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限界は、動いているから、見えてくる。

 おはよう。今日はどんな一日にしよう。
 
 
ここのところずっと仕事で文章を書いていた。協力隊ラストの仕事で、熱塩加納のおいしいものと人を紹介するパンフレット。

 
 
書くのは好きだ。小学校6年のときに「ストーリー作文」という書き方を教わってから、楽しさを知って、我ながらめちゃくちゃにかっこいい卒業文集を書いた。アレがなんだかんだ人生で最高の文章なのではないかな。そのうちnoteで公開してみようかな。

 
 
なんだかんだ色んな形で毎日毎日文章を書いてる。SNSができてよかった。Twitter140文字の可能性。なぜかTwitterを通して深いつながりの友だちができた。書くという、ただそれだけなのに「おりんの文章好き」って言ってくれる人がいる。ファンになってくれる人がいる。

 
 
高校で同級生に一度だけ「りんちゃんはブログを書くといいと思う。毎日深いことを書いてくれそう」と言われたことが心に残っている。いわき駅のホームで帰り道に何の気なしに言われた。たった一言そんな言葉を真に受けて、大人になった今はこうしてnoteを書きライター業をしている。
 

 
文章を書いてみて、分かったことがある。それは、言うほどわたし、うまく書けねえということだ。一緒に仕事をしている相方と地域の紹介記事を書いて、見せ合ったときのことだった。相方のほうがあきらかに文のセンスが良い。簡潔で読みやすくて、紹介する人のよさも伝わる記事。一方のわたしは句点の位置が変、何が言いたいのかがまとまっていない、書くのが遅い、ひとつのコンテンツに言いたいことをつめこみすぎる。
 

 
書くのが好きなはずの自分が下手で、特にライター志望でもなんでもない相方が抜群に上手い。絶望した。絶望して、一時期は嫉妬して上手く向き合えなくなってしまったほどだ。

 
その他にも仕事で、たくさんのできないにぶち当たった。わたしなんもできないじゃん。わたしがここの仕事で役に立てることなんてなんにもないじゃん。もっとうまい人がいるんだもの。怖い。ここから生きていくうえでたくさんのできる人に出会うなんて。自分のできなさをまざまざと見せつけられるなんて。
 

 
完全にくすぶっていたわたしの心。でもやめる訳にもいかず、できないことをできないままやり続けるしかなかった。句点の位置が悪いなら、意識して直す。何が言いたいのか分かるように簡潔にする。余計な言葉を削る。いじけたままの文章を書くからなかなかすぐに改善はされないし、やっぱり他の人の文章がうまい。絶望。
 
 

 
それでも回数を重ねるうちに「よくなってる!」とか「読んでて感動した」とか言ってくれるようになって、自分でも前より書けるようになった。それが嬉しくて、また書けるようになった。
 

 
 
今でも書いていてやっぱり他の人の文章がうまいと感じるときがある。たぶん何も動いていなかった昔のほうが絶望せずに済んだ。「りんちゃんはブログを書いたほうがいい。」という言葉を持ったまま、書く道に進まないでいたほうが自分は才能があると信じていられたのかもしれない。書いてみた途端、「できない自分」に出会う。辛い。そんなことばっかりだよ。
 

 
でもそれが好きなことを仕事にするはじめの一歩だよね。動かずにいれば自分のセンスには一定の限界があることに気がつかないまま平和でいられる。でも動いてしまったのなら、絶望の状態から脱するしかない。限界の輪を広げるには辛いことのほうが多いし、たくさんのできないに向き合うしかないんだけれど、誰かが言った「あなたの文章が好き」「もっと読みたい」という褒め言葉を糧に、進んでいこう。
 

 
誕生日に大量のチョコレートをもらったので、適度に糖分を補給しながら書いていくよ。

 
さて、今日も、モリモリ食べてビシバシ働こう~
ワッハッハ

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