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具合が悪いです。わたしの言う具合が悪いは心身のすべてに適応されるのですが、まあ例によってすべてが不調ですね。と、いうか精神と肉体が連動しまくってるので心が不健康だと肉体にも影響があり、その逆もあり。いわゆる自律神経がよわよわちゃんなのです。お腹も痛い。
弱々メンタルは過去と未来に拘束されがちです。過去とは辛い経験や思い出、未来は予感や期待、あるいは不安です。その両方に絡め取られた精神は今現在、地面に足をつけている自分のことを忘れてしまいがちになる。悪い癖で、直さなければと思うのですがこうして弱々になっていると難しいものです。深呼吸が心身を落ち着かせるのに効くのは、呼吸を意識して行うことで「今」をことさらに際立たせるためらしいです。深呼吸をマスターして平穏な日常を送りたいね。過去と未来を求めず、今この瞬間を生きることはどうにも難しいです。大切なのは情報の遮断と深呼吸ですね。ヨシ!
読んでいる本は相変わらず学術本ばかりなので省略。なかなか毎日しんどい以外の書くことが思い浮かばなくて悲しいです。ウーム

理由づけは、人間が日々を生きているためで欠かせない行動であると感じます。身の回りの事象を何かのせいにする、ということ。たとえば頭痛吐き気目眩イライラを台風のせいや体調のせいにする、身近なものならこういうことから。こういう、対外要員によるものであるとすることで一種の納得や諦めを得るわけですね。度が過ぎれば被害妄想や加害妄想などを誘発するんですが(わたしは度が過ぎているので天地のすべてが自分のせいだと思いがちです。かなしいね)ある程度のものならば生きていくために有用なわけです。生きていくのに必須ではあるけれど、使い方は大事で、国家や社会、あるいは特定の人物や何やらへの攻撃意図としては使いたくないものですね。この心身の不調は台風のせい!とかその程度にしたい。
この、理由を作るというもの、つまり脳内で生み出す理論の最たるものは宗教であると感じます。原始宗教は世の中のありとあらゆる自然現象に名前をつけるところからはじまりました。
具体例を出しちゃいますが、キリスト教は三位一体でこの世の全てを説明可能なものとした。肉体と魂と霊で、すべては観測可能であると。神のみこころという言葉の広さを思えば感服しますね。それが一神教レベルだとますます全知全能すげーやとなります。しかし多くの異なるものたちが、それぞれの集団内で理由づけをしちゃったために、ひとつの事象に対して複数の理由が生まれ、それはあってはならないものなために争ったり融合したりするわけです。大変だね。まあともかくそうした理由づけと、事実としての豊かさが融合することで西洋中心主義なんかが生まれたんですね。自分たちが優れているという自信につながったので。

わたしが好きで度々名前を出しているレヴィ=ストロースは、そうした西洋中心主義が見下していた「未開の社会」が持っていた緻密な構造を明らかにし、西洋中心主義を覆しました。つまるところアメリカ原住民たちが持つ古い神話には、優れているとされる宗教に勝るとも劣らない複雑で精密な「理由づけ」が発見されたのです。野蛮で混沌としていて無秩序な世界から脱却し、精錬たる思考、明確な理由づけを持っているから偉大である、という中心主義に、異なる世界にもすてきな思考はあることを教えた。それってとてもショッキングで、でも素晴らしいですよね。わたしはレヴィ=ストロースのそういうところが大好きなのです。くわしくは野生の思考を読んでね
というような話はさておいて、理由づけは人間が人間たらしくあるためには常に必須で、それは想像と記憶することができる脳内で起こりうる壮大な物語でもある。その理由づけのために、わたしは自らを意味もなく攻撃して苦しめてしまうこともあるのですが、自分の中でオリジナルの神話を生み出すことで、すべての苦しみに理由をつけて、自らをいつか救えたらなあとか考えてしまうのです

日々のごはん代や生きていく上での糧になります