妄想自伝「Road to M〜山田つくだ煮のすべて〜」vol.1

「アホですよ。人間ってみんなアホだと思う。だからこそ面白い。ボクはM-1チャンピオンになったけど、自分が凄い人間だなんて全く思わない。人より自分らのおもろさを説明する能力が高かっただけ」

山田つくだ煮は照れるようにこう語った。昨年、念願のM-1優勝を果たし、瞬く間にお笑い界のトップ戦線にまで登り詰めた革命アニバーサリー・山田つくだ煮。漫才師、ピン芸人、俳優、脚本家etc…。様々な顔を持つ彼だが、彼の本当の顔を知る者は少ないのではないか。
本著はインタビューを通し、山田つくだ煮の、すなわち人間・山田智之の人間としての核の部分に可能な限り触れてみたものである。


山田智之誕生〜幼少期の記憶〜

お笑いを始めたわけ

ーー本日は宜しくお願いします。

山田つくだ煮(以下つくだ煮) 宜しくお願いします。

ーーインタビューを通して、多くの人があまりまだ知らないつくだ煮さんの素顔に迫っていこうと思うのですが。

つくだ煮 ボクの素顔ですか?全然フツーの人間ですよ。

ーー断じてフツーではないと思います(笑)。

つくだ煮 あのね、貴方みたいな人がボクのような人間を生きづらくさせてるんだよ。ボクがフツーと言えばフツーなんだよッ!(とテーブルをバンッと叩く)。

ーーすいません。

つくだ煮 まぁ思えば人があまりしない経験はしてきてるのか。そういう意味ではフツーじゃないかもな。

ーーどっちなんですか(笑)。ちょっとつくだ煮さんの生い立ちから今に至るまでのことをお伺いできたらと思うのですが。

つくだ煮 生い立ちね。

ーーはい。その前に、一つ聞きたい事がありまして。

つくだ煮 何?

ー―つくだ煮さんがお笑いを始めたきっかけって何だったんですか?30手前で急にお笑いを始めるなんて、はっきり言って頭のネジが外れてるとしか思えないのですが。

つくだ煮 貴方はそうやってまたボクを異常者に仕立てあげるつもりか?

ーーいえそういうわけじゃありません(笑)。大体お笑いって10代〜20代前半で始める人が圧倒的大多数だと思うんです。30手前でお笑いを始めるって一世一代の大博打というか、生き様がパンクだなと思いまして。

つくだ煮 (明らかに生き様がパンクだと言われ気を良くした様子で)あーそうねぇ。お笑いを始めたきっかけ…(しばし熟考)。仕事が楽しくなかったからですかね。

ーーその当時は何の仕事をされていたんですか?

つくだ煮 大学のコンビニ店員。入ったばっかで仕事にはついて行けないし、人間関係はうまくいかないわで全然楽しくなくて、その現状を変えたくて、ずっとなりたかったお笑い芸人になろうと思ったんだよね

ーー苦しく辛い現状を変えるためだったと。

つくだ煮 でもすんなりとは始めてないよ?その当時は徳島にいたからね。NSCみたいな養成所なんて勿論ないし、かといって東京や大阪に出ていくお金も根性もないし。なので相方募集掲示板で募集を出したんですよ。

ーーそれで相方の小宮山(晴希。以下小宮山)さんと出会ったと。

つくだ煮 でも相方と会ったの募集出した1年後ぐらいだからね。

ーーそれはどうしてですか?

つくだ煮 募集だしてしばらくすると仕事にもだいぶ慣れてきて、いつしかお笑いに対する熱も冷めてきて。まぁ今思えば(自分にお笑いなんて)出来ない言い訳を自分に一生懸命言い聞かせていただけだと思いますが(笑)。

ーー本心はずっとお笑いをやりたがっていた。

つくだ煮 そうだね。そしたらある日、何気なくGmailを開いたら、「今年のM-1に出たいので即席のコンビを組んでくれませんか?」って(笑)。

ーーおぉー。当初はM-1限定のコンビだったんですよね?

つくだ煮 そう。でも初めて出たM-1でめちゃくちゃスベって、案の定一回戦で敗退して。その悔しさで今に至っています。でも俺は最初は断ろうと思ったのよ。

ーーあ、小宮山さんのコンビ結成の誘いを。

つくだ煮 うん。

ーーもうお笑い熱は冷めてるし。

つくだ煮 冷めてるし。今さらおせーよみたいな(笑)。

ーーそんなコンビ結成に前向きじゃなかったつくだ煮さんがどうしてコンビを結成しようと思ったんですか?

つくだ煮 プロレスを観ていたからです。

ーーえ?ちょっと意味が分かりません(笑)。

つくだ煮 ボクはプロレスが好きで、プロレスラーってどんな技でも逃げずに受けるんですよ。だからボクもプロレスラーの精神で、相方のメールという技を真正面から受けたんです。

ーーなるほど。プロレス好きが功を奏しましたね。

つくだ煮 だからボクがプロレスファンじゃなかったら相方には会ってないし、今ここにボクがいる事はありません。

ーーそう考えるとプロレスを好きになったのも運命だったのかもしれませんね。

つくだ煮 そうかもしれないですね

ーーそこからの話は後ほど聞かせていただこうと思います。ここからつくだ煮さんの生い立ちを聞かせていただいても宜しいでしょうか?

つくだ煮 はい。

山田智之、徳島県にて生誕

1993年3月18日、山田智之、後の山田つくだ煮は徳島県徳島市で山田家の長男として誕生した。

ーー徳島県で生まれ育って。

つくだ煮 はい。幼稚園の途中まで。

ーー徳島県ってどんな所なんですか?

つくだ煮 大喜利ですか?

ーーいえ、普通に答えていただければと思います。

つくだ煮 そうですか。徳島…。太平洋に面していますよね。

ーー・・・。それだけですか?

つくだ煮 世界の太平洋に面してるんですよ?これ以上何をPRしろと言うんですか?

ーーわかりました。後で自分で調べます(注:1)。子どもの頃のつくだ煮さんはどんなお子さんだったんですか?

つくだ煮 小学校中学年ぐらいまでは人懐っこくてお調子者でした。でも高学年ぐらいから人見知りが発動して内気になってしまった。

ーーなるほど。それでは幼少時代、小学校に上がる前の頃の話から聞いていきたいと思うのですが、その頃好きだったものって何ですか?

つくだ煮 おもちゃですかね。

ーーおもちゃ。どんなおもちゃですか?

つくだ煮 ヒーロー物とかの。どこへ出かけるのにもおもちゃを持って行って、出かけた先でおもちゃを失くしたり、壊したりして。それで泣いてたら、「そんなもん持って出かけるからや!」って怒られるっていう(笑)。

ーーかわいい(笑)。おもちゃは結構買ってもらえていたんですか?

つくだ煮 そうですね。他の家より結構買ってもらえていたかもしれません。

ーーでは比較的、裕福な家庭だったと。

つくだ煮 そうですね。父親が仕事を辞める小4ぐらいまでは。

ーーなるほど。そこからは(経済的には)右肩下がり?

つくだ煮 徐々に徐々にですね。中1ぐらいで直角90度で真っ逆さまに落下しました(笑)。

ーー落下(笑)。また後ほど詳しく聞かせていただきたいと思います。保育園や幼稚園には行っていたんですか?

つくだ煮 保育園には3歳から2年間通いました。

ーー保育園での思い出はありますか?

つくだ煮 いつも母さんが送り迎えをしてくれていたんですけど、母さんがボクを保育園に預けて帰ると寂しくて泣いていたのをよく覚えています。

ーーお母さんっ子だったんですね。

つくだ煮 そうかもしれないですね。家族あるあるですけど、父さんは今も家族から煙たがられているので(笑)。まあ今思い返すと父さんもよく色んな所に連れて行ってくれましたけどね。

家族の話(というより、ほぼ父親の暴露話)


ーーつくだ煮さんのご両親はどんな方なんですか?

つくだ煮 父さんは世間一般から見てクズと呼ばれる類の人間だと思います。ボクが言うのもなんですけど。

ーークズ(笑)。大丈夫ですか?こんな事言って。お父様も読まれるんじゃないんですか(笑)?

つくだ煮 大丈夫です。自他共に認めてるんで(笑)。

ーーお父様のどういった所がクズだと思いますか?

つくだ煮 まず仕事が大嫌いでしたね。主に調理系の職場で働いていたんですけど、色んな会社に入っては辞めてを繰り返して。だから母さんが代わりに色んなパートをやっていました。

ーーお母様は働き者。

つくだ煮 冗談抜きで未だに母さんには頭が上がりません。あ!父さんの最大のクズエピソードを今思い出しました。

ーー何ですか一体(笑)。

つくだ煮 中1の冬休みの話なんですけど、母さんと姉ちゃんとボクで徳島のじいちゃんばあちゃん家に帰ってたんですよ。父さんには岡山に残ってもらって。で、ある日、母さんの携帯に父さんから電話がかかってきて、電話に出るや否や母さんが偉い剣幕で怒っていて。「何だろうな?」と思っていたら、どうやら父さんが夜中にパチンコに出かけて帰ろうと車を出した時に、ヤ◯ザの人の車に当ててしまったらしいんですよ。それで(ヤ◯ザに)家まで押しかけられた挙げ句、当面の生活費を全て(ヤ◯ザに)とられてしまって。そこから父さんは一切パチンコをやらなくなりました。

ーーうわ。人様のお父様をこう言っちゃあれですけど、クズですね(笑)。

つくだ煮 ボク未だに覚えてますから。子ども心に「こいつダメだわ」って思ったの(笑)。でも評価すべき点もあって、そこから20年以上経ちますけど、パチンコには一切行ってませんからね。あの件に関しては心から反省してるんだなと思います。あ、あと父さんのクズエピソードをもう一個思い出したんですけど…。

ーーいえ、これ以上は結構です(笑)。お母様はどのような方ですか?

つくだ煮 父さんと真逆の人物です。父さんと違ってお酒も飲まないし、ギャンブルもやらないし。ボクが20代後半ぐらいまでは本当に山田家の大黒柱でしたね。

ーーつくだ煮さん、お母様の話になると急にシリアスな語り口になりますね。

つくだ煮 すいません。笑いを生み出せなくて。

ーーいえ。つくだ煮さんのお母様への敬意がひしひし伝わりました。

つくだ煮 なら良かったです。

ーー一応、お聞きしますが、お母様のクズエピソードはありますか?

つくだ煮 ありません。(真剣な面持ちで)母さんを父さんと同じ感じでいじるのやめてもらっていいですか?

ーーそうですね。申し訳ありません。先ほどのお話の中でお姉様がいるとおっしゃられましたが、ご兄弟はお姉様お一人ですか?

つくだ煮 はい。年子の姉(つくだ煮は早生まれなので正確には2歳差)がいます。

ーーお姉様とは仲はよろしいですか?

つくだ煮 自分で言うのもなんですが良いですね。昔から。ボク大学は姉ちゃんと二人暮らしでしたから。

ーー二人暮らし!相当仲良いですね。

つくだ煮 今思うと姉ちゃんのほうはウザかったかもしれないですけどね。ボクもどうしても地元を飛び出したかったので。

ーーお姉様は何をされている方なんですか?

つくだ煮 あまり個人情報を明かすと怒られるんで。ちょっとボクからは言えません。大学時代に二人暮らしがギリギリです。

ーーそうなんですね。失礼しました。では幼少時代の話に戻りたいと思います。

幼稚園の思い出〜さらば故郷、新天地・岡山へ〜

ーー保育園に2年間通われて、その次は幼稚園ですか?

つくだ煮 そうです。ご多分に漏れず。

ーー幼稚園の思い出はありますか?

つくだ煮 児童館ですかね。

ーー児童館?

つくだ煮 いわゆる学童保育です。親が迎えに来るまで幼稚園の友達や小学生たちと遊んだり、お菓子を食べたりして。あと、工場見学で徳島銘菓の金長まんじゅうの工場に行って、出来たての金長まんじゅうを食べてそれが凄い美味しかったのも思い出です。

ーー岡山に引っ越されたのは幼稚園の頃ですか?

つくだ煮 そうです。ボクは幼稚園からだったので、わりと小学校にも馴染めましたけど、姉は小学校の途中で転校したのでわりと苦労したっぽいです。

ーーじゃあつくだ煮さんは岡山でも結構馴染めた?

つくだ煮 最初のうちはね。それから何年か経つとそうでもなくなってくるんですけど。

ーー岡山のどこに引っ越されたんですか?

つくだ煮 岡山市です。岡山市と一口に言ってもめちゃくちゃ広いんで、ボクが住んでいたのは岡山市でも比較的田舎でした。

ーー幼稚園の話に戻しますが、岡山の幼稚園ではすぐに友達は出来ました?

つくだ煮 出来ましたよ。結構誰とでも仲良くできました。ボクが引っ越したのがアパートだったんですけど、ボクの部屋の上の階にこうくんとともやくんっていう兄弟がいて、ボクの部屋の隣にはゆうくんとそよちゃんっていう年下の兄妹がいて。こうくんとは同い年なので小学校までは結構一緒に遊びました。

ーー友達作りには困らなかったと。

つくだ煮 はい。今もう誰も、どこで何してるかわかりませんけど(笑)。元気にしてると良いですね。

ーー元気にしてると良い(笑)。岡山の幼稚園はどのくらいの期間通われたんですか?

つくだ煮 5ヶ月ぐらいですかね。

ーー5ヶ月!卒園まであっという間じゃありませんでした?

つくだ煮 あっという間でしたね。でもボクは岡山の幼稚園は楽しかった記憶しかないんですけど、岡山の幼稚園は昼ご飯が弁当だったんですよ。徳島は給食が出たんで。今になって思うと母さんは大変だったんだろうなと思います。

ーー今になって親の苦労を知ったと(笑)。そして小学校に上がられて。

山田智之、小学生になる

1999年4月、山田智之は岡山市立芥子山(けしごやま)小学校入学。

ー―小学校に入学されて最初に感じた事とかって覚えてますか?

つくだ煮 今思うとすごいアホなんですけど、今日は1年生で明日は2年生で明後日は3年生になれると思ってました。

ーー小学校は6日で卒業できるものだと?(笑)。

つくだ煮 はい(笑)。小1になったボクはそう思ってました。

ーーバカですねぇ!(笑)。勉強のほうはどうでした?

つくだ煮 最初はひらがなも書けないぐらいバカだったんですけど、徐々に書けるようになって、国語は得意でした。他はまるでダメでしたけど(笑)。

ーー文系だったと。

つくだ煮 文系ですね。後になぜか工業高校に進むんですけど(笑)。

ーー運動は出来ました?

つくだ煮 球技と走る系と水泳と鉄棒と縄跳び以外は出来ました。

ーーそれほとんど出来てなくないですか?(笑)。

つくだ煮 そうか(笑)。体育はあまり好きじゃなかったですね。

ーー文化系だったと。

つくだ煮 はい。だから全然モテなくて。

ーー小学校の頃の男子のモテる条件に運動神経は必須ですもんね。

つくだ煮 そうなんですよ。今その頃モテてた奴らが今の俺よりモテてるかは知らないですけどね。

ーーみっともないですよ。

つくだ煮 冗談です。まぁ結婚してる人も多いでしょうしね。俺の嫁さんより綺麗な人と結婚できたかはわかりませんけど。

ーーつくだ煮さん、少し黙りましょうか。5分間だけ。

(と言って5分間、無言の時間を過ごす)

ーー先ほどのお話で、小学校中学年まではお調子者だったとの事ですが、その頃にお笑いへの目覚めはありました?

つくだ煮 もう少し後ですね。むしろ人見知りになってからのほうがお笑いを見ていましたね。

ーーそうなんですね。お笑いのジャンルとしてはどのようなものがお好きだったんですか?

つくだ煮 小5の頃に「エンタの神様」を観始めて、陣内(智則)さんとか、インパルスさんとか、ドランクドラゴンさんとかを観て笑っていました。「爆笑問題のバク天!」も好きでしたね。 

ーー主にテレビのお笑いが好きだったんですか?

つくだ煮 そうですね。今みたいにYouTubeもなかったので、テレビでしかお笑いを知る事が出来なくて。

ーー当時の芸人たちの活躍を見て、自分も芸人になりたいとは思いました?

つくだ煮 やっぱり憧れましたよね。小5〜中1ぐらいまでは大きくなったら吉本に入ろうと本気で思っていました。

ーーM-1で言うと、その当時(2003年〜2004年頃)はフットボールアワーさんとか、麒麟さんとか、アンタッチャブルさんとか、今ではお笑い界の重鎮となっている方々が頭角を現し始めた頃ですね。

つくだ煮 だからボク今でも覚えてるのが、小6の初め、クラスメートの事を知るために自己紹介カードっていうのを書いて教室の壁に貼るんですけど、ボク一人好きな有名人の欄にフットボールアワーって書いたんですよ。

ーーフットボールアワーさんがM-1チャンピオンになられた直後ですかね。

つくだ煮 そうです。正直、ネタとかほとんど覚えてなくて、多分笑っていたと思うんですけど、チャンピオンっていう事もあってフットボールアワーさんがボクの中でとてもかっこよく映っていたんだと思います。当時のボクはネタがどうのこうのというより、(芸人を)かっこよさで好きになっていたんですよね。今もですけど、大阪吉本芸人特有のスタイリッシュさってありませんか?

ーーあー何となくわかります。ちゃんとお笑いでモテてる人たちの匂いがするというか。

つくだ煮 そうそう。だからボクは大阪芸人に憧れたんですよ。ボク生まれて初めてかっこいいと思った芸人が吉田ヒロ(吉本新喜劇)さんなんですよ。

ーーへぇー!意外ですね!吉田ヒロさんのどこがかっこいいと思ったんですか?

つくだ煮 金髪な所ですかね。

ーー金髪!(笑)。金髪だからかっこいいと思ったんですか?(笑)。

つくだ煮 今でこそ新喜劇で金髪の人って珍しくも何ともないですけど、当時(1990年代頃)の新喜劇で金髪の人って吉田ヒロさんだけだったと思うんですよ。そこにカリスマ性を感じたんじゃないですかね。

ーーただ一人の金髪にカリスマ性を感じたと(笑)。実際、吉本新喜劇の黄金期を支えた一人ではありますからね。

つくだ煮 だからボクが本当になりたい芸人はビートたけしでもダウンタウンでも西野亮廣でもなく、吉田ヒロさんかもしれません。

ーーその並びに西野亮廣を加えた所に若干の悪意を感じましたけど、今でも潜在的に吉田ヒロさんへの憧れがあると。確かに全力お父さんはちょっと吉田ヒロさんっぽいかもしれませんね。

つくだ煮 あ、本当ですか!?それはめちゃめちゃ嬉しいです。

山田少年の「好き」

ーーここで少し話題を変えて、小学生時代のつくだ煮さんがお笑い以外で好きだったものについてお聞きできたらと思うんですが。

つくだ煮 ヒーローだね。

ー―ヒーロー?戦隊物みたいなヤツですか?

つくだ煮 そう。スーパー戦隊シリーズが今に至るまでずっと好きで、大体、小学生上がるまでに卒業しちゃうじゃないですか?

――そうですね。私に関してはそうです。

つくだ煮 ボクはずっと卒業しないままここまで来てしまって。でも一度、「スーパー戦隊なんて子ども騙しでしょ?」って思ってる人にはどれでも良いから80年代後半〜90年代のスーパー戦隊を観ていただきたい!大人が観ても楽しめるストーリーの作品がいっぱいあるんで。

――どの作品がオススメですか?

つくだ煮 カクレンジャー(忍者戦隊カクレンジャー)です!忍者をモチーフにした戦隊なんですけど、敵を攻撃した時にアメコミみたいな英語の擬音が出たり、敵が日本の妖怪なんですけど、アズキアライがゴミ箱に入った姿だったり、ヌリカベがレンガの落書きだらけの汚い壁だったり、日本古来の妖怪とはかけ離れた姿をしていて(笑)。

――ここまで聞いてる限り何一つわけがわからないのですが(笑)。

つくだ煮 そのわけのわからなさが魅力なんです!物語の序盤はコメディ色が強めで、全体的に軽いノリなんですが、中盤からクライマックスにかけてストーリーが重厚になりさらに面白くなるんです。出演者も豪華で、ケイン・コスギさん(ニンジャブラック/ジライヤ役)、遠藤憲一さん(貴公子ジュニア役)や1話限りのゲストですが大杉漣さん(妖怪サルガミ役)が出演されていたり。是非色んな人に観ていただきたいです!

――恥ずかしながら私カクレンジャーをたった今知ったのですが、つくだ煮さんのプレゼンで観たくなりましたよ。

つくだ煮 本当ですか!?是非観て下さい!

――あと小学生時代に好きだった漫画とかアニメってありますか?

つくだ煮 ドラゴンボールですかね。未だに全巻読んでませんけど(笑)。

――薄いドラゴンボール好き(笑)。

つくだ煮 そうなんです。自分、作品は結構知ってるんですけど、全巻読んだことないっていうのが多くて。CSが観られる環境だったので、アニマックスやキッズステーションで自分が生まれる前のアニメをよく観てました。

――当時放送されていたアニメはあまり観ていない?

つくだ煮 そうですね。強いて言うならこち亀は観てました。当時ワンピースのアニメが流行ってたらしいですけど、ボクは裏番組の爆笑問題さんがやっていた「決定!これが日本のベスト100」っていうランキング番組を観ていたんで。ワンピースをまともに読んだのなんて大学生になってからですよ。

――メインストリートから外れていたと。

つくだ煮 ハミダシ者ですよ俺は。

――ワンピースを観てないぐらいではハミダシ者にはなれませんよ。

つくだ煮 ハミダシ者になる事さえ許されないんですか?(笑)。

――M-1チャンピオンになっておいてハミダシ者はないでしょ(笑)。

つくだ煮 まぁ確かにそうだね(ニヤリ)。

――(ぶちギレられるかと思ってヒヤヒヤしたぜ…)当時、ゲームとかはやってなかったんですか?

つくだ煮 ポケモンはやってましたよ。ルビー・サファイアぐらいまでは。ゲームボーイではよく遊んでましたね。

ーーポケモンで言うとその世代なんですね。カードゲームなんかはやってました?

つくだ煮 やっぱ遊戯王ですよね。プレイするよりどちらかといえば集める専門でしたね。

ーーレアカードもたくさん持っていたんですか?

つくだ煮 それが今思うとめちゃくちゃ持ってたんですよ!ボク遊戯王デビューは結構早くて、ブラックマジシャンやブルーアイズ(青眼の白龍)が一番強かったぐらいから集めてたんですよ。

ーー最初期ですよね。

つくだ煮 一番最初のパックでブラックマジシャンを当てたりもしましたし。初期のブルーアイズも持ってたんですけど、気付いたら失くなってて。今も持ってたら幾らになったんだろうと思います。

ーー状態が良ければ10万ぐらいかそれ以上しますよね。

つくだ煮 今でも定期的に昔のカードが欲しくなる時ありますから。今度昔のレアカード買おうかな。

ーーあ、そうだ。つくだ煮さんと言えばプロレスや格闘技のファンで有名じゃないですか。小学生時代からお好きだったんですか?

つくだ煮 それが意外に思われるかもしれないんですけど、小学生時代はまるで興味がなかったんですよ。好きになったのは大人になってからなんで。

ーー意外ですね!今でこそ格闘家としての側面もお持ちですけど、変な話、喧嘩なんかは強かったんですか?

つくだ煮 強いわけないでしょうよ!(笑)。当時から体も小さいし、痛い思いをするのは嫌だったからね。

ーーなんでそんな人が急に大人になって格闘技を始めたんですか?(笑)。

つくだ煮 俺は弱い人間だけど、子どもの頃からずっとヒーローが好きなぐらいだから、強さというか、男に生まれたからには強くなくてもいいからいざって時に闘えなきゃいけないっていう考えが心のどっかにあったんだと思う。あと正直モテるためでもあったけど(笑)。

ーーそのへんの話は後ほど聞かせていただきたいと思います。つくだ煮さんは小学生時代の自分をモテなかったと回顧されましたが、好きな女子生徒に告白したりなどはしなかったんですか?

つくだ煮 しないよ!好きな女子はいたけど、ボクが告白したなんて事が知れ渡ったらずっとそのネタでイジられ続けただろうし、そもそも告白する勇気がなかった。周りもそんな話一切しなかったしさ。

ーー恋愛とは無縁の小学校生活だったと。

つくだ煮 でも恋愛とかできなくても楽しかったよ。明るい未来があると信じてたから(笑)。

ーー好きな女性芸能人とかはいました?

つくだ煮 パッと思い浮かぶのはモー娘。の後藤真希さんですかね。

ーーモーニング娘。ですか。

つくだ煮 世の中の女性で一番可愛いと思ってた時期がありました。

ーーつくだ煮さん、その頃からアイドルがお好きだったんですね。

つくだ煮 そうだね。まさか将来、自分がアイドルと結婚するなんて想像もしてなかったけどね(ニヤリ)。

ーー腹立つわぁ。
(続く)

注1:徳島県は四国東部に位置し、その面積の約8割を山地が占める。気候面では全体的に温暖で晴天日が多く日照時間が長いのが特徴だが、県西部は寒冷で雨量が多く、冬には雪が多く降る。主な名物は約400年の歴史を誇る阿波踊り、世界三大潮流の一つである「鳴門の渦潮」、シラクチカズラという植物を編んで創られた「祖谷のかずら橋」等がある。食は鳴門金時、徳島ラーメン等が自慢。
出典元:徳島県の概要https://www.pref.tokushima.lg.jp/sp/kenseijoho/tokushimakennitsuite/tokushimakennogaiyo/
徳島県ってどんなところ?https://tokushima-sc.jp/access/



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