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[自己紹介]初めまして。河野 太郎(カワノ タロウ)と申します。よろしくお願いいたします。

はじめまして。河野太郎(かわの たろう)と申します。noteをご覧いただきありがとうございます。はじめての方に向けてまずは自己紹介をさせていただきます。

※先日大学のお世話になっている教授に今自分が行っている事業とweb3を絡めた面白いプロジェクトを提案したところ300%Yes!の回答を頂き、すごいことが起きそうです。。(ワクワクw!)その関係もあって今スーパーバッタバタ状態なので、落ち着いたタイミングでその話も含めてこの記事を更新します!(※これ以下の記事は2020年10月11日公開の記事なのでかなり古いです。ご注意ください。)

プロフィール

河野太郎(かわのたろう) 大阪府堺市生まれ。鳥取県米子市在住。清風高等学校卒業。鳥取大学医学部医学科3年。iZiN Inc.代表取締役,CEO。

今熱中していること

僕が今熱中していることは以下の2つです。

1、教育コンサルティング事業(大学受験特化型EdTech事業) SharingKnowledge

2、鳥取大学医学部・医学部附属病院DXプロジェクト


1、教育コンサルティング事業 SharingKnowledge

この事業は僕自身が大学受験で非常にしんどい思いをした経験からスタートしたサービスです。「学歴を時間で購入できるサービス」を目指して現在は教育コンサルティング事業からEdTech事業へと事業領域を拡大しつつあります。

現在の受験勉強の環境は、スタディサプリやYouTubeでの教育系チャンネルの増加などに代表されるようにクオリティの高いコンテンツが低価格で入手できるようになりました。参考書も日進月歩でわかりやすく使いやすいものが続々と出版されています。

またこれらの学習ツールの使用方法を解説している情報にも簡単にアクセスできる環境になりました。

けれどもここまで素晴らしい環境が整ったとしても受験生の悩みは無くなりません。僕自身も受験生時代自分の勉強法をYouTubeやGoogleで調べていましたが、なかなか納得のいく結論を出せずにいました。

そして大学生になり受験生時代に書いていたブログが医学部受験生アクセスランキングで全国2位を獲得できたことからブログで生徒を集客し、「受験は教科バランスが重要でかつ先生方からは単教科のアドバイスしかもらえずそれによって生徒は混乱している」という問題意識から全科目を完全オンラインで指導する夢サポという事業(SharingKnowledgeの前身)を開始しました。(現在コロナウイルスの影響もあり普及し始めたオンライン家庭教師の走りですね。)

その指導中に、生徒から「どうしてですか?どうしてこの勉強法で進めるんですか?」と質問された際に生徒が本心から納得のいく説明ができませんでした。

その時、僕自身が受験生時代に抱えていたモヤモヤの理由がはっきりと認識できました。

現在ネット上にあふれる勉強法の情報は「こうすればいいよ!」ということは記載されているが、なぜそうするべきなのか?なぜそれが最善の方法なのか?という理由の部分の論理性が著しく欠損している。また最終的には「頑張れ」という根性論のアドバイスで終わることがまかり通っている。

この問題を解決するために、生徒に対する全ての指導・アドバイスに徹底的に論理的な説明を合わせて行う論理100%の受験指導を行うSharingKnowledgeという教育コンサルティング事業を立ち上げました。

そして現在は、SharingKnowledgeの論理100%の受験指導という思想とコンピューターのロジック100%という思想、そしてテストは必ず絶対正解がある(つまり正解に到達するアルゴリズムが必ず存在する)という性質の3つを掛け合わせて受験勉強をハックするアルゴリズムの開発に注力しています。

また僕自身がソフトウエアエンジニアとしても活動していた経緯から、このアルゴリズムを優れたUIUXでソフトウエアとして提供し「このソフトウエアの指示通りに動けば確実に希望の大学に合格できる」、そしてそれにかかる時間をあらかじめ生徒に提示することで、「時間で学歴を購入できる」環境を実装し、いま現在ネット上や色々な人からのアドバイスに振り回されてしまって必要以上に受験勉強に時間を取られ「頑張ってるのに報われない」生徒を解放する。

高校入学時に

「東大理科1類に行きたい!」

「必要時間4000時間か!」

「それなら学校があっても1週間で20時間は受験勉強以外に時間が充てられるな!」

「じゃあ、この20時間を自分の好きな服作りに時間を割いてみよう!」

というように偏差値を獲得することはシステムでハックして、かける時間を最小限にしてしまい、スポンサーである両親の価値観に関わらず自分のしたいことを自由にさせてもらうことができる環境を高校生に提供し、好きなことに堂々と熱中できる高校生で溢れる日本を作りたい。シン・ニホンで安宅先生が書かれてた「異人」で溢れる世界を作りたい。

事実、僕のこれまでの教え子達は、医学部医学科ながら映画監督にもなろうと活動している人や、僕と同じように受験で苦労した経験から大学入学後僕たちと一緒にSharingKnowledgeでプロダクト開発を行ってくれている人など、自分のやりたい道を人と違うことは気にかけず突き進んでいる「異人」がたくさんいます。僕自身「異人」たちに囲まれて毎日楽しく仕事ができて幸せです。

実はサービス内では、僕らの作った賢いAIちゃんが動いているとかいないとか。。笑(AIってどの程度でAIって自称していいのかわからないので笑)

2、鳥取大学医学部・医学部附属病院DXプロジェクト

こちらのプロジェクトは今年(2021年)の8月に、僕が在籍している鳥取大学医学部の医学教育学の教授で医療機器開発のベンチャー企業も経営されている先生からお声がけ頂いて参画させていただいたプロジェクトです。

この中で僕が担当させて頂いているプロジェクト領域としては、大学病院の大幅な建て替えに際して鳥取大学医学部を国公立大学医学部で最先端のデジタル教育を行う大学にしなさい。

という内容で、人口が日本で最も少なく人口減少と高齢化の危機に日本で最初に立ち向かうことになる都道府県に立地する医学部として、今後の医学部教育のモデルケースになるようなものを作ることを目指しています。

これまで医学部で医学の勉強をしながら、教育×ITの分野で事業運営を行ってきた自分としてはとても大きな、またやりがいのあるミッションを頂き光栄でした。

まだ開始して日が浅いですが、日頃行っている小規模ベンチャーの経営・プロダクト開発とは異なり、国立大学・大学病院という大きな組織のもとでの活動で日頃の経営では学ぶことができないことをたくさん勉強させて頂いています。

これまでの経歴

まず私が医学部を目指した理由は、生まれた頃から中学生ごろまでひどいアレルギーをもっていて、幼い頃はアレルギーを引き起こす可能性にのある特定原材料7品目(えび、かに、小麦、そば、卵、乳、落花生)はもちろん全てダメで、幼少の頃はお米も食べられず両親にかなり苦労をかけ、また小学生の頃は給食が1つも食べられるものがない曜日(パンの日とかは地獄でした笑)もあり、その影響で当時は強がってはいましたがかなり精神的にしんどい思いをすることも多かったです。

その経験もあり中学生の頃から漠然とではありますが医師を目指していました。そして高校生になると偏差値がめちゃくちゃ高い、最高峰の大学に行ってやりたいという下世話な気持ちも相まって、大阪大学の医学部医学科を目指し始めます。

またなぜ阪大にしたのか?という点は大阪住みだったこともありますが、高校2年生の頃から自分はまだ社会について何も知らない。受験勉強という枠の小さな世界しか見れていないという不安もあり、大学に入学した後にいろんな世界を体験して将来のしたいことが大きく変わることも可能性としてはあると思い、もし医師以外にもしたいことができた時に他の分野でも優秀な友人や先生とすぐに繋がれる環境があった方がいいな、と考え大阪大学を目指しました。

ですが、結果は不合格。。。

かなり自信があったのとても落ち込み、鳥取大学医学部の後期試験受験の時はもう1年勉強しようかとも思いましたが、それよりもはやく大学生になって社会にでたい!受験という狭い世界から飛び出したい!という気持ちが強く、入学することに決めました。

大学1年前期

当初の気持ちに反して、受験勉強から解放されたことにより、医学生ライフを満喫しまくってました笑

バスケットボール部に入り(ここがかなり強い部活で)平常時は週4日以上、夏休み期間も大学生にもかかわらずほぼ毎日練習し、西医体という西日本の医学生が集って行われる大会で準優勝を果たすなど典型的な部活やりまくりタイプの医学生でした。

大学1年後期

と、ここまで高校生の頃の自分とは別人のように遊んでいた私ですが、心の中ではこのまま世間知らずな医師になってしまってもいいのだろうか?という気持ちはありました。また、前述の夢サポというオンライン家庭教師事業を入学後すぐに開始して運営していたこともあり、誰もやっていない、でも社会に価値を提供できるサービスを作っていく、ということにはとても興味はありましたし、サービスを運営する中で高校生の時に漠然と抱いていた不安が勉強することで徐々に減りつつあり、むしろ働くってめちゃくちゃ面白いやん!と感じるようになっていました。

そこで、入部して半年でしたが1年前期の生活の軸であったバスケットボール部を辞めました。

この際には、先輩お一人お一人と時間をとって挨拶をさせて頂き、それによってたくさんの方と真面目なお話をさせて頂きました。とても賛同してくださる方から全面的に批判してくださる方まで、僕の決断に対する反応は様々で、人によって考え方・価値観が多様であるということをこの時に身をもって知ることができました。

地方医学部という特殊な環境、いうなれば日本の全体主義教育を真面目に実行してきて結果を出しかつ将来が約束されていると言われて育ってきた人たちがどのような考え方を持つようになりやすいのか?など現在の受験教育の具体的な結果の一部を、多くの医学部の先輩方とお話ししていく中で観察することができ、これからの日本の教育を考えていく上で非常に参考になる経験をさせていただくことができました。

その後、時間ができたので、まずは書店に行き興味のある本を1日1冊ペースで片っ端から読んでいきました。この頃にプログラミングにも興味を持ち始め、swiftという言語でiOSのアプリ開発の勉強も始めました。

大学1年→2年_春休み

春休みにはたくさんのイベントに参加し、Twitterで知り合い仲良くさせてもらっていた方ともお会いしたりと1年生の後期は本ばかり読んでいたので、実際に行動して多くの人たちと実際に関わりオフラインでの情報収集を行っていました。

また、春休みには私が尊敬している大学の同期と2人でアメリカ東海岸に旅行にいき世界一の先進国アメリカを肌で感じることができ、帰国の前にエンパイアステイトビルの屋上からマンハッタンの夜景を眺めながら、やってやる!と当時まだ何をするかも決まっていませんでしたが何かに挑戦する、という意思だけは固まっていました。

大学2年前期

ここで私に大きな転機が訪れます。これまで、何かを成し遂げたい!という漠然とした思いと受験勉強で苦しむ生徒を減らしたい!という単純な考えで教育事業を個人で細々と運営していましたが、1人の恩師との出会いから今の自分のすべての活動が始まっていくことになります。

4月、アメリカから帰ってきて私は初心に戻って医学を極めよう!学生時代から現場に立って最強の研修医になろう!と意気込み(完全に迷走期でした)、行動だけが取り柄だったのですぐに大学の近くの診療所の先生に毎週土曜日見学させてください!とお願いし、前期の間毎週毎週診察から検査、治療、訪問診療まで先生のそばで勉強させていただきました。

そしてそこで学んだことは、医療が進歩した現代でも軽い胃潰瘍でもなくなってしまう人がいる。といことです。

胃潰瘍は治療が難しい病気ではありません。ですが経済的に厳しい人は、「胃潰瘍だ→病院に行こう」

とはならず

「胃潰瘍だ→これは診察費を払うに値するほど重症なのか?まだ我慢していた方が安くつくのではないか?」と考え、知らず知らずのうちに

健康<経済的な心配

となってしまい、胃がんとなり発見も遅れ、亡くなってしまいます。

これを現場で目の当たりにした私は先生と飲みにいかせていただいた際に

医師は病気を治療するが、病気の原因がこのように経済的な問題の場合は結局行政任せとなって、きちんとした対応ができず結果として病気が悪化してからの治療となり、また治療しても経済的に厳しいため再発予防も十分にできず、すぐに再発してまた医師が治療して、と根本の治療ができておらず医師の労働量が増えていくだけだ。しかもこのように経済的な問題で病気を悪化させている人は少数ではない。といっても医師が経済面をフォローするのはなかなか難しい。けれど医学部では患者さんを治療し切るのが医師の役目だと教えられる。教育と現実がかけ離れすぎている。この難しい問題はどのように考えていけばいいのか?

このような議論をさせていただきました。

そして、先生はこの問題に対して以下のように向き合っておられました。

先生は医師として何十年も勤められているベテランで、そのキャリアと人脈をいかしてできることは、患者の診療報酬を特別に下げるor無料にし、患者が病院にこない理由をなくす。というもので、実際に先生はこの取り組みをされている病院の理事長を務められています。

この時、私は先生の低額・無償診療というサービスの素晴らしさを実感しつつ尊敬の念を抱くと同時に、このやり方では先生方の労働量にしわ寄せが来る・経営が回らないという弱点があることも理解しました。先生もそれは承知で、でも目の前の患者を見捨てない。よく聞く言葉ですが、これを体現しておられる医師の先生とここまで深く関わらせてただいたのは私の人生でこの先生が初めてでした。そして先生との議論の末、この経済的な問題を解決するには時間はかかるが最も大切なことは教育である。という結論になりました。

そこで私は

・私はまだ学生でチャレンジしやすい環境にある

・現在の自分に医療行為で治療する力はない。

・教育事業なら自分は1年以上個人で運営できている

という3点から、

医師の定義

病気を治療する人

マイナスの状況にいる人を少なくとも0にする人

と定義し直し、先生が対症療法的ではあるけれども""の患者さんを治療されるなら、私は教育を改革し、根本治療によって"未来"の患者さんを治療していこう。

このように考え、これまで個人で、受験で自分がした苦労をして欲しくない!という思いでやっていた教育コンサルティング事業が、"未来"の患者さんの治療という大きなビジョンに変わり、これを成し遂げるための方法を考えるようになっていきました。そして、2年生の後期からこれを始めるにはきちんとまとまった時間をとって必要なことを勉強、そして仲間を集めることが必要だと考え、1年間大学を休学しSharingKnowledgeを創業しました。そしてSharingKnowledgeを個人事業主で開始して2年弱経った先日、株式会社iZiNとして法人登記し起業しました。名前の通り、「異人」が集まって好奇心の赴くままに様々なことにチャレンジしていく会社です。

来年度からは再度大学を休学しiZiNの経営・プロダクト開発により一層時間を投下、さっさと「学歴を時間で購入できる世界」を実現します。


最後に

最後までお読みいただきありがとうございました。まだまだ未熟者ではありますがこれからもよろしくお願いいたします。

noteやTwitterでの具体的な発信は、本業のスキマ時間を作り出して始めていこうと思っています。

やるからには読んでくださる方により良い情報や気づきを提供したいので、どのような発信を行っていくか?を時間を取って考えてから本格的に始めていきたいと思っています。(Twitterも同時に再開する予定です。)

では、最後までお読み頂きありがとうございました。失礼いたします。

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