短編小説 水槽

「誰か教えてよ、、もうなにもわからないよ、私が違うの?」


別にイジメられているわけじゃない。家族ともきっと関係は悪くないはず、特別なにか辛いことがあるわけではない。ただ、薄々気がついていた、自分の無能さ、無力さが目立ち始めて、「嬉しい」や「楽しい」という感情がなくなりかけていたからか、悩みや辛かったことに耐えすぎたから苦しんでいるのか、そもそもこれが「苦しみ」なのか、感情すらわからない。
「頼ってね」や「何かあったらまた言ってね」はもう信じきれない。頼り方も苦しみの吐き方も信じ方も夢の見方も何もわからないんだよ。今を変えたいとか考え方とか、どうせ変わらない。友達も居ないし大人も嫌い。何もかもがだめだな。
こうして、引きこもって、もっとだめになって自分を嫌いになるんだろう。素直じゃないし、可愛げも無い。誰かとの永遠を願い、自分の幸せを願いながら幸せに怯え、死に方すらわからずダラダラと息を繋いでいる。それだけの日々
私は、他人なんかどうでも良くて、ただ自分が嫌い、いや、大嫌い。好きなものも好きと言えず、大切なものも自分から壊していた。ずっと息も上手く出来なくて、体が重く、水の中にいるみたいきっと私は、水槽の中で生きているんだ、水槽の中で呼吸をして、けど、それでも、どこにも行けなくても大切なものだけを守る悪い人になりたくて、良い人になんかなれないし、でも、一筋の光を消えないように必死に掴んで、夢を探し、自分が堂々と好きと言える自分になるため。自分の力で前に進み始める。きっとここからが、第二章の始まりなんだ。


-あとがき的なやつ-
苦しみを人と比べなくても「みんな」じゃなく「自分」なんだよ。きっと一人一人、別だから
誰よりも優しい人が無理しなくても生きられるように。
籠の中の鳥より水槽の中の魚の方が自分は、なんとなく、好きだなって思いました。ただそれだけです。水槽とか、アクアリウムとかって中身が空っぽでもずっと眺めていられるなぁと思いました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?