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なぜ「論文を書かない研究者」を無くすと日本の研究力が低下するのか ~研究者の任期制について考える~

1.研究者も地位財にしばられている?

突然ですが、想像してみてください。

社内ニート

(出典:いらすとや

自分より仕事のできない奴・やる気のない奴が、自分と同じ給料(または自分より高い給料)をもらって安定した職に就いている。
「論文を書かない研究者」が、自分と同じ給料(または自分より高い給料)をもらって安定したポストに居座っている

こんな状況に自身が置かれたらどう思いますか?
むかつく?
不公平だと感じる?

それは人間にとって自然な感情です。
行動経済学の提唱する「地位財」という考え方でそれを説明することができます。

人間にとって「自分より下だと思っている人間が幸福になること」は不幸であり、「他人より上にいること」は幸福である。
このように他人との比較によって満足が得られる財「地位財」といいます。

例えば、「自分よりダサい」と思っている人が、自分と同じ服を着ていたら…?
人間はそこに「不幸」を感じます。
これを現象として捉えたのが「地位財」という考え方です。

およそ20年前より、研究者の任期制が推進されてきました。

多くの研究者もこれに賛同または容認してきたわけですが、その背景に

論文を書かない研究者が無期雇用で研究者ポストに居座っているのはけしからん。自分はちゃんと論文を書いて業績を出しているのに、業績を出していない彼らと待遇が同じ(もしくは下)なのは不公平だ

といった地位財的な感情があったことは否定できません。

今もまだ70代の研究者を中心に、「論文を書かない研究者をクビにする」というアプローチを重視する主張が見られます。

“日本の大学における最大の問題は、論文を書かない研究者がクビにされないこと。研究業績をあげていないにもかかわらず、学生に対する講義をこなしていれば、それだけで大学から重宝されてしまう。一度教授になってしまえば、定年まで安泰です。”
(小松和彦(国際日本文化研究センター名誉教授・元所長)、2021年2月15日 WEB VOICE

では、そのような動機と経緯をもって研究者の任期制が導入された結果、日本の研究力はどうなったでしょうか?


2.日本の研究力はどうなった?

およそ20年前より研究者の任期制が推進された結果、国立大学においては、2007年度(平成19年度)に24.6%だった任期付き教員(研究者)は、2017年度(平成29年度)には37.2%と増加しました。

図27

日本の研究力低下の主な経緯・構造的要因案 2018年4月 文部科学省)

研究大学において年齢別で見てみると、2007年度から2013年度にかけて、20代30代の任期付き教員(研究者)44%から65%に、40代の任期付き教員(研究者)22%から36%に増加しました。

図26

日本の研究力低下の主な経緯・構造的要因案 2018年4月 文部科学省)
※RU11とは、研究及びこれを通じた高度な人材の育成に重点を置き、世界で激しい学術の競争を続けてきている大学(Research University)による国立私立の設置形態を超えたコンソーシアム。北海道大学、東北大学、東京大学、早稲田大学、慶應義塾大学、名古屋大学、京都大学、大阪大学、九州大学、筑波大学、東京工業大学の11大学で構成される。

このように任期制の研究者が増加した結果、日本の研究力はどうなったでしょうか?

日本の部門別論文数・Top10%補正論文数の推移を見てみると、論文生産のピークは2004年であり、その後、停滞および衰退し続けていることがわかります。

図1

日本の研究力低下の主な経緯・構造的要因案 2018年4月 文部科学省)

科学論文数世界シェアに関しても、主要先進国で日本だけが後退しています。

図0

『大学が壊れる』週刊東洋経済eビジネス新書No.252)


さて、あたかも任期制の導入が日本の研究力低下の要因になったかのように書いてしまいました。
このように書くと、「任期制推進と研究力低下は関係ないだろ!」いう反発を受けそうです。

もちろん、任期制推進と研究力低下の因果関係を実験的に証明することは不可能でしょう。
少なくとも、マクロなビッグデータ解析を待たずに断定することはできないかもしれません。

しかし、文科省の認識を無視することはできません。
文科省は、日本の研究力低下の主な経緯・構造的要因に「人材流動性向上を目指した任期制普及、期間限定・分野特定型の大型プロジェクト雇用の拡充」や「任期無しポスト減」をあげています。

文科省がこのような認識を示しているのは、任期制普及が日本の研究力低下につながったと考えられる、その確からしさを示す多くのデータ・傍証があるからに他なりません。

少し長いですが、研究者の任期制と日本の科学技術衰退を結び付けたテクストを引用します。

“文部科学省科学技術・学術政策研究所の「2018年 2月調査『博士人材追跡調査』第2次報告書」によると、 博士号を取得し大学や公的研究機関に就職した半数以上の若手研究者は3年半後も任期付き雇用にとどまっている。任期制雇用の不安定な環境での研究は若手研究者のキャリア形成に深刻な問題をもたらしている。不安定さゆえに短期的な成果を求められ、長期的な展望に立った研究に取り組む意欲が奪い取られる。また結婚や子育てといった人生設計への将来不安からも閉塞感が広がっており、日本において博士号の取得と研究者の道を歩むことは魅力的なキャリアではなくなりつつあるとも言われている。多くの学識者やノーベル賞受賞者も日本の科学技術衰退を懸念するとともに人材育成の重要性を説いている。天然資源に乏しい日本にとって知識や技術そして人材は重要な資源であり、そこへの投資は国の発展にとっても重要なはずである。”
月間DIO 2018年3月号 No.335

これは、多くの研究者が実感していることかもしれません。
任期制の推進・普及は、研究者個人レベルでキャリア形成に深刻な問題をもたらし、研究機関・大学といった組織レベルで短期的な成果を求める傾向を生み、日本全体として、社会レベルで研究力の低下につながる。

ここで思い出しましょう、研究者の任期制推進に賛成・容認してきた研究者が多くいた(いる)ことを。
そこに、「論文を書かない研究者が無期雇用で研究者ポストに居座っているのはけしからん。自分はちゃんと論文を書いて業績を出しているのに、業績を出していない彼らと待遇が同じ(もしくは下)なのは不公平だ」といった地位財的な感情があったことを。
そういった感情は、「論文を書かない研究者をクビにする仕組みを作るべき」という制度改革として具現化し、任期制推進の養分となったことを。

以上のことから、このようなことが言えるかもしれません。

“「論文を書かない研究者の排除」と「日本の研究力強化」はトレードオフである“

つまり、両者は両立しない
「論文を書かない研究者」をなるべく減らし、無くすようにすると、「日本の研究力」は低下してしまう
逆に、「日本の研究力」を強化させようとするならば、「論文を書かない研究者」を組織・共同体から無くすことはできない

このトレードオフの関係は、一般的なイメージとは異なります
一見、「論文を書かない研究者」を排除して、「論文を書く研究者」のみに組織・共同体を純化すれば、「日本の研究力」が強化されるように思われるからです。
しかし、この20年あまりの日本の経験、すなわち研究者の任期制推進と研究力低下は、この一般的なイメージに対し疑問を呈します

なぜ「論文を書かない研究者」を無くすと日本の研究力が低下するのか
科学技術政策とは異なる視点 ―会社経営の指針と生物学の知見― から、考えてみたいと思います。


3.2割のローパフォーマーをどうするか問題(会社経営の視点から)

社会学における『2:6:2の法則』というものを聞いたことがある方も多いと思います。(『2:8の法則』『パレートの法則』とも呼ばれます)
組織において、人材を組織への貢献度で分類すると、上位2割は優秀(特に貢献している)、中位6割は標準(平均的に貢献している)、下位2割は劣等(受け身で貢献度が低い)になる、という経験則です。

会社経営の組織マネジメントにおいては、下位2割のローパフォーマーに対しどのようにアプローチするかということが論点になることがあります。
一つの方法として、『下位2割のローパフォーマーを組織から排除する』というものがあります。
ローパフォーマーの排除後、残った人材は組織内で再度2:6:2に分布しますが、絶対値でみれば全体を底上げできる、という考えが背景にあります。

しかし、この方法は組織全体の発揮能力が下がるといわれています。

“例えば、繰り返し下位2割が組織から排除される可能性があると、上位・中位あわせて8割の社員の士気が下がり、業績も下がるのです。社員は、明日は我が身と考え、自身の存在価値を死守するからです。すると情報や感情が共有されなくなります。ノウハウは引き継がれず、ブラックボックス化します。部下、後輩の育成は進みません。信頼関係は崩れ、協働とは程遠い状態になります。社員は社長の顔色を必要以上に気にするようになり、社長は組織の実態が見えなくなります。この結果、各社員の立場・役割は変わらなくなります。組織への貢献度も固定化し、年月だけを重ねます。やがて、組織全体が環境変化に適応できなくなります。”
今週の「コジマ式 変革経営の視点」 第19話 2018年4月17日)

この「組織全体が環境変化に適応できなくなる」という点は、次節のアリの生存戦略にも通じる部分です。

「論文を書かない研究者」を日本のアカデミアにおける下位2割のローパフォーマーとすると、『2:6:2の法則』に基づく議論と重なる部分がありそうです。
下位2割の「論文を書かない研究者」の排除に注力することは、結果としてアカデミア全体の発揮能力の低下、すなわち日本の研究力低下をまねくのかもしれません。


4.「予測不可能性」に対応するアリの生存戦略(生物学の視点から)

『働かないアリに意義がある』(長谷川英祐著)には、アリの生態に関する興味深い知見が述べられています。
コミックエッセイもあります)

アリの巣を観察すると、いつも働いているアリがいる一方で、ほとんど働かないアリもいるそうです。
これは「反応閾値」=「仕事に対する腰の軽さの個体差」に基づく現象であると考えられています。

反応閾値の低い個体は、小さな刺激でもすぐに仕事にとりかかる。いわば働き者、ハイパフォーマーです。
反応閾値の高い個体は、多くの仕事がたまってはじめて動き出す。いわば怠け者、ローパフォーマーです。

アリの場合、同一コロニーに労働に対する反応閾値の異なる個体が混在することで、必要な仕事に必要な数のワーカーを臨機応変に動員できる仕組みになっているそうです(「反応閾値モデル」)。

「コロニーメンバーの反応閾値がみな同じで、刺激(仕事)があれば全個体がいっせいに働くシステム」と「実際のアリの社会のように反応閾値が個体ごとに異なっていて、働かない個体が必ず出てくるシステム」を比較したコンピューターシミュレーションによる解析では、後者の「働かないものがいるシステム」の方がコロニーの平均存続時間が長いことがわかったそうです。

著者は、このような「働かないものがいるシステム」の意義を、変動環境の「予測不可能性」に対応するためではないかと指摘します。

“変動環境のなかでは、「そのとき」が来たらすぐ対応できる、働いていないアリという「余力」を残していることが、実は重要なのかもしれません。”
『働かないアリに意義がある』(長谷川英祐著)

生物学のいう「予測不可能性」は、経済学のいう「不確実性」に通じる部分がありそうです。
アリの生存戦略をそのままヒトに応用することはできないかもしれませんが、組織・共同体が未来の不確実性に耐え、長期的に存続・発展するためには、もしかしたら「働かないもの(=ローパフォーマー)」をあえて意図的に組織内にとどめておくことが大事になるのかもしれません。

余裕を失った組織がどのような結末に至るのかは自明のことと思われます。大学という組織においても、近年は「役に立つ研究を!」というかけ声が高くなっていますし、私の研究など真っ先に「行政改革」されてしまいそうです。しかし、特定の目的に役立つ研究は本来、公立の研究機関(農業試験場など)がそのために設置されているのであり、大学の社会的役割の一つには、基礎的研究を実行し、技術に応用可能な新しい知識を見つけるというシードバンク(苗床)としての機能があったはずです。”
『働かないアリに意義がある』(長谷川英祐著)


5.組織パフォーマンスのジレンマ

会社組織の経営戦略や、コロニーで生きるアリの生存戦略が示唆するように、「ローパフォーマーの排除」と「組織・共同体のパフォーマンス向上」は両立しないのかもしれません。
これを『組織パフォーマンスのジレンマ』と呼びましょう。

アカデミアで言えば、「論文を書かない研究者の排除」と「日本の研究力強化」は両立しないのかもしれません。

私たちは、このジレンマにより、「論文を書かない研究者が一定数いること」か「日本の科学研究が衰退すること」かのどちらか一方を許容しなければいけないのかもしれません。
だとしたら、私たちがどちらを許容すべきか自明であるように思います。
(日本の研究力低下を許容してでもローパフォーマーの排除を貫徹したいという方もいるかもしれませんが…)

もちろん証明はできません。
あるのはいくつかの傍証と、参考になる知見、そして日本の研究力低下という圧倒的事実だけ。

むしろ問うべきは、「論文を書かない研究者をクビにすべき、そのために任期制を推進すべき」と主張する人に対して、「論文を書かない研究者の排除」や「研究者の任期制推進」が「日本の研究力強化につながる」とする根拠です。
果たして、科学的根拠はあるのでしょうか?

そこに根拠は無いかもしれません。
あるのは、ある種の不満、“「論文を書かない研究者」が、自分と同じ給料(または自分より高い給料)をもらって安定したポストに居座っている”ことに対する不満、地位財的な感情だけなのかもしれません。

今の日本ではこびる経済弱者へのバッシング!
「生活保護はなるだけ削れ!」
「生活保護で映画なんか行くな!」
「生活習慣病は自己責任だから国のケアをうけるな!死ね!」
「老人は保護されすぎだ!」
「生産性のない人間には国のお金を使うな!」
そして公的支出(公共事業、インフラ整備、軍事など)拡大へのバッシング!
「公共事業はムダだからするな!」
「地方に道路必要なし!」
「俺たちの税金をムダ遣いするな!」
「自衛隊が被災者よりいいもん食ってるぞ!?」
「公務員はとにかく減らせ!」
これらも地位財的な『自分より下の人が幸せになるのが嫌』という思考によって、経済的には間違った道をみんなで選択してるんじゃないかってこと…
果たして「緊縮財政・金融引き締め」は「頭のいい偉い人」が決めているのか?
そこから疑った方がいい
日本を、あなたを貧しくしているのは、あなた自身じゃないですか!?
『キミのお金はどこに消えるのか 令和サバイバル編』(井上純一著)

日本の研究力を低下させているのは、「論文を書かない研究者」を非難する私自身かもしれない…と言ったら言い過ぎでしょうか?

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(2021年12月2日追記)

2020年に内閣府のe-CSTIから、『若手研究者の1人当たり論文数を見ると、「任期なし」>「任期あり」の傾向が見られる』とする報告が出ていました。

ecstiの図

『研究資金配分と論文アウトプットの関係性分析』e-CSTI 内閣府)

これは、任期なしの研究者の方が研究成果を出している(論文生産性が高い)ということを意味しますし、任期制推進と日本の研究力低下の関係について考える上での参考になりそうです。

とすると、文科省の認識は正しそうです。

まずは、『任期制普及が日本の研究力低下の構造的要因の一つである』とする文科省の認識と、それと関連する内閣府e-CSTIのデータを、研究者や大学関係者で広く共有し、共通認識を持つことが重要だと思います。

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最後までお読みいただきありがとうございました!
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