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Yoga 合宿 in Rishikesh 2週間経過

エブリデイエブリタイムyoga 。1週目は睡眠不足、熱中症、便秘、下痢などの体調不良が続き、なかなか難しい状況だったが、今や心身共に絶好調。やっと体がインドを受け入れた、いや、やっとインドが僕を受け入れてくれた、と言うべきか。yogaだけに集中できる日々。幸せすぎるこの状況を味わう。そしてこういった状況を味わうことを許してくれる僕を取りまく人々全てに感謝。ホントおおきにです。

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ただ、こういったyogaに全てを委ねた日々は至福感に満たされる事ばかりではなく、yoga的思考からどうしても自分の内面に向き合うことを余儀なくされる時がある。これがなかなかハードな作業なのである。それは、yoga的生き方から最も遠いところに所在しながら「それなりにやってけてるやん。てかむしろ人生を楽々サーフしてるやん。」なんて調子に乗ってた自分を眺めなければならない事なのである。で、結局自分自身(自我)にけつまづいて派手にすっ転んだ。グゥエー、死んだンゴー、な自分。そんな自分を直視しなければならないのは、なんだか鋭利な何かでグサグサやられてる感覚なのでまぁそれはそれでそこそこツライ。なんて気持ちになる時もたまにあるのである。

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ただ、「yogaから最も遠いところ」に所在し、人の助けにすがりながらもとりあえず生き延びてこれたことも事実。てことは、逆にこの先ものすごい伸びしろがあるのではなかろうか。なんてこともyogaを学んでいて思う。いったん今までの自分を許して(結果的に上記した”自我”も自分が作り出したものであるところに落ち着くのだろう)、そうしてこれからyoga的な生き方を実践し続ける事で救われる。自他ともに救われる。そんな道がほんの薄っすらと見えかけている。気がする。ここインドでyogaを学ぶことはそんな気分にさせてくれる。たぶん残りの人生をそこに注ぎ込むことは僕的に大正解なのだ、と。お遍路からココに至るまでの過程を経て、前向きによちよちヨチヨチと歩み始めているのだろう。

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ところで、じゃああなたが全面的に受け入れ、そしてすがろうとしているそのyogaとかyoga的生活って一体なんなの?って事なのだけど、まだそれを的確に説明して納得してもらえる言葉を持っていないのでここでは書かない。てか書けないしきっと書ききれない。この合宿を通して自分の中ではかなり落とし込めていると実感、体感できているのだけど。少なくともyogaは健康体操でもダルシムでもないのは確かである。また自分と闘う為の道具でもなく超能力を得る為のもでも無い。まぁきっとこれからの僕の生き方を見てもらうのが1番説得力があるのだろうね。

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毎日yoga。そして毎日カリー。ビィーガンでアーユルヴェティックなカリー。その優しい味は皆も絶賛しているし、確かに美味しい。

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が、僕は3日で飽きた。同じカリーならバーモントカリーが食べたい。ボンカリーでも良し。さらに言えば焼き秋刀魚が食べたい。梅干し、納豆、卵焼き。巨人、大鵬、卵焼き。地震、雷、火事、親父。そういえば、20年前に初めてインドに来た時は、日本食が恋しすぎて、半年の旅程を打ち切り1ヶ月弱で帰国したっけか。さて今回はどうなりますかな。

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