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マンガで将来の選択をした話

といっても、ネガティブな方向にですが。菫(すみれ)です、こんばんは。

私は、小学校3年生から中学校3年生までピアノをやっていました。割に回りは幼稚園ぐらいから習っている子が多く、教室のオルガン(昔は教室においてありましたよね)を得意げに弾くクラスメイトがうらやましくて「習わせてくれ」と母親に泣きついたのです。

私は、過保護を通り越して過干渉な母のせいか、あまり「こうしたい」という意思表示がない子供だったのですが、ピアノに関してはなぜか「弾きたい。人に負けたくない」という思いがあって、親に言うことができました。

たまたま、隣家の男の子がピアノを習っており、紹介をうけて習うことになりました。教室に行くのではなく、先生が訪問してくれる個人レッスンです。

今でも先生が持ってきた深い赤の表紙の「バイエル」のことを思い出せます。片手ずつ、少しずつ。1時間のレッスンで、母が頃合いをみておやつを運んでくるので、実質50分ぐらい教わっていたと思います。

個人レッスンなので、慣れたらどんどんペースアップして教本は進んでいき、バイエルを終わり、ハノン、ブルグミュラー、ツェルニー、ソナチネ、ソナタぐらいまで中学までかけてどっと早足で行ったと記憶しています。ショパンはやったのか、実家に本がありましたが、私のか姉のか分かりません。

先生はとても熱心な方で、ソルフェージュの基礎もやってくださったり、自宅のアプライトしか弾いたことのない私に、ご自宅のグランドピアノを弾かせてくださったり(グランドが1部屋に2台もあるお家でした。今思えば大きなお家です)しました。映画のサウンドトラックという存在を教えてくれたのも先生でした。その当時「紅の豚」のサウンドトラックをテープに録音したものをいただいて、いつもウォークマンで聞いていました。音楽に関連したいろいろな本も紹介してくださったのを覚えています。

ある日、先生が「これ読んだらどうかしら」と貸してくださったのがくらもちふさこ先生のマンガで「いつもポケットにショパン」でした。マンガが大好きだった私は大喜びで借りて、読み込みましたがまあこれが…音楽系の高校を舞台にした青春群像劇…というか、親世代も巻き込んだドロッドロ愛憎ドラマでして。無垢なオタク中学生の私にはなかなかの衝撃だったのです。かなり有名なものですから、今無料漫画などになっているかも。

中3にあがり、進路を考え出す時期に先生に「よかったら、音楽系の高校に進学したらどうか」と言われました。5歳上で、すでに音大のピアノ科に入っていた姉からも「私よりもピアノ向いてると思うよ」と言われていました。でも私は「もうピアノは中3でやめようと思います」と先生に言ったのです。

なんで??

それは先生に借りた漫画が理由でした。「いつもポケットにショパン」の中に出てくる音楽の世界があまりに競争が激しく、しかもピアノという楽器は人口が多いため特にその競争が熾烈であるという描写に心底ビビりあがってしまったのです。

まあすごいんですよ…。「いつも~」のヒロインは自覚していない天才型で、その幼なじみでライバル、のちに恋人となる少年は天才型と見せて努力型。ヒロインは自分には天賦の才がないと思い込まされていたのです。その刷り込みを行ったのは何と少年の母親なんです。ヒロインが遊びに来るたびに「あなたはピアニストの母親に似ていて、努力型である、天才にはかなわない」と小さい頃から繰り返し吹き込むという…。怖い!!

まあ、すったもんだの末、二人は恋に落ちるので、お話的にはヨカッタネーという感じなのですが……私にとってピアノはただ練習する→うまくなる、という楽しいものだったので、人と争わなければ続けられないのか!?とすっかり及び腰になってしまったのです。

今思えば、先に音大に入っていた姉に、実際はどうなのかと助言を仰げば良かったものを、相談するというスキルが全くなかった当時の私は「音楽の世界コッッワ!!」と逃げ出したのでした。

漫画ひとつでと思われるかもしれませんが、くらもちふさこ先生の描かれるお話は、繊細な描線で描かれているのに、その表現は熱くて激しくて、思春期の私が進路を決定する理由になるぐらいの迫力があるものだったのです。いや、ほんまやて。

音楽の道をあきらめた私は、2番目に得意だった英語で、推薦入学で高校へ進むことになりました。ピアノは一切やめてしまい、大人になった現在ではもう楽譜もほとんど読めなくなりましたし、指も動きません。

30代に差し掛かるころ「のだめカンタービレ」「ピアノの森」を読んで「ああ、音楽の道に進めばよかった!!」と本当に後悔しました。ピアノをやめた後、英語で入ったはずの高校で演劇にはまったのですが、今思えばアートの世界への未練が残っていたのでしょう。

大学も語学で入りました。でも、それを使って何をするかというビジョンが全くなかったため、大学4年の間をアルバイトに明け暮れて無為に過ごし何もスキルのない大人が1人生産されました。ごめん、親!!しかも私立大学…自分が親になった今、どんだけ恐ろしいことをしたか分かります。ごめんやで、ほんまにごめんやで。

今の私はほんとうに何のスキルもない大人なので、今更いろいろと勉強などし直しているのですが、あの時ピアノをやめなければ一つだけでも取り柄が残っていたのにな、と思うことがあります。後悔先に立たずです。

でも、あの時マンガを読ませてくれた先生のことを恨むかというとそうではなく、技術に限らずたくさんの知識を一生懸命与えてくれたことに感謝をしています。マンガだって、私が勝手に「こわい」と思っただけで、先生は「音楽学校や、ピアノで身を立てるイメージができるかな」と思ったのかもしれませんし。

「いつもポケットにショパン」は大人になって文庫版を自分で買い、何度もの引っ越しでも捨てることなく、まだ私の本棚に残っています。それだけ印象深く、忘れられない作品です。

しばらく読み返していませんが、今また読んだら、主人公視点ではなく、親の気持ちが分かって(例の、主人公に嘘を吹き込んだ恐ろしいおばさんの気持ちとか…)また全く解釈が変わるのかもしれません。そんなところも漫画のいいところだし、人の人生の選択をするきっかけにすらなる、すごい存在だと思います。

今は安いレンタルや、出版社の無料のアプリでたくさんの漫画が読めますが、私の子供時代は買うか友人に借りるかしか読む手段はありませんでした。今の子供たちより読む作品の絶対数は低かったと思います。だからこそ一つの作品を何度も読み返す、味わう読み方をして、心に刻まれていったのかもしれません。

息子が高校生になり、そろそろ将来のことも考えなければいけない時期に差し掛かってきました。彼はどんなきっかけで将来を選ぶのだろうと思います。彼の本棚に並んでいるのは…「ジョジョ」と「男塾」!? どうなるのかな…。ちょっと不安です。



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