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"お散歩以上、修行未満"のトレッキング〜山形県羽黒山神社。

前回、京都の大文字山を登ったら思いのほかつらかった。という話をしたけれど、実を言うとあの時、以前にも似たようなことがあったな、と、登りながら思い出していました。軽い気持ちで参拝に向かったつもりが、何とその参道は2466段もの階段が続く山道でもあり、途中でただならぬ参道であることに気づいたものの、ここまで来たら引くに引けなくなった、という話です。
そこは山形県鶴岡市の羽黒山神社。神社マニアの友人から「ここの参道の五重塔はぜひ見ておきなさい」と勧められ、山形まで行ったついでに立ち寄ったのでした。
なお、この五重塔は、今年の5月から令和7年の春頃まで、杮葺きの屋根の改修工事に入るとのこと。なので、ここで早めに紹介しておきたいと思います。

羽黒山そのものが、神さまの領域。

羽黒山には二度行きました。一度めは2012年の10月。うっかり参道を登ったのはこの時で、山の中を延々と続く階段は、この時に撮影しました。完全に息が切れており、写真がブレているのでわかると思います。
そして二度めは2019年の7月。参道の途中、森の中に1200年も佇む五重塔の内部が、なんと150年ぶりの一般公開。次はまた百年後になるのか、いつになるのかわからないというので行ってきました。この時は、ラクして山頂までクルマで登ったんだけどね。
で、ひとまず一般公開を見に行った2019年の話から始めます。

鶴岡市内から羽黒山に向かう途中、ご覧の大鳥居が現れます。うわぁ、なんだか凄いところに向かっているようだ。つまりここから先は、神さまの領域。

この鳥居をくぐったら、いきなり霊験あらたかな気配になるのかと思えばそんなことはなく、しばらくのどかな田園風景が続きます。やがてちらほらと宿坊が現れ、参拝者用の駐車場が現れ、クルマで山頂の羽黒山神社に行く方はコチラ、歩いて登る方はコチラ、というような案内表示を見つけました。
僕は迷わず歩いて登る方を選択。そこからの方が五重塔が近いからです。

羽黒山への入り口「随神門」の周りには、けっこう駐車場があります。
門をくぐると間もなく深い森。しばらく上り下りを繰り返すうちに、周囲の杉の木がとても大きいことに気づく。
いくつか小さなお社を脇目に10分ほど歩くと、向こうには、この世と黄泉の国との境を思わせる橋が見えてきた。なんとなく渡るのがためらわれる。
でも渡ってしまったわけだが…
静けさに川の流れる音が加わった。ここには滝があったはずだけど、写真に残していなかったな。

橋を渡っても静かな杉並木が続く。アカショウビンの声が聞こえる。いや、聞こえたような気がしただけかもしれない。あとは風で樹木がザワつく音と、自分の足音しか聞こえない。ちょっと怖いくらいだ。たまにほかの観光客の姿を見ると、この世に戻ってきたような、ホッとした気分に戻る。
ところでこの杉並木、国の天然記念物なんだそうだ。いずれも樹齢千年級。杉と言えば、都市近郊の山に無理矢理植林した杉林や花粉症など、あまり良いイメージは無いのだけど、ここの杉はホンモノのようだな。
そして間もなく、こんな杉が現れる。

道を曲がったそのときに、この杉が目に入った。「どーん!」という音が聞こえたような気がした。
これは「爺杉」と呼ばれておってだね、羽黒山最古の杉と言われ、尊敬されている。案内板には、推定樹齢千年以上としか書かれていなかった。

そしていよいよ、国宝羽黒山五重塔に対面する。

その瞬間は意外に呆気なくやってきた。
爺杉をしばらく眺め、すごいなぁ、と思いながら先に進み始めたのだけど、目的だった五重塔は爺杉のすぐ近くに建っているんですね。
最初は奇妙な建物があるな、くらいの印象だった。なぜなら木造のその建築物は、千年もの風化が進んで、すっかり森に溶け込んでいるように思えたからだ。

これが五重塔だと気づいた時に、再び「ど〜ん!」という音が聞こえたような気がした。
参道から見るとこんな感じ。森に溶け込んでいるようすが伝わるでしょうか?

この五重塔は平将門が創建したと伝わる。創建は西暦900年代後半。
現在の塔は応安5年(1372年)に再建され、慶長13年(1608年)に修理が行われたという記録が残っている。しかし創建当時の部材が多く使われているというから、この目の前の木材は1200年前のものなのかもしれない。

もっと近寄ってみようじゃないの。高さは29.2mとのこと。
1200年の時を超えた木材の枯れ具合。

なお前述の通り、2019年に、この塔の内部が一般公開された。公開は何と150年ぶりとのこと。しかも、次の公開の予定は決まっておらず、あっても百年以上後になるだろう、とのこと。そんなこと言われたら見に行きますよね。

チケット売り場にはこのポスター。秘中の秘なのだよ。

もちろん、内部の撮影は禁止。
中に入ると、東西南北の壁に、それぞれ平安時代初期の書家、小野道風が書いたという書の木彫りが掲げられていた。歴史の教科書の、最初の方に出てくる小野道風。これを見ると千年以上も前の建物であることが実感できる。
祭神は大国主命。仏教施設なのに、出雲大社と同じ祭神の大国主命? と思う方もいるかもしれませんが、いにしえの時代から明治時代まで神仏習合なのです。

なお、この一般公開では、二階の窓から内部の構造を覗きこむこともできた。頭を入れてじっくりと眺めてもいいのだ。
中にはど〜んと大きな心柱。塔を結びつけるものは太さが様々な植物の蔓。まぁ何とシンプルな部材たち。これだけで千年以上もの間、この大きな塔はぶら下がっていたのか、と驚くけれど、この構造は、揺れれば揺れるほど引き締まるのだという。その技術には、あっけにとられますな。
塔の中には、下から上へと涼しい風が吹いていた。これは勝手な想像なのだけど、この風が千年以上もの間、この建物を腐食から守ってきたのではないか、と思った。つまり風を取り入れる構造なのではないか、と。そしてこの風に吹かれると、なんとなく頭が良くなったような気がしてくるのだ。

ミシュランガイド三つ星の参道を登る。

もう一生見ることができないであろう塔の内部に別れを告げ、再び参道に出る。その道は羽黒山表参道と呼ばれているくらいだから、すぐに山頂に行けると思うじゃないですか。だからついでに、頂上のお社もお参りしておこう、と。
ここから先は、2012年の初登頂の話になります。

入り口の随神門から五重塔までは、上り下りで徒歩15分くらいだったかな。だからこの程度の登りでビビることはなかったのだけど。
塔から先は、登っては緩やかな登り、再び登っては緩やかな登り、を繰り返すようになる。

先はまだか、まだなのか、と思いながら、急な階段と、視界の開ける緩く長い階段が交互に続く。しかもこの階段、雨上がりだったので滑るんです。正直に言うと、誰も見ていないところで一回だけ転びました。アカショウビンが笑ってるぜ。

山を下りてから聞いたところ、この参道は全長2kmと少しとのことだった。ホントかな。4kmくらいだと思っていた。
いくつかの急な登りの後に、何やら建物が見えた。さぁ、ようやく頂上か、と思ったところ…
再びこんな階段が現れる。気分は振り出しに戻る。

途中で何度引き返そうと思ったことか。しかし、引き返しても同じくらいの距離を歩くのだろうから、このまま行った方がいいだろう。
こうとわかっていれば来なかったか? いや、わかっていればそれなりに、いろいろ備えて来たと思う。これは参詣ではなく、修行なのだ。なんたって修験道の山なのだから。何より、この森の気配と静けさが心地よい。トレッキングに行くくらいの心構えと装備があれば良いだけのことです。
そう言えば、五重塔も、この参道も、山頂の出羽三山神社も、ミシュランガイドで「わざわざ行く価値がある」という三つ星なのだとか。ミシュランガイドの日本版はほとんどあてにならないと思うけれど、この三つ星だけは正しい評価だと思う。

そんなこんなで歩くこと一時間以上はかかったところで何やらゴールらしい鳥居が見えた。でもまた、この後に階段があったらどうしよう、と思ったけれど、そこは畏れ多くも、出羽三山神社の境内でした。

このゴールの手前に、小さな休憩所というかお茶屋がありました。もちろん入りましたとも。そこでは何と、この参道をすべて歩いて登ったという、「健脚証明書」を発行してくれます。

ということで最後に、出羽三山神社の見事な茅葺き屋根をご覧いただいて、おしまい。

羽黒山神社に来るつもりが、出羽三山神社という名で呼ばれている。これは、月山神社、湯殿山神社、羽黒山神社という、通称出羽三山の三神合同殿なのですね。
この池、蓮の季節には、さぞや美しいと思われます。

なお繰り返しますが、五重塔は、令和5年5月上旬から令和7年春頃まで、杮葺きの屋根の改修工事を行うとのこと。あと2年も待てない人は、今年の4月いっぱいに、どうぞ。




































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