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『物語は変わる』

トナカイさんの展示をみてきました。
みょきみょきと上に向かってのびていくさつまいもの芽の生命力に溢れた『芋の芽』という写真がとっても好きで、同じ並びに『悲しみの体積』という詩がありその見せかたがとってもすきでした。トナカイさんの写真と詩は生きるものたちが様々なものを抱えたまま、必死に食いつきなんとか生きる姿の美しい部分を掬いとって対峙させてくれているようで、いつもその暗い静謐さのなかにあるかがやきとかなしさがうつしだされていてずっとすきです。

紫陽花の写真もとてもすきです。
紫陽花を見るとトナカイさんの誕生月だということを
思い出します。


四年前に谷中で開催されたトナカイさんの展示ははじめてひとりで観に行き、今回は同居人と二人で展示を観に行きました。

『物語は変わる』という展示タイトルなのもあり、展示をあとにしてバス停に向かうなか、この四年間での自分の身近な人たちのあらゆる変化を振り返りつつ自分は傲慢にも対して変わってないような気がしてしまいましたが、自分は自分で当時想い人であった同居人とともに暮らして、その生活には健やかに生きている文鳥という愛らしい鳥が四羽もいる。四年のときを経て自分も案外大きく変化し、心身ともにとっても健やかになり、当時想い人であった同居人とふたりで展示を観にきていることに夢心地のような気持ちを抱き、もうあのときの孤独感や感情を引き連れてトナカイさんの写真をみることはないのかもしれないと戸惑いもしました。

今回でトナカイさんにお会いしたのは何度目なのだろうか、トナカイさんの目の前に立つといつどんなときでもとっても緊張します。
目の前のものをただ真っ直ぐなまなざしで見据えとらえて、そこにずっしりと二本の脚を根差し存在している姿はすべてを見透かされるような感覚になります。トナカイさんの目の前にひとりでいても、ふたりでいてもそれは変わりません。それでも時折り見せるくしゃっとした笑顔やゆるやかな動きと穏やかな声音はやさしくあたたかいのです。ほんとうに、立派な角をもつトナカイという生き物のようです。
次お会いするときはむかしと違いもうひとり同居人という頼もしい人が増えちゃいますが、また一緒に飲むことができるといいな。それを叶えるまでは相変わらずしぶとく元気に生きます。



ふたりともモノクロチェキをあとからみて
とても気に入ってしまい
デジタルにして大きくして飾れたりしたらいいのにねなどと話したりしました。
とってもかっこいい表情の同居人でした。
(目を瞑ってしまったカラーチェキの同居人も
ほんのり微笑んでいてかわいい)

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