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[姉の5回目の命日]『当たり前』の反対は‥

2月23日は、5年前に他界した姉の命日。
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毎年その機会に、SNSで何度も言ってることですが、大事なことなので、今年も繰り返しお話します。


姉は、亡くなる3ヶ月前に初めて救急車で運ばれました。

私も後で駆けつけたのですが、その時に言われたのは、

【退院できない】

ということ。


つまりは、状態がひどく、回復して退院することはなく、このままこの部屋で死を待つ。

ということ。


ショックでした。


正直言うと、姉がそんな状態なことに、ではなく、

そんなことが起こるということに。


もし、自分が、突然倒れるとか事故に遭うとかで、急に病院に運ばれて、
「あなたは残りの人生をこの部屋で過ごすのです」
と言われたとしたら?


今の今まで、

普通に起きて
普通に仕事に出かけ
普通に仕事して
普通に歩いて帰り
普通に料理して
普通に家族とご飯食べて
普通にベッドに寝て

という生活をしていたのが、

急に病院のベッドに寝て、このまま歩けない、家にも帰れない 

としたら‥。


そんなことが、自分にも起こりうるんです。

健康な私でも。


その【起こりうる】という事実にショックを受けて人生観が変わりました。


どこかで聞いた

『当たり前』の反対は『有難い』

あるのが難しいということ。


そう。


『ありがとう』は、『有難い』の派生なんです。


毎日普通に動けて、生活できている、ということは、すごいことなんㅤです!

家があるのも、頑張って働いてる自分や家族のおかげ。

家が建ったのも、大工さんなど施工した方々のおかげ。

常に蛇口からキレイなお水が出るのも、水道関係の人々のおかげ。


世の中、『おかげさん』だらけです😊


そして、それは自分にも。

毎日ご飯作ったり、仕事したり、

それどころか、
心臓なんて毎秒欠かさず体全体に血液を送ってくれてるし、皮膚は体を守ってくれてるし、筋肉は体を自由に動かしてくれてる。


辛いことがあっても、何度も何度も乗り越えてきてくれた。


自分にも感謝です。


だから、『私なんて』と思わず、自分のことも愛してほしいと思うんです。


世の中の人々みんなに。


明日生きられる保証なんて誰にもないのだから、毎日大切に生きようと思うのです。

息子が小さい頃のお墓参り


この写真は、姉が亡くなるよりずっと前の、息子と父と行ったお墓参りのもの。

今も姉はここにいます。

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