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十牛図にみるわたし


十牛図入門「新しい自分」への道
著 横山紘一 
幻冬舎新書 

室町時代に中国から伝わり、
日本人が夢中になった不思議な十枚の絵がある。
逃げた牛を牧人が探し求め、飼い慣らし、
やがてともに姿を消す
ーという過程を描いた絵は十牛図と呼ばれ、
禅の入門図として知られる。

十牛図入門 裏表紙より

十牛図の解説書はたくさんあり、
臨済宗円覚寺派管長 横田南嶺老師のyoutubeチャンネルにて
「本当の自分とは?」十牛図に学ぶ


この解説動画は、とても分かりやすかったので
ご紹介しておきます。

自己肯定感が低い

もう良い年になってしまった私だが、
どうもひねくれた所があり、
自分で自分を認められないというところがあった。

5歳の時、初孫だった私をかわいがってくれていた
祖父が亡くなり
9歳で、病弱だった父が亡くなった。

死を身近に見た経験から、
死ぬことや、重力のない宇宙観を
よく想像する子どもだった。

母と妹との女3人の暮らしの中では、
長女として、子どもでいてる環境はなく
家族のため早く大人になることが私の役割だった。

できて当たり前、できなくても誰も何も言わない

世界ではフェミニスト運動が活発になってきて
女性という社会的な観念に疑問を持ち出す。

仏教に興味をもつ

父が亡くなっているので、仏壇のある家で
母は熱心にお寺参詣し、子どものころは
よく連れられていったものだが

法話に納得できるものやできないもの
熱心に話、聞いている人のイジワルな側面を
見てしまったりすると、とたんに嫌気がさす。

出家して、何もかも捨てて、自分と向き合うことが
正しい生き方なんじゃないか
などを本気で考えていた。


十牛図入門 42p  尋牛(じんぎゅう)

このあたりがまさに、第1の図 尋牛(じんぎゅう)
のフレーズだったと思われる。

靈氣との出会い

結婚して離婚して、自分の人生がどんどん
波にもまれている中で、レイキに出会った。
嫌々ながら受けたレイキだったが、
何かが変わっていくことを実感しだした。

靈氣というのは、日本生まれのエネルギーワークで
戦前は「手当療法」という民間療法として
日本中に治療院があったという。

その靈氣の学びで、八正道という
1番古いといわれる阿含経から示される
修行法 悟りへの道をしめしているものを知り

いろいろな書物、映画やyoutubeをはじめ
アンテナがピピっとくる情報を受け取りだした。

バラモンの階級制度の厳しい時代環境の中
仏教が生まれ、こころの安穏のための処方箋として
物事のみかたを学ぶことが当時の仏教で

母子家庭だと舐められるな をキツク言い続けた母
女の子はかわいくしろという大人や
女の子のカラダを興味だけで見ている男性
女性立場を訴えると「ウーマンリブか」と笑ってすます教師
当時、なぜそれらに反感を持ったのかが、
何となく、そして、自分というものが少し見えてきた

これが、第2図    見跡(けんせき)だといえる


十牛図入門 64p 見跡(けんせき)

承認欲求

次の第3図 見牛(けんぎゅう)は、
マズローの5段階欲求で見ると、精神的欲求の
承認欲求と言えるのではないかと思う


マズローの5段階欲求説

社会の一員として、生きているという自覚が
社会的欲求といえますが、
自分自身の思考や行動を肯定されることは、
大きな自信になります。

整体師になって、7~8年もの間、
全く稼げず、
それでもこの仕事を続けることだけを考えて

2つ3つとアルバイトを掛け持ちしながら、
3人の子どもとの生活をしていました。

私には整体師としての才能がないのか。
技術が未熟だからなのか・・・

悩みながらも、やめずに諦めずに続けたのは、
『カラダの声』を理解しだしたから。

数少ないお客さんだったけど、
私が話す その方のカラダについての説明は、
とても納得され、過去を浄化し、
カラダのことを理解され、
カラダとの付き合いを楽しむようになり
感謝される。

私ができることは、痛いところを治すわけではなく
私が学んだことから、カラダの状態を伝え
カラダとの新しい付き合いを構築してもらう。

感謝され、認められたことが、
わたしという自分の一部を見つけられたと感じたこと。

この道を進んでいいんだ。
見牛(けんぎゅう)は、牛の全体は見えないけれど
尻尾あたりを見つけた!というところ


十牛図入門 87p 見牛(けんぎゅう)

少し長くなってしまったので、 次に続けます


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