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呪い、彼女、わたしの祈り

あるときから自分の笑顔が嫌いだ。こんなふうに醜くしか笑えないことへのコンプレックス。

中学生くらいまではALTの先生や会う人たちによく笑顔を褒めてもらえた。わたしは笑った顔が一番いいのだ、そう、思い込んでいた。

その思い込みはわたしがもう何年前だったかも振り返るのも億劫になるほどの記憶になってしまった初めて同棲した彼がわたしの実家へと泊まりに来て、母に挨拶をしにきたとき、そのときにアルバムを共に捲っていて彼が発した一言で崩れた。


「きみ、口をニッとしているだけのような不自然な笑い方をしていたり、破顔したときも正直…変な顔だ」


そう言われてから途端に恥ずかしくなった。

わたしはずぅっとうまく笑えていなかったのだ。

彼は色白で線が細く華奢だが病的な窶れではなくつくべきところには最低限の筋肉もついていた。「美人」と言える整った顔立ちまでも兼ね備えてた。そして年上で賢かった。

何もかもが不釣り合いな自分と彼。

かわいく、愛らしく、笑えているものだと思っていた、しかしそうではなかったことを何もかもが不釣り合いだと思えてしまう当時のわたしには完璧に思えていたこの人に言われたことでさらに恥ずかしく、自分が醜く思えた。

それから、その呪いは解けていない。

だけど、ここ数年、SNSを通して、だいすきな、大事で大切な彼女ができた。

彼女、というと交際しているのかと勘違いされそうだがそうではない、側からみれば「友だち」という部類になる。ただわたしは彼女を「友だち」という枠組みにおさめていない、そういうのをこえたところに存在する、彼女は彼女、それ以上でもましてやそれ以下になることなどはない、彼女は彼女としてわたしのなかにただ存在しているのだ。何度も「ぼくら双子だったらよかったのに」と現実を憂うように願うようにぽろりとこころのなかで零しては夢を見る。

そんな彼女が度々わたしに言ってくれる。


「ぱって花の咲くように笑う」


と言ってくれる。はじめてだった。

自分の笑顔を、自分が嫌いなこんな笑顔を、彼女は見たことがあったか、なかったか、どうだったかわからないが、彼女はそう言った。

うれしかった、途方もなくてしゃがみ込んでしまうときも、ひとり暗闇に向かって泣き喚いているときも、青空に手を伸ばして駆け出すときも、閉じ籠り海に沈む陰鬱なときも、お花を眺めて穏やかに過ごすときも、どんなときも分け合えてしまえた、互いに寄り添い合い、願い、祈る。唯一の彼女にそう言ってもらえることがうれしかった。

しかしそれで呪いが解けたのか、というと相変わらずだ。完全に解けることがあるのかはわからない、だけど、少し綻んでくれたように思う。

わたしはわたしの笑顔が嫌いだが、彼女の前なら笑顔でいたいと思った。

わたしはそれから、彼女が願う方へ、もし他にも同じようにわたしの無事を願い、願いを守ってくれる人たちがいるのなら、そういった人たちのそばにいつまでもいたい、その人たちのしあわせと願いや祈りが届く瞬間をずっと、できることならその姿を見届けていたいと、そう思った。

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photographer:https://instagram.com/mis.0___q?utm_medium=copy_link

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