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極彩色の楽土で観るもの『アナイアレイション』感想

Netflix制作の映画、アナイアレイションを見ました。

あらすじ
宇宙から飛来した未知なるもの、落下地点の灯台から、放射線状に拡散していく異空間をエリアX、あるいはシマーと呼ぶ。シャボン玉の膜のような、極彩色の虹色を境界とする空間の中へ、入ったものは誰一人帰ってこない。
一年間行方不明だった夫、ケインはエリアXから帰還するも、記憶の混濁と共に危篤で倒れる。彼はシマーの、唯一の生還者であった。妻のレナは細胞の研究をする生物学者。彼の命を救うべく、エリアXの新たなる調査隊の中に志願入りし、シマーの中へ入っていく。


ネタバレ薄めの感想

自分の目の前に開かれた世界をどこまで信じるか、主観とはどこにあるのか…異世界へ突入するタイプのSFでは必須であろう、認知の歪みがそこかしらに現れて、錯綜する過去と今と、あるいは自然と人と獣が不快感を与えつつも、神話じみて厳かである。目を見張るように美しく、奇妙で、気持ち悪い。
タルコフスキーを想起させるという噂だったので鑑賞したが、なるほど確かに、惑星ソラリスの反射やストーカーの異質さを思い出した。すべては光の錯覚、あるいは幻聴か幻覚ゆえのものとして斬り捨てたくなる程の悪夢、あるいは変容していくものに対する恐怖と好奇心。エリアXの中では、何もかもが加速的に変容していく。動物は異種と交じり合い、植物はひとつの株からさまざまな花を咲かせ、人の胎から大輪が咲き、細胞は極彩色に輝いていく。
この映画の中の、クリーチャーも植物も動物も人もみんなあまりにも美しかったし、戸惑いながらも目の前にあるものを受け入れるしかない無力さの中に流れる音楽の不愉快な心地よさもたまらなかった。

美しさは縦横の軸に存在するが、時間軸の狂い方も魅力的だと感じる。悪夢のような情景の中で断続的に挿入される過去の映像は、夢から覚めるようで気に入らない人もいるだろうが、私はミステリアスかつ混乱のきっかけになり心地よかった。男と女の関係が、ラストの抱擁へと繋がる…当たり前のようなラブストーリーに見えて、その間に横たわる異質な現実が恐ろしい。景観はコンクリートを這う緑や、魅力的に混ざり合ったクリーチャー、要所に登場するビデオデッキの映像等わくわくさせるものもありながら、やはりラストの、海岸と白い木々、散らばる骨、そして白く生き物の形を宿す灯台と、体内へ入る臓器の穴のようなものの、向こうにある暗い誕生の場……ひとつの内的世界の果てとして、世界の中心としての灯台の情景が最高だった。


ここから先はネタバレ。

細胞は等分に分裂する。では、片方の細胞に意識があり、もう片方の細胞を排除しようとしたら。
あるいはがん細胞のような、悪性のものがものすごい速度で分裂していき、体内という名の世界にばら撒かれて、拡散されてゆくのを排除しようとしたら。
レナをはじめとする人々は、エリアXという世界、あるいは肉体の中の細胞であるのかと感じた。空白の四日間の中で、彼らはゆるやかに細胞と化した。適合しようとするものもあれば、レナのように、破壊からの脱出を遂げようとしたものもいた。
ラスト近くの、銀色の「わたし」との対決。眠ったわずかな時間でおたがいがすっかり入れ替わったとしてもそれを証明するすべはなく、もしくは必要もない。シマーはおそらく世界にばら撒かれ、人々の細胞の中に入り込む。つまり「わたし」は、レナはどうあがいたって世界に属する細胞の一員である。それこそ空白の四日間にわたしは植物の一部となったのだ。
内的世界の中で誕生したものは、等分に分裂したわたしそのもの、増えた細胞だったのではないだろうか。片方の細胞が片方の細胞に爆弾を握らせて自己破壊、領域の排除をするが、それでもなお分裂し続けるであろう、根本的な細胞そのものの切除は不可能であり、もしくは発見地を焼いたとしても、外の世界にばら撒かれた細胞たちは、やがて思い思いに分裂していくだろう。
だから結局のところ、等分化されたケインのどちらが真実かなんてどうでもよくて、われわれもあのゾーンに入れば細胞の一部、システムの一部、なのでレーザー的なやつで焼き払われる側に組み込まれる。
彼らがゾーンXに至るのは、ある意味で自殺、もしくは自己破壊であった。そうして、ゾーンXから出たケインとレナは、お互いの孤独、お互いの罪悪感、黙っていた恋愛だとか、そういったひそやかな決裂を乗り越えて愛を手に入れたのではないか。ケインではない、という否定の果ての、ケインを抱き締めるレナと、今度は抱き締め返したケインと、そうしてゆるやかに閉まっていく扉、色の変わる虹彩こそが、ゆるやかに変化した彼らという細胞の、「治療した」愛の果てなのだろう。

日々のごはん代や生きていく上での糧になります