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ノエル・ギャラガー ソロ10周年に寄せて ~後編 歴代スタッフが語る!”ノエル・ギャラガー” の素顔について!

ノエル・ギャラガーが、ソロ・プロジェクト<ノエル・ギャラガーズ・ハイ・フライング・バーズ>を始動させてから、今年2021年で10周年を迎えました!

ノエル・ギャラガーズ・ハイ・フライング・バーズ_アー写(c)Matt Crockett

そんな10周年を記念したソニー・ミュージック洋楽noteでのノエル・ギャラガー特集ですが・・・

後編は、ノエル・ギャラガーを担当ディレクターとして最も近くで見てきた3人が、ノエルのソロ・デビュー10周年を記念し貴重なエピソードを語る座談会をお届けします。前編に引き続き、座談会の進行&執筆は妹沢奈美氏におこなっていただきました!

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参加したのは、オアシス6枚目のアルバム担当以降、オアシス、ビーディ・アイ、ノエルのソロ・アルバムの原盤直接契約、肖像権契約、ファンクラブ契約、その後の全般の業務サポートに携わる小沢さんノエル・ギャラガーのソロ初代担当として3枚のアルバムを手掛けた(2011年〜2019年)武藤さん。そして、ソロ二代目担当(2019年〜)として今年発表のベスト・アルバム『バック・ザ・ウェイ・ウィー・ケイム:VOL.1 (2011-2021)』などを担当している仲田さん。期せずして全員が女性、しかし女性ばかりだったからこそのノエルならではのエピソードもここで明かされます! ぜひお楽しみください。

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ちなみに前編はこちら ↓↓↓↓↓

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サブ_ ノエル・ギャラガーズ・ハイ・フライング・バーズ_アー写(c)Matt Crockett

――近くで見てこられた皆さんが、ノエルのアーティストとしての凄さを感じた瞬間って、どういうところでしたか?

仲田:そうですね、ノエルは大人だなと思ったのは…オアシスというバンドがもうない中で、でもまだ ”オアシスといえばノエル” と思っているファンもいる。他のアーティストだと、そういうのを重荷に感じたり、自分にとっては未来ではなく過去の話なので、そういう話をしたくないという人も多いと思うんです。でもノエルは、ソロの最初のツアーからオアシスの曲もたっぷりやってくれて、今年のベスト盤関連のインタビューを読んでいても、「オアシスはみんなのものだから」とよく言っている。すごいですよね。

――確かに。

仲田:オアシスは一つの歴史、一つの宝物として、過去のものではあるんだけれども、アーティストにとってはファンが一番大事だということを彼は理解している。その人たちのためにオアシスの曲を、ライヴでも、ラジオやテレビで出る時もちゃんとやる。何をファンが求めていて、何でファンが喜んでくれるのかをわかっていて、それをやってくれる優しさというのはすごいなあ、とひたすら思います。

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――うんうん。小沢さんはどうですか?

小沢:アーティストのすごさには、ソングライターであれば、書いた曲のすごさという側面もあって。それでいうと彼はこれまで世に出してきているものがすごすぎて。曲の素晴らしさと人柄やキャラはある意味、関係ない。そういう前提ではありつつも、ノエルは人柄も面白くて、オアシス時代からノエル・ソロ時代を通じて全くブレないのがすごい。「俺は緊張しないから」といつも言っているけど、本当にそう。ステージに出る5分前に楽屋に行っても、平気。常に平常心でいられる凄さ、ですね。それこそ、「ドント・ゴー・アウェイ」はツアー中のホテルの部屋で書いたと言ってましたが、それも別に嘯いているわけではなくて。どこでも日常を送れる、いい意味で鈍感力の高い天才だと思います。

――なるほど(笑)

小沢:何事にも動じなくて、いつも素のままだから、視野が広くて、自分の世界をキープしながら常に動ける。それがノエル・ギャラガーの強さですかね。…それにしても、ノエルの『撮れ高の高さ』って異常だから。

ノエルの ”撮れ高” 事例ー自身のライブに向けてのコメント…!

武藤:そうですよね。

小沢:オアシス時代は例えば30分とか、写真撮影ありで45分とかの取材をすると、リアムは死ぬほど遅れてきたり、時には来なかったり(笑)

一同:(笑)

小沢:だから、リアム抜きで進められない写真だけは次の日に撮ったりする。片やノエルは質量ともに30分間とは思えないことを話す。もう、決め台詞しか言わないから全編どこでも見出しに使えるわけ。頭がいいのはもちろんだけど、本質的に何を聞かれているのかを察知して、それに一番ふさわしい答えを、しかもちゃんと面白く提供してくれる。音楽の才能だけでなく、喋るという意味でのコミュニケーションの天才っていうところも、当代きって。90〜00年代といろいろな人がいたけど、同じ時間内に同じ質問をした時の撮れ高は、ノエルは他の人の3倍分くらいになると思う。それはもう、コミュニケーション能力の高さと言うしかないでしょう。

武藤:そう、ノエルさんすごいですよね。質問に対する答えが、やや長いわけです。すごく喋ってくれるから。で、話の流れがあっちに行って、こっちに行って、あれどっちに行くのかな…ということがあるわけです。でも必ず戻ってきて、質問の内容に帰結するから、どういう風に頭の中で考えているのかなあと。しかも、ネタを差し込みながら喋る(笑)

以下ノエルのインタビュー事例をご参考まで。

――既に面白エピソードが出てきていますが、実際に皆さんがノエルのステレオタイプなイメージとは違う、意外だと思った部分はどこでした?

武藤:私は一番最初のノエルのソロの取材で、イギリスに行ったんですが、初めてノエルに会うので、当日まで、めちゃくちゃ緊張しました。でも会ってみたら、すごく穏やか。自信があるからかもしれないし、すごくジェントルマンだと思いました。大人だし、取材は面白いし、ちゃんと答えてくださるし。

小沢:ノエル、歳をとって丸くなったと思いますよ。あと、日本は特別だとも思う。取材などの現場がここまで女性だらけというのは日本だけだし。そういう現場では彼はジェントルマンになるので。

武藤:うんうん、なるほど。

小沢:キーボードのマイキーがいるでしょ?彼は「ドント・ルック・バック・イン・アンガー」のレコーディング時のキーボードだったから、ハイ・フライング・バーズではオリジナル・キーボードによるイントロでの "まさにリアルなドンルク" が聴けるわけですが、で、そのマイキーが話してくれたのが、オアシスの本当の初期から、ノエルは周囲の女性スタッフたちに常に敬意を払うタイプだったと。女性に対して差別的な言動をしたのを見たことがないと。それって25年以上も前のことで、エンターテイメント業界は『女なんて』っていう時代。でも、そう言われれば、オアシスのツアー・マネージャーって女性だったの。当時は女性のツアマネは珍しかったと思う。女性ツアマネが現場を仕切るのをギャラガー兄弟がちゃんとリスペクトしつつ、その言うことをときどき聞かない弟と、聞くお兄ちゃんがいて。

武藤:(笑)

小沢:ノエルがソロになった今、彼のバンド・メンバーにも女性が入ってる。ノエルは昔から女性の前でちょっとカッコつけるところがあるから(笑)今や楽屋でも超ジェントルマン。で、日本に来ると、ノエルの現場を仕切る9割方が女性(笑)

武藤:ジェントルマンを出し放題ですよね。

小沢:(笑)出し放題。ツンデレのデレが出まくっているのかも。あと、オアシス時代と比べると、本当に丸くなった。今の自分がやっていることに対して満足して納得して次に行く人だから、過去に後ろ髪を惹かれることなくどんどん進んでいるし。

武藤:やってることに対して、幸せというか、満足感が高いんでしょうね。

小沢:超満足だと思う(笑)。ほら、最初のツアーでは、メンバーとノエルで楽屋が分かれてて。仲が悪いわけじゃないけど、みんながなんとなく気を遣っていたようなところもあって。その後、ゲムやクリスが入ってきたりと昔のメンバーが戻ったこともあるかもしれないけど…女性の楽屋はもちろん別にあっても今じゃだいたい全員が同じ楽屋でガチャガチャと動くようになった。多分ソロデビュー直後は、バンド・メンバーが気後れするところもあったのかも。やっぱりノエル、すごい人だし。ところが女性が入ってきたあたりから、いきなりふんにゃりした(笑)

【ご参考】ノエルとバンドメンバーの写真

武藤:(笑)確かに。

小沢:今じゃ楽屋もすごくいい感じで、大きな家族とでもいう感じの一体感。いい具合に変化してきているのかもですね。

――なるほど。では次に、『この人を担当して良かった』と思ったところというと?

仲田:私からいいですか? 2019年のライヴ来日は、武藤さんが卒業式のように大泣きされていた中で。

武藤:(笑)

仲田:私は、担当して初めての来日ということでとても緊張していたんです。で、ツアーで東名阪をまわる中で、私が高校生のときに一番好きだった曲と言っても過言ではないオアシスの「トーク・トゥナイト」を、三日間連続で生で聴けたんですよ。なんて、なんて幸せなんだろうと思いました(笑)。リハーサルまで見せてもらえて、どういう風にライヴを作っていくかを、これぐらいのキャリアのあるアーティストに見せてもらえるのは本当に幸せなこと。担当になり、前よりも近い距離でたくさん見たときに、こんなに名曲しか書けない人のライヴを見せてもらえるのは、いち音楽ファンとしてこの上なく幸せなことだと実感しました。武藤さんが泣いているところで、私も実は、感動で泣きそうになっていました。

武藤:(笑)

仲田:だから、やっぱりライヴですね。どんなアーティストでもそうですけど、ライヴが見れるのと、それに対してのお客さんのリアクションを見るのは、担当として一番モチベーションが上がる部分ですね。私は2019年の時はまだ担当したばかりだったんですが、例えば何年もかけて日本で頑張ってきたアーティストのライヴに行った時に、お客さんが合唱したり涙している姿を見ると、めちゃくちゃ辛いことがあったとしても(笑)、プラマイゼロになるというか、むしろプラスになる。ノエルさんの場合は、何倍にもプラスになる(笑)

小沢:仲田ちゃんにそう思って担当してもらっているだなんて、本当にノエルは幸せ。

仲田:(笑)いやいやいや、でもそう思っている人が、この日本という国だけでもこれだけいるんだなと、ライヴのたびに思います。しかもノエルは各地でソールドアウトするし、フジロックとサマソニの両方のヘッドライナーもやれる…ソロ・デビューをした翌年にいきなり、フジロックのヘッドライナーをやれちゃうアーティスト。

武藤:うん、うん。

仲田:それだけ、すごい人なんだなと。で、私だけじゃなくて、会社の人間全員が、そういう人に関われているのはすごく幸せなことだなといつも思います。もちろん緊張はするんですけど、さっきお話にもありましたように、性格が良くて、大人で、全て100%のサービス精神で対応してくれて、それでもってあれだけすごい曲が書けて、ライヴも全部ソールドアウトさせて、あれだけの人を感動させて自分の国に帰っていく。なかなかそんな人はいないって思いますね(笑)。すいません、めっちゃ熱く語ってしまいました。

――とんでもないです! 武藤さんは、担当されて良かったのはどこでしたか?

武藤:今の時代ってマスターテープは世界中の担当者に一斉に来るんですけど、ノエルさんは全世界共通でソニー所属のアーティストというわけじゃないので、個別に届くんです。個別に届いて一人でそっと聞く、みたいな時間があるんですが、『幸せ…❤️』と(笑)。で、2枚目の時だったか、アルバムの本編の後に、日本のボーナス・トラックがポンと来たんですよ。しかも、すごくいい曲。誰もいないオフィスの中でそれを聴いている自分を、すぐ近くで客観的に見ていた自分がいたんじゃないかぐらいに、あの時のことは全て思い出せます。曲を聞いたときの感覚とかがすごく残っていて、思い出すだけで幸せですね。

――うんうん。

武藤:毎回、アルバム先行試聴会用に社内でいろいろ映像素材を作るんですけど、曲にあった写真を選んだり、タイトルをつけたり。修正する時やリハーサル、本番で聞いて、試聴会の本番に至るまでに10何回聞くんですね。1枚あたり1時間くらいかかるので、飛ばして聞けばいいのに、やっぱり全部聞いちゃうんです(笑)。その仕事自体が、そういう意味でもとても幸せでした。

小沢:確かに、オアシスとかノエルに限らず、業務で一番嬉しいのは、最初に誰も聞いたことがないタイミングで音を聞けることよね。それが一番最高。

仲田:うん、ほんとそうですね。

武藤:ね! 自己満足かもしれないんだけど、『うおぉぉぉ』っていう。しかも、一番最初に聞いてる感じが、なんとも言えない。

仲田:それでいうと、私、今年のベスト盤のボーナス・トラックに日本だけフジロックの音源を入れたいと思ったんですね。10周年だし、スマッシュさんにはずっとノエルがお世話になってきているし。あとコロナ禍でみんなライヴを見れないからこそ、どうしてもライヴ音源を入れたいと。で、本人側も快くO Kしてくれて、スマッシュさんにご相談したら、2012年7月のフジロックの音源を送ってくださったんです。

――それはすごい!

仲田:そう。で、まず一回通しで聞いたんですが、リモートだったので家で一人で聞いて、大号泣ですよ(笑)

一同:(笑)

仲田:コロナ禍でライヴにも行ってないし、そもそもノエルのライヴは合唱が圧巻なんです。その、お客さんの熱量がめちゃめちゃ伝わる音源で。しかも映像じゃなく、音源なんですよ。もう本当に素晴らしい音源でした。やっぱりライヴに行けてない中で、フジロックというノエルにとっても2回出ているいい舞台の音源を改めて聞けて(笑)。選曲に悩むくらい、なんて最高な音源なんだろうと。大至急で上司にも、『聞いてください、これ、やばいです、今聞くと本当にしみます』と送りました(笑)。上司もやっぱり『いやー仲田ちゃん、これは1枚まるまる、この作品を出したいね』って(笑)」

一同:(笑)

仲田:武藤さんがおっしゃったように、ノエルの場合は一つ一つの作業がそんな感じなんですよね。どれもが、幸せな作業でしかないという(笑)

――うんうん。では次に、『今だから言える、ノエルとのちょっとした秘密のエピソード』というと?

小沢:うかつにも素で感動してしまったことが一つあって。直近の来日のことなんですけど、実はむーちゃん(武藤)の涙の前に、私の涙もあったという。

仲田:あー、わかったその話!泣いちゃうやつ。

小沢:5年間NY駐在をしてて、2019年3月末に帰国したんですけど、帰国日からぴったり一か月後にうちの父親が突然散歩中に倒れて亡くなってしまって。丁度平成から令和に変わるタイミングの10連休GWだったので、泣き暮らして。連休中だったため会社の皆さんにはあまり知られることなくすっと仕事復帰しまして、最初の現場がノエルの来日。
ノエルはいつもリハで予定曲を全部順番通りにやるんだけど、前回のセットリストに「ストップ・クライング・ユア・ハート・アウト」が入っていて。今まで何度も聴いてきたのに、あの歌詞がその時の私にズドンと来ちゃって。『泣かなくていいよ。いつか光が見えるから』って歌ってる姿に、リハ見ながらもう大号泣。で、その日の本番のステージで曲前のMCで、いきなりノエルが『俺の友達のアキコに』って捧げてくれちゃって。そこでまた大号泣。会場のお客さんからしたら「アキコって誰だよ?」って感じだったと思いますけど(笑)

――優しいですね、ノエル。小沢さんがリハで泣いているのが、見えたんでしょうか。

小沢:いや、リハ会場は暗いから流石に見えないし、ご本人に言ってもなかったので。なんか…え!?ノエル、テレパシー持ってる?って感じで。会場で大号泣してから、楽屋に行ったら、そこで今度はむーちゃんが泣いてるという(笑)

仲田:みんな泣いてましたねー。

武藤:ノエルさんも『おお、こりゃなんだなんだ』と思ったでしょうね(笑)

小沢:むーちゃんの涙に困ったノエルが、『お前はいつでも俺たちのご飯会に参加していいんだからなっ』って慰めてたのがホント可愛くて笑えました。

――武藤さんは、いまだからのお話ってありますか?

武藤:私は、自分がやらかした話になるんですが(笑)。ロンドンでギターを持って撮影することになって、ギターを3本くらい持って来てもらったんです。そうしたら、ストラップがなかったんですよ。それでノエルが『持てない…』と。こっちは慌てますよね。そうしたら、スタジオのスタッフの方が大至急買いに行ってくれたんです。なので、ギターを持たない撮影から始めて、その間に3つくらい買ってきてくれて。するとノエルは、そのストラップを見ながら、『どれもダサいな』って(笑)

一同:(爆笑)

武藤:『マジかこれ』みたいに言われて(笑)。でも、鼻歌を歌いながらつけて、撮影してくれました。冷や汗は出るし、『ダサいから持たない』と言われたらどうしようと思ったんですが、楽しそうに持ってくれてよかった。私のポカを、優しいノエルさんに救われました。2枚目の取材でしたね。3枚目の時は、日本からストラップをちゃんと持っていきましたから。

この時の写真がコチラ Photo by Mitch Ikeda

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小沢:いいね(笑)
仲田:面白い(笑)

武藤:今度こそ、と(笑)。あと、サマーソニックの2018年の時かな、マリンスタジアムの楽屋で取材をした時に、外のライヴの音が本当にまる聞こえなんですよ。どうしようと、取材の順番や部屋を入れ替えたりバタバタしていた時に、御一行様が到着したんですね。で、私はスタッフの人たちと慌てて話をしていたんです。すると…これもちょっと、自慢ではないですけど嬉しい話なんですが、後ろからひゅっと誰かに肩に手を回されたんですよ。

小沢:(笑)

武藤:日本人で、肩に手を回す人はとりあえずいないじゃないですか(笑)。で、誰?スタッフ?と思って振り返ってみたら、ノエル兄さんだったんですよ(笑)。なんかもう、びっくりしちゃって。『おお、このあと取材、よろしくお願いします!』みたいな。

一同:(爆笑)

武藤:他のアーティストで、さっき仲田さんが言っていたように『わー、久しぶり!』みたいな感じになる人はもちろんいるけど、やはりノエルさんだと担当していても、恐れ多い存在なんですよね。そんな方が、後ろから通りすがりに肩を持つっていうのは今思い出しても、嬉しいですね。ああ光栄だなあ、って。

小沢:(笑)ノエル、ずるいとこあるのよね。ポイントを稼げるのを、わかってる。絶対ずるいよ!

――(笑)。楽しい時間はあっという間で、時間が来てしまいました。これが最後の質問になります…皆さんは、これからのノエル・ギャラガーの何に期待をしますか?

仲田:ノエルはもう50歳も超えて、オアシスからは30年、ソロとして10年、アルバムも3枚出して、最近はEPを出してサウンドも変えてきた。さっきも武藤さんがおっしゃってましたけど、進化を全然止めていないというか、生ぬるいところに止まろうとしていないのが、素晴らしいですよね。オアシス時代から、彼が軸としているソングライティングの部分、普遍的でタイムレスな楽曲を作るというのは全く変わっていなくて、だからこそ10代の子がオアシスを初めて聞いて心を動かされたり、40〜50代でいまだに聞いている方がいたり。そうやって世代を超えるアーティストは、なかなかいないんじゃないかなと思いますね。ノエルそんなこともするんだ、っていうくらい違うジャンルにチャレンジしたら、それはそれで面白そうだなとも思うんですけど、やっぱり、普遍性というのがノエルのソングライティングにおけるキーワード。そこに、ここから先の10年も期待したいと思っています。

武藤:もう本当に、コロナが明けたらいの一番に来て欲しいですよね。今でさえ、コロナが明けたらすぐにライヴに行って、何を見ても泣いちゃうのかもしれないんですけど、それがもう、ノエルさんだったら、どれほど滝の涙が出るのかっていう。

小沢:(笑)

武藤:(笑)とにかく、日本に来ていただきたい。音楽を作り続けていただきたい。そして、こんなことを言うと怒られちゃうかもしれませんが、またオアシスという形でも見たいなと、オアシスからのファンとしては思いますよね。3枚目のアルバムの初回盤のD V Dに、ノエルさんが語る50年史と未来というのがあって、その中で自分が薄毛にならない限りは音楽をやり続けるみたいなことを言っているんです。もし本当にそうなのであれば、私はもう、心の底から薄毛にならないことを祈るんです(笑)。それを、オアシスとビーディ・アイの担当だった市川さんに話したら、『さすが兄弟だ、リアムも同じことを言っていた』と」

一同:(爆笑)

武藤:オアシス再結成のためにも、兄弟揃って髪の毛を大切にしてもらいたいですね。

仲田:今回のベスト盤のインタビューでも、ノエルはめっちゃ言ってましたね。俺の魅力はとりあえずこの髪だ、成功の秘訣はグッドヘアーだ、と。相当髪の毛にはこだわりがあるんですね(笑)

武藤:本当、いつまでも若々しくいて欲しいですね。いろんな意味で普通の日々がまた来て、音楽がまた聞けたら、どうぞ日本にまた来てください、と。それだけですね。

小沢:私は一言で言うと、『長生き』。ノエルは、こうなりたいとか、こう見られたいとかがなくて、自分の好きなように生きてるじゃない? それはオアシスを始めた時から、ずーっと変わってないと思う。そこからソロになって、今もすごくやりたいことが出来ていて、更なる充実感があって、めちゃめちゃかっこいい“おっさん”になって、楽しんでアーティストをやって人生を送っている。その姿は憧れでしかないです。これからもそれを、彼のスタイルでやり続けていって、かっこいいなと思わせ続けてくれるのだと思う。だから一人のアーティストとしては、長生きして、死ぬほど曲書いて、このまま自由に好きなことをやり続けて欲しいと思いますね。

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前編後編にわたり、“アーティスト”としてのノエル・ギャラガー、そして“人”としてのノエル・ギャラガーの魅力をお伝えしてきました。
いかがでしたでしょうか?

オアシスでのキャリアを経て、自身のプロジェクト<ノエル・ギャラガーズ・ハイ・フライング・バーズ>としても進化を止めることなく、10年を歩んできたノエル。彼が生んだ数々の名曲と共に、“ロック・レジェンド”という顔の裏にある、“人間”ノエル・ギャラガーも感じて頂きながら、
これからの10年の歩みにも、注目していきたいです。

お読みいただき、ありがとうございました!

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