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少し間をあけて41日目 高野山 お大師様にご報告

先日、西国八十八ヶ所を歩き遍路にて無事結願致しましたことを高野山奥の院に居られるお大師様に報告して参りました。

で、ちょいと奮発いたしまして、一乗院というお寺の宿坊で一泊させていただきました。素晴らしく美味しい精進料理をいただき、深くスピリチュアルな朝の勤行へ参加、阿字観の瞑想指導を受け、美しい中庭にてヒグラシの鳴き声と共に夕暮れを涼み、充実したファシリティと宿坊を管理しているお坊様達の暖かいホスピタリティに大変感激いたしました。高野山の他の宿坊を利用した事がないので比較出来ないのですが、この一乗院はめちゃめちゃオススメです。もし皆さんが高野山の宿坊に迷われた時は心からオススメしたいです。と、どれだけ言葉を尽くしてもなかなか伝わるものではないので、ここは写真でもみていただければ、と思うのですが、いつもの様に全く写真を撮っておらずほんと残念な事であります。自分が。そんな自分が残念で仕方ないのでせめてHPのURLでも貼り付けようか、とも思うのですが、もうここまできたらこの自分の残念さをもっときつく抱きしめて大切にしたいと思い、あえてさらに不親切に振舞ってみてはどうか。という境地に思い至った訳でもなんでもなく、ただまぁ要は面倒くさいので各自ググって下さい。

っと言いつつ、それでもやはり良い人に思われたいとしがみつく情けない凡夫なので貼り付けました。

高野山、奥の院へはかれこれ4回ほど訪れており、特に御廟橋を渡ってからの空気感の変化というか、なんとも言えない神秘的で深く穏やか、それでいてピーんと張り詰めたようなあの空間が堪らなく好きなので、真言宗徒ではないけれど何度も行きたくなる場所なのです。

そのように、何やら自分の中で神聖化、聖域化している奥の院なのですが、今回は肝試し的に夜の奥の院をひやかしに行ってみたいという大変罰当たりな思いを持って夕食後に訪れました。(といっても、宿坊によってはお坊さんが案内する夜の奥の院ツアーとか、外国人を中心としたナイトツアーなんかも頻回に行われているんですけどね。)

と、そんな不敬な気持ちを隠しながら訪れたので、ちょっぴりビクつきながら御廟を参拝、般若心経等を唱えて帰ろうとしたのだけれど、そこで1人のお坊様に呼び止めらる。「あっ、これは見抜かれたね、怒られるね。徳のたかそうなお坊さんやし…これは間違いなく怒られるね…」と聞こえないフリして立ち去ろとしたのだけど、10m程追って来られたのでもうこれは観念するしかないと思い、止むを得ず立ち止まる。恐る恐る振り返り対峙するとそのお坊様は「私は第520代の法印です。この御廟でお会いする人の中で1日に1人、気になった方にこの染筆をお渡ししております。よかったらお受け取り下さい。良くお参り下さいました。」と何やら大きな紙包みを僕に渡して立ち去られた。法印?染筆?なんかようわからんけどとりあえず怒られなかったし良かった良かった、と安堵のうちに宿坊に戻りましたところ、宿坊の若いお坊さんがその紙包みをみて、「えっ、法印様のものですか!?あっ、なんか凄い…あした住職に詳しく聞いてみてください」なんて言うものだから慌ててググってみたら法印様とは高野山の一切の法事を取り仕切る最高責任者で大僧正の中から選ばれる云々…なんかとりあえずもの凄いお坊様で間違いないようである。そしてこれがいただいた紙包みの中身(染筆、つまり書)。本気の自筆でビビる。

そんな方の感覚に引っかかり、染筆を与えられる事はそうそう無いと思うので、体調を崩してからの思い立ってのお遍路、そして高野山に報告に来るここまで流れを考えたら、真言宗、そして空海さんになんだか只ならぬご縁を感じるわけで、うれし恥ずかし大好き、というかなんだか不思議な感覚。なんだか自分から向かっているというより、「…仏の方より行われ…」という正法眼蔵の道元さん言葉をやはりまた思い出すのである。…禅宗の言葉だけども。

それよりも感動したのが、法印様の仏の道における自身の身の置き方。経歴をちょっと調べさせていただいたのだけど、若かりし頃より真摯に修行に励み、学問の上でも仏教を深く探求し、またそれを修め、さらには国内外において積極的に社会貢献を実践し、そうして現在は法印にまで登りつめられた。もうそれだけでお腹いっぱいになりそうな経歴と大変立派な現在の地位にありながら、思いを込めた書を携えて奥の院へ1人で出向き、観光客や信者に交じり御廟でお経を唱えながら気にかかる人を待つ。そして書を渡す。このおこないって、なんか本気の宗教家の凄み、みたいなものを僕は感じて感動するのです。慈悲によって今世のうちに自身に宿る仏に気づかせ、一切衆生を悟りへ導く事を目的とする大乗(密教)の本気に触れた気がして。まさに即身成仏。

曼荼羅の電飾化も本気の一部なのだろうか。どうだろうか。

つらつらと纏まりのない文を垂れ流しましたが、大乗、上座部、宗派などの違いにとらわれず、もっともっとお釈迦様の教えや仏教について知りたいと思う今日この頃であります。


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