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初任のときに組んだ学年主任【「教師」である前に「人」である】


小学校教諭のsmyle(スまイル)です。
いよいよ今日から新年度ですね。
昨年度は6年生を担任していました。

私は今、ミドルリーダー世代です。
小学校教師として勤め始めてから、10年以上が経ちました。
学年を組むときには、学年主任を務めるようにもなりました。
校内の主要な分掌を任されるようにもなりました。
月日が経つのは、早いものです。


この、年度が替わった節目の時期に、
自分の初任の頃を思い返してみようと思います。

今の、教師のとしての私を形作っているのは
間違いなく、初任の時に組んだ「学年主任」の先生です。





尊敬する学年主任との出会い


私が初任のとき受け持ったのは、3年生でした。

片田舎の小学校の、朗らかな子どもたち。
「なんで先生はいつも笑っているの?」
1年目、そんなことも言われました。

私のSNS上の名前である「スまイル」の由来は
そこにあったりします。


当時組んだ学年主任の先生(仮にS先生)は、
私以上に満開の笑顔で、子どもたちに接している方でした。
笑顔が素敵な方でした。

S先生は、
教師として、いや社会人として大切なことを
一つ一つ優しく、丁寧に教えてくださいました。

また、
私が至らなかったとき、
「それはダメだよ」とちゃんと教えてくれました。
いつも優しい先生だからこそ、厳しさが沁みました。


S先生は、研究主任も務めていました。
務める中で、ご自身の想いや信念と、
学校(校長)の方針の齟齬に、歯痒い思いをしていました。
葛藤していました。
自分の思う正しさと、組織にとっての正しさと、
そこに抗いつつも、ときに組織に準じて、
笑顔の裏に葛藤を抱えていました。

私はそのS先生の、
葛藤を抱えてもがいている姿、「人間らしさ」に、
また決して周りや環境のせいにしない「誠実さ」に、
とても尊敬の念を抱いたのです。

多分、人によっては
自分の主張をとことん貫き、
相手が校長だろうがバシバシぶつけていく人もいるでしょう。
一方、確固たる信念も持たず、組織の長に言われるがままに
生きていく人もいるでしょう。
そのどちらでもなく、
その間で悩みながら揺れ動くS先生の姿に、
初任の私は強烈に「人間らしさ」を感じたのです。

ああ、この方は、教師である前に人間なんだと。


「教師」である前に「人」である


今の私の価値観の中で、
「教師として」の前に「人として」どうあるべきか、
そう考える軸を与えてくださったのは、
間違いなくあの時のS先生でした。


時を同じく初任の時、
ある研究会に参加しました。

その会で、とある校長先生が授業者の講評をしました。
「〇〇先生は、土日も教材研究をして、
こんな素晴らしい授業を作ったんです!」

周囲はみんな拍手していたけれど、
私は大きな違和感を感じてしまっていました。
「あの先生、お子さんいるよね?なのに土日も研究授業のために…」
「休みも潰して仕事をし続ける人が、よい教師なのだろうか?」

それまで、私自身
働き方について確固たる考えや信念があったわけではありません。
当時は「働き方改革」なんて言葉もありませんでしたし、
私自身独身だったので、遅くまで残ることもざらにありました。

ただ、その校長の言葉を聞いたときに
「自分の子どもを大事にできない人に、
 他人の子どもを大事にできるのだろうか?」
という言葉が、ふと浮かんできたのです。

私が「人間らしい」価値観で、そこに違和感を抱けたのは
S先生と過ごした2年間があったからだと
そんな気がしています。


ピアノ弾いてみない?


持ち上がりの4年生でも共に学年を組み、
引き続きS先生から多くの学びを得ることができました。

その2年目には、市の音楽祭にも出場。
そこで私は、子どもたちの合唱の
「ピアノ伴奏」をすることになりました。

実は、幼少期ピアノを習っていた私は
その話をS先生にしたところ
「またピアノ、習ってみない?」と、
ご自身も習っているピアノの先生を紹介してくださいました。

そのこともあり、音楽祭での
「ピアノ、弾いてみない?」に繋がったのです。
正直、かなりのブランクがあったため
全く自信はなかったのですが、
その先生は、
「やってみよう!」という気にさせてくれる方なのです。

結果、
歌:子どもたち、ピアノ:私、指揮:S先生で
無事に演奏を終えることができました。

それ以来、ぼちぼちとピアノを続け、
私の結婚式で、
妻にサプライズでピアノ演奏したのもいい思い出です。


そして時が経ち今、
息子がピアノを習っています。
S先生が紹介してくださった、
そのピアノの先生のもとで。


まっすぐな人


S先生は、まっすぐな方でした。
子どもたちに笑顔でまっすぐにぶつかり、
多くの子どもたちを笑顔にしていました。

2011年、あの東日本大震災が起きたとき、
その先生は、一切の迷いなく、
ボランティアに飛んでいきました。

まっすぐな人柄、
人のために躊躇しない行動力。
教師としてはもちろんのこと、
「人」として、とても尊敬できる方です。


2年間を共にしたその年度末、
S先生は異動することになりました。

残留職員による寄せ書きメッセージで、
S先生宛にメッセージを書きました。

「失礼な言い方になったらすみません。
 私は○〇先生を、教師して尊敬するより前に
 人として尊敬しています。
 〇〇先生と組ませていただいて、本当に幸せでした。」

S先生は、去り際に
「メッセージ嬉しかったよ。ありがとう!」と
ハグしてくださいました。



S先生とは職場が離れてしまいましたが、
年に1回程度、研修などでお会いすると、
いつも素敵な笑顔で話しかけてくださいました。

しかしその後、
私は遠くに異動となりすっかり疎遠に…

コロナもあって
しばらくお会いしていなかったところ、
新聞の「教職員異動者・退職者」一覧の中に
久しぶりに先生の名前を見つけました。


それは退職者の欄でした。

まだ定年を迎える年ではなかったはず。
何かあったのだろうか…
失礼かもしれないと思いつつ、でも居てもたってもいられず
数年ぶりにメールを送りました。

「新聞でお名前を拝見したので、連絡しました…」


先生は、すぐに
「連絡をくれて嬉しい!」と
返信をしてくださいました。

どうやら、ずっとやりたかったことがあり
その勉強のために、教員を退職したとのこと。
やりたいことがあるって、素敵です。
応援しています。
そうお伝えしました。


今度は私の番


私も正直、この教員という仕事が全てではない
と思っているところがあります。

とてもやりがいはあるけれども、それでも
この仕事を続ける中で、もし心や体が壊れそうになるくらいなら
それを差し置いても続けるものではない、そう思っています。

ただ、今の自分には
教員という仕事の中でやりたいことがあり、
めっちゃ大変だけれど、それ以上にワクワクしています。
まだまだやれること、やりたいことがたくさんあるのです。


そして何より、
自己実現もそうだけれど、
自分より若い、これからの方々のためにできることはないかと
考えている自分が居ます。

学年主任を務めることも増えてきた今、
できることは半径5mの些細なことかもしれないけれど、
少しでもみんなの心が軽くなることができたらいい。
この仕事っていいかもと、思える人が増えるといい。
若い人たちの支えになることができるといい。


私が初任の時に、
あの時の学年主任にそうしてもらったように。

さあ新年度、みなさんぼちぼち行きましょう!

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