑者が自分の死に際に、
「最期くらいは本名で死にたかった」と自分の罪を明かし、そして死んでいったこと。

この容疑者に対して、自分勝手であるとか逃げ得であるとかいろんな批判があるのは当然として、それでも、刑罰とはなんだろうかと考えてしまう。
名前も家族も捨てての50年もの孤独な逃亡生活は、ある意味では刑罰だったのではないだろうか。



漫画家の芦原妃名子さんの訃報も衝撃的だった。
漫画「Bread&Butter」を読んで芦原さんのファンになり、「セクシー田中さん」も大好きで、本当に楽しみに噛み締めるように読んでいた。

昨秋発売された「セクシー田中さん」の単行本第7巻で、ドラマ撮影にあたってキャラやあらすじなど原作から大きく逸れたと感じた箇所を修正していること、最終回までの展開やセリフに至るまで芦原さんが作っていることなどが書かれていたので「ドラマ制作にちょっと思うところがあるのだろうな…」とはドラマ放送開始前から感じていた。

ドラマ版「セクシー田中さん」は、原作では銀行マンの笙野が何故か商社マンで小西と同僚になっていたりと、細かい変更点はあるものの大筋は漫画に忠実で、毎回ウンウンと頷きながら見ていた。

そりゃあ原作がいいから、それに沿ったドラマも当然いい。

とはいえ、私の中では、以下の2点からドラマとしてはあまり高く評価していない。

①小西役の俳優さんがイケメンすぎる!
(小西はお世辞にもイケメンとは言えずモテなかったのに、いい大学・いい会社に入ったことで途端に女が群がるようになったことへの虚しさを感じているキャラでもあるので、あんなイケメン俳優さんが演じてしまうと逆に小西の良さが半減してしまう)

②肝心の田中さんのベリーダンスシーンに迫力がない
(映像だからこそ見せられる躍動感を期待していたのに、ベリーダンスを踊る田中さんの魅力がちっとも表現できてなかったと思う。半年くらいのレッスンでの撮影では仕方ないかもしれないが、カメラワークとか演出とかでうまく誤魔化せよ!!と本気で残念だった)


でも原作を知らない母は「すごくいい!面白い!」と毎週楽しみに見ていて、最終回を迎えた時は終わってしまったことをとても残念がっていた。


そんなわけで、原作から読んでいて、ドラマ化決定から放送までリアルタイムに全部興味深く見ていた私としては、芦原さんがドラマ制作のやりとりについて公表した時も、「やっぱり大変だったんだなー」と思いつつ騒動を見守っていた。
(そして件の脚本家さんがこれまた大好きなドラマ「恋ノチカラ」の脚本家であったことを知って、若干ショックも受けた)


訃報の第一報をネットニュースで見た時は、記事を2回読み直しても意味が理解できず、他の記事を読んで、読んで、いくつかの記事を読んでやっと亡くなったことを理解した。


泣いた。


「セクシー田中さん」の続きはもう読めないのか。
芦原さんのあの、日常の尊さを細やかに切りとるような繊細で優しい漫画がもう読めないのか。

芦原さんがもう生きていないのだと思うと悲しくてたまらない。
現実感は全くないのに、ふとした瞬間にその不在の重さが押し寄せて、
時折鼻をすすりあげる日々。

「どうして…」と本当に思ってしまう。


そんな訃報続きの日の昼間、
私は「幸せに死んでいってほしいんだよな」と不意に納得した。

人が苦しんで苦しんで絶望して死んでいくのがたまらない。
そんなの嫌だ。


高校一年の時の父の自死が、
きっと、自分が思っている以上にインパクトがあったんだろう。

というか、
死を選んだ父には、
悲しみや苦しみがあったのはもちろんなんだけど、

「せめて最期の、こと切れる瞬間くらいは、安らかでいられたのなら」と
遺族としてそこにしか希望を見出せないからこそ、
どうしようもなく願ってしまうんだろう。


だから私はどんな人にも、
最期は幸せに死んでいってほしい。


自分がスマイルヒントをやってきたことや今やっていること、
さまざまな経歴は、
結局のところ全部ここにつながるのだ。

わかりやすさや、言葉の強さにギョッとされないために
「日本人の幸福度を上げたい」とか「ウェルビーイングの向上」みたいなことを言ってきたけど、
そんな言い方は実はどこかピンときていなくて、


私の飾ることのない本心本音は、
「幸せに死んでいってほしい」


そしてできることならば、
「幸せに生きてほしい」


だから今も「よりよく生きること、よりよく死ぬこと」が私のテーマなんだ。



生きていれば、いろんなことがある。
いろんな人生がある。


死ぬ時には、走馬灯のようにさまざまな思い出がよぎるという。

たとえどんなつらいこと、苦しいことがあったとしても、
それで心がいっぱいになっていたとしても、


最後の最後、
こと切れる瞬間に思い出されることは、

せめてどうか、幸せな、幸せなものでありましたように…。



今年亡くなられた沢山の皆様の
ご冥福をお祈りいたします。



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