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【ご意見募集】ニッポンの製造業、再び輝くためには に対する投稿

結論は、最後にまとめることにしよう。

まずは、いまとても不思議に思う個人の感想から。

液晶テレビ

テレビと云えば、液晶である。昔は、1インチ1万円と云われたものですが、
いまでは、50インチが、10万円前後である。1インチ0.2万円と云うことになります。
消費者にとって安いのは喜ばしいことです。
でも、中身はどうなんでしょう?

-夏の日差しを浴び、風にたなびく、大草原の映像。
-キラキラと光の差す、そよ風に波打つ水面。

どちらの風景も心癒されるはずなのに、
家電量販店に展示されている沢山の液晶テレビの店頭の画面を見ていて、
気持ち悪くなった経験があります。

毒々しくて、全く自然な風景に見えないのです。
自身の過去の体験の記憶から作り出される「脳の映像」と目の前に映し
出される「液晶の映像」が大きく乖離しているため、脳がパニックを
起こしているからだと思います。

-南国のくちばしの大きな天然色豊かな色彩のオウムのアップ画像。
動物園でしか見たことはないが、絶対にこんな色などしていない。

-肌をあらわにした淡い光に映し出される女性の背中や胸。
淡い光に浮き上がる複雑な曲線が織りなす色の濃淡。
男性ならば、心がゾワゾワと騒ぎ出すはず。
でも、よく見れば、液晶画面に映し出されるのは、段々畑か、千枚田かと
思わせるようなガッサガッサの映像。

コントラストに関して云えば、ブラウン管の時代と比較すれば、驚異的な
表現力を持ったはずですが。

はっきり断言しよう。
いまの液晶テレビは、総合力では全盛期のトリニトロン管に劣る!

お掃除ロボット

仕事で家に不在にも拘わらず、勝手に動きだし、お掃除してくれ、
帰宅すればいつもお部屋はピッカピカ。
本当でしょうか?
我が家では、使えません。
カーペットとか、床にある障害物が多すぎるから。
あんな不完全な状況でしか動作しないものを何故みんな欲しがる?

いわゆるロボット

ホンダのアシモくんは、凄いです。
走り出すと、一瞬ですが、両足が地面を離れてしまう。
自身の制御不能な状態に一瞬ですが、身を委ねてしまうのです。
そして、着地した瞬間より制御を取り戻します。
恐らくは、着地する以前より予測して動作を繰り出すのでしょうが、
床の状態は、場所によって様々です。
例えば、床が、木の板で出来ていて、広い面積であったなら、床下は、中空のはずです。そうであるなら、床は、所謂、床板と梁で支えられる「両端支持梁」になり、場所によって、沈み込みや、跳躍の際の反発力もビミョーに違ってきます。最初の2、3歩は、誰でも成功させられるのでしょうが、
この微妙な様々な外乱要因のせいで、動作を続けられなくなります。
要は、コケるw
アシモくんは、連続して、この動作を繰り出すことができます。

片や、ペッパーくん
なんでも質問に答えてくれる饒舌なおしゃべりロボット。
正直なとこ。「あれは、何?」
あーゆうのもロボットって云うのでしょうか?
あれだけ優秀なおしゃべりのロジックを搭載できるのなら、足を生やして、走るのは無理でも歩くぐらい出来るでしょ。
断言しよう。パッパーくんは、永久に歩くことさえ出来ない。
(頑張れロボコンの)ロボコンより、ポンコツです。
わたしには、ただのめちゃくちゃ高価なリモコンのオモチャにしか見えないです。

さて、少しだけ前段の内容をまとめよう。
2つのことを云いたい。
-- ニセモノが横行している。
-- そして、消費者は、見た目に騙され、

    そのことを見抜くことが出来ていない。

本題の「ニッポンの製造業、再び輝くためには」に少し話しを移すことにします。

液晶テレビやお掃除ロボットにみるように本質的な機能は二の次にして、
廉価なまがい物に世界は流れているように思います。

液晶テレビにしろ、お掃除ロボットにしろ、じゃあ、あの値段で同じものを作れるのかと云われたら、自分には、作ることさえできないのですが、
それにしても、本来の機能がなおざりにされているように感じます。

日本の家電業界の没落が云われて、久しいわけですが、本来するべきことは、まだまだあるように思います。恐らく、家電業界に身をおく方たちは、そんなことなど、百もご承知のことでしょう。
競争に勝つためには、廉価に製造をしなければならず、ボリューム・ゾーンを確保する必要があるが、それが、どうしても出来ない。
要は、本来の物づくりができないのでしょう。

ならば、敢えて云いたい。
どうせ、没落したのだから、ボリューム・ゾーンは、捨てなさい!

それができたなら、見えてくる景色も違うはずです。

別の話しをします。

製造業では、既にミッシング・リンクが発生し始めています。

身近な例を出すと、草刈り鎌です。いまでもホームセンターに行けば、普通に売られています。
ただ、置いてあるものが、お話しにならない。手に取って一瞥しただけで、こりゃダメだと云うものしかなく、何件か廻って探しましたが置いてない。
仕方ないので、通販で有名なサイトでこれなら使えるだろうと思われるものをカートに放り込んで注文してみましたけど、届いたものは、ほぼ全滅状態。無いと困るので、筋のよさそうなものを選んで、オイルストーンで、刃を落として使ってます。たぶん、ローテク過ぎる業界なので、もう技術を引き継ぐ人材が消失しているのでしょうね。刃を落として使ってはいるのですが、昔から使っている鎌の切れ味には到底及びません。

自身の業界でも、昨年からミッシング・リンクは、起こっています。
全体を構成する一部の部品が、製造中止になってしまい。もう手に入らなくなり、困っております。色々な方たちに聞いてみると、似たようなことがボチボチ起きていて困っているそうです。一部の業種では、存続の危機と云ってもいいくらい悲惨な状況下です。

鉄工所のオヤジとしては、高度成長期のような輝きを取り戻してもらいたいところですが、あり得ないことでしょう。
この問題は、かなり製造業全体に危機的なことです。

どんな高精度な製品でも、どこかにローテクと云われる技術が紛れ込んでいて、全体の一部を構成しています。だから、大量の海外の生産を国内に回帰させるようなことは、既に不可能ではないかと思うのです。

※文中、ローテクと記載してますが、誰にでもマネできるわけではないと
   云う点では、逆にハイテクなのであります。念のため

またまた、別のお話し。

最近は、マーケッティング論的なお話しが花盛りです。
やれユーザに寄り添ってどうのとか。ネットで意見を吸い上げてどうだこうだの。仮説を立てて検証どーじゃら、こーじゃら。これは、これで、重要なことですが、最近のお話しを聞いていると、ただ単に売れないものを売る技術にしのぎを削っているようにしか思えないです。本当に物を売ると云うのは、とても難しいことです。

でも、良い物であれば、勝手に売れてしまうものではないでしょうか。

ソニーの(カセット)ウオークマンなど、良い一例でしょう。
あの当時の衝撃と云ったらなかったです。
当時の世界中の若者たちが、熱狂したのです。
なにせ、あんな物は、世界中どこを探しても無かったんですから。
大量の広告宣伝費も投入され、"It's a sony.(ソニーだぜ!)"のCMのフレーズは、いまでも心の奥に沁みついています。まぁ、冒頭にマーケティング不要論みたいなこと云っておいてなんですけどw
でも、ウオークマンの開発は、間違いなく「いつでも、どこでも、好きな音楽が聴きたい」と云ったところから始まったはずです。
そこには、単純で純粋な動機から出発し、物づくりが始まっているはずです。だからこそ、人はそれに感動し、狂気するわけです。

ネットやマーケッテイングの中には、そのようなものは転がっていないはずです。したがって、このような流れは、そろそろ終わりがくるはずです。
向かうべき方向ではないはずです。

みなで、叫びましょう!
くたばれ!リーン!さらば、ポーター!!www

さてさて、日本の製造業は、もう輝きを取り戻せないのか?の本題を考えてみたいと思います。

今の風潮は、不完全な商品でも、廉価な価格帯で、上手く顧客をちょろまかし、まずは、マーケットシェアを取り、競争相手をせん滅してから、利益を取りにいく。
ネットのサービスなどは、その典型です。
太陽光パネルは、もっと凄かったですよね。安価な製品でシェアを取り、
あげくに赤字になってしまった自身の会社を倒産させて、その後再生。。。
そんなん、あり?です。

この戦い方を最も得意とするのは、中国です。
この戦い方で挑む限り、いまの延長線には、恐らく日本の製造業の未来はないと思います。

答えをスイスの時計やグランド・セイコーに求めたいと思います。
一時期、カシオなどから、デジタル式時計が発売されて、スイスを始めとする機械式時計メーカが危機に陥りました。
では現在、機械式時計メーカはどうなっているのでしょう?
ちゃんと、残っています。
細々とでしょうか?
輝いていませんか?
そうではないですよね?

グランド・セイコーとか、その他高級時計は、故障しても、修理してくれて、長く使うことができます。
大事に使えば、一生物。中古でも、それなりの値段で買い取られます。
購入時の価格が高くとも、長く使えて、価値が減らないのなら、それは高いと云えるのでしょうか?

キーワードは、「本物」ではないでしょうか。
本物だからこそ、輝くのです。ニセモノやポンコツでは、どんなに磨いても輝かない。ただし、この方法は、量産は出来ないですし、一定のシェアしか取れません。
商品のライフサイクルが長いので、買い替え需要はないのです。
しかし、修理市場、中古市場は、魅力だと思います
自分で、修理して販売できれば、2度売り、3度売りしていることになります。部品は、自社の部品しか使えないのだから、シェア総取りです。
まぁ、プリンターの交換インクの事例もありますから、安易な想定は危険かもしれないですけど。

大まとめです。

答えは、「本物」を顧客に提供することだと思います。
一回売ったものは、一生顧客に使わせるのです。
そのためには、その商品を顧客に愛させることです。
愛が冷めれば、捨てられるからです。

いまの物づくりは、ニセモノではないでしょうか?
いまの日本の、「女房と畳は新しい方がいい」などと云う物づくりは、
戦略としては、誤っていると思います。

以上

みなさまに、大量の駄文を読ませてしまいましたこと、ご容赦のほど。
でもまぁ、女房は、新しい方がいいかなwアハハハ。

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