『坂の上の坂』藤原和博(ポプラ文庫)を読む

ブックライター塾の恩師、上阪徹先生が携われた本を読み終えました。

アマゾンの書籍紹介文
司馬遼太郎の名著『坂の上の雲』の舞台となった明治維新直後の日本は、平均寿命が今の約半分でした。一仕事終えた後は自然に枯れていき、隠居生活の後に奇麗に死ぬことができました。でも、多くの人が80代まで生き延びる現代では、仕事をひとやま超えたからといって、余生を慣性だけで生きるのは無理があります。
いまや50代から70代くらいまでの30年間は、単純な「老後」ではなくなりました。坂の上にあるのは「雲」ではなく、「坂の上の坂」なのです。この事実を、いったいどれほどの人が本当に理解して人生設計しているでしょうか? 
「坂の上の坂」世代では、人生は大きく二分されていくに違いない、と想像しています。これからやってくる「坂」の存在にいち早く気づいて準備を始め、50代から「上り坂」を歩む人と、残念ながら、ひたすら「下り坂」を歩む人です。

ちなみに、著者は、東京大学を卒業してリクルートに就職、トントン拍子で出世し、30代前半で営業本部長、その後新規事業を担当し、次々と大型プロジェクトに挑み、ヨーロッパ駐在を経た後、突然、40歳でリクルートを退職、47歳で東京都の中学校長になり52歳で退任、その中学校での教育改革の成果を全国に広める取り組みや、東日本大震災の被災地支援など、活動中です。

 52歳のとき、私はこの本に出会い、人生を一変させました。

(3自分の時間と、自分の仕事を取り戻す)
 49歳で、東証1部上場企業の関西マーケティング局長になったものの、大好きな現場仕事は部下に渡せと言われ、部下には人事考課の評価に対して大反発され、上っ面をなでるだけの形式的な会議に出席させられ、会いたくもない取引先との接待に駆り出され、鬱々とした毎日を送っていました。

 管理職になると、自分の時間の6~7割は、このような、本来ではない仕事に費やされることになっていくのです。本書の著者はこれを称して、接待、査定、会議の頭文字を取って「SSK」と呼んでいます。

 挙句の果てには、「会議の進め方」や「責任の逃れ方」ばかり上手くなり、会社の外では、あるいは現場では、まったく通用しない人間になっていきます。

 まさに私そのものでした。

(22リスクヘッジと大胆なチャレンジは両立する)
 渡辺淳一さんの小説「孤舟」で、男の定年後が驚くほどのリアリティをもって描かれています。

 朝、今日はどこへ行こうか、から始まる。行くところがないのです。友人もいない。つきあえるコミュニティもない。家庭にも居場所がない。会社人間だった自分には、息子や娘も冷たい。当然かもしれません。一番相手をしてほしかったときに、相手をしてこなかったのですから。

ぞっとしました。このまま行くと、確実に自分もこうなる。

(20組織内自営業者になる)
 とはいえ、いきなり独立して自営になる、というのはハードルも高いし、リスクもあります。そこで、「組織内自営業者」という考え方を意識してほしいのです。会社を利用して自分のスキルを磨き、いつでも自営業者になれるくらいの力を身につけることです。そういう意識を持つと、会社ほど自分の能力が磨ける場所はない、ということに気づきます。給料をもらいながら、自分を鍛え上げてくれるのが会社です。企業は個人にとって、最高のビジネススクールになるのです。

 私は、中小企業診断士の資格を取得していたので、将来経営コンサルタントとして独立起業することとし、何をやるにしても営業能力は必ず必要だと考え、自ら志望して、営業一兵卒になることにしました。2段階の降格です。

 この決断が、今の私につながりました。

(長くなるので、かいつまんで言うと)営業である程度実績を挙げたもののリストラされ、何とか転職先を見つけて思いがけず出世したところで過労死寸前になって降格され、会社に居場所がなくなり追い込まれて独立起業しました。しばらく鳴かず飛ばずでしたが、それまでの経験をノウハウ化し書籍として出版したことがきっかけで大型契約をいただき、何とか食べています。

 今のところ、「孤舟」の主人公のようにならなくても済みそうです。

 そして、現在は、ノンフィクション作家を目指し、新たな挑戦を始めようとしています(了)


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