Web屋が緊縛師になりました
どーもこんばんは。
高瀬ヤスジ改め、たかせ秦之助と申します。
結論から言うと、概ねタイトルが全てでございます。
厳密に言うならば、今年の2月から既にそうなっていました。
これはいわゆる転職エントリに該当するものなのかどうなのか、そもそもフリーランスに転職という概念があるのやらないのやら。
ただまぁ、十数年に及ぶWeb屋としてのキャリアを力の限り放り投げ、全く違う仕事にジョブチェンジしました、ということです。
親しい方々には周知の話だったりしますが、そこまででもない方々にとっては「何事!?」案件かと思いますので、事の経緯といいますか、たかせの思うところを徒然なるままに記したいと思います。
始まりはどこにあるのやら、自分の中で、ふたつのことが並走していましたとさ。
Web屋の定年40歳説
これはまぁ、そういう定説があるというよりは、5年前から自分が言い続けてきたことであります。
後から後から新しい技術が生まれは消え、1年も持たずにトレンドが移り変わるITの世界において、古きにしがみつき、新しきに唾を吐く老害は不要。
「今どきの若者は...」なんてダサいセリフ吐くやつは120%現実を直視できない老害で、実際には優秀な若者に溢れかえっているのがITの世界。
新しい価値観についていくことのできない40代のおっさんがでかい面して現場に居座っていても、百害しか無い。
なら、Web・ITに生きるオーバーフォーティたちはどうしたらいいのかというと、コンサルになるか経営者になるか投資家になるか、要は現場から卒業する以外の道はないと。
5年前(35歳当時)、そんなことを思った高瀬ですが、経営者や投資家になるほどの甲斐性もないので、消去法的にコンサルの道を模索することになったわけです。
果たしてWebディレクターの先にあるコンサルとは何か...?
マーケティング、ブランディング、事業企画、採用企画などなどなど、いろいろチャレンジしてみた結果、まぁまぁどれでもいけそうだなという感触を得られるくらいにはなりました。
でもね、別に楽しくないんだよね。
かつては3日に1度しか睡眠を取らないような狂った働き方をしていた高瀬ではありますが、それって結局楽しいからできていたことなんですよね。
働き方改革だ労働基準法だなんだかんだと言っているけど、結局はモチベーション次第な話であって、モチベーションがあれば狂ったように働くこともできるし、モチベーションがなければ定時上がりだって超しんどい。
ただただ食っていくだけならどの道でもよかったけど、とにかくモチベーションがない。
そんな状態でこの先何年もその仕事を続けていくなんて地獄でしか無い。
そんなこんなで、40歳を目前に控えた2019年1月、すべてを放り投げることを決意しました。
もうやってらんねーなと。
緊縛の絶大なポテンシャル
「ロープなどを使って身動きが取れないほどに縛ることである。」 by ピクシブ百科事典
緊縛との出会いは、かれこれ3年と少し前。
知人に誘われ参加したイベントで、今では師と仰ぐHajime Kinoko師のパフォーマンスをみたことでした。
その時の衝撃たるや、俺の貧弱な語彙力では説明できないのでほぼほぼ割愛しますが、とにかくシビレた。
Web屋としての経歴よりも少しばかり長いほどには手品師を嗜んでいたもんで、ライブパフォーマンスには少々興味が深めな俺ですが、とにかくシビレた。
シビレすぎて、気づいたらHajime Kinoko師が主催する緊縛教室に通ってたよね。
ちなみに、Hajime Kinoko師がどんな仕事をしているのかというのは、サイトを見ていただければ、いわゆるAV的なソレとは全く異なるものであるということがわかっていただけるかと思います。
とはいえ、当初はさすがに仕事にするなんてことは全く考えておらず、ほそぼそ趣味的に楽しんでいたわけなんですが、知れば知るほど、緊縛のポテンシャルの凄まじさに気づいていくわけなんです。
そのポテンシャルについてかいつまむとこんな感じ。
- 戦国時代にルーツを持つ歴史のある技術である(成熟した技術体系を持っている)
- アングラジャンルなため実態はあまり露出していない(認知が低い分だけ市場が残されている)
- 海外では、日本ほどダブー視されておらず、俄に世界中で流行の兆しがある(すでに世界進出の足がかりができている)
- 日本発祥の文化である(本場のプレーヤーであるというアドバンテージ)
- Hajime Kinoko師が既にアート、音楽、ファッションなどの市場に進出している(メジャーへの足がかりができている)
- Hajime Kinoko師以外のプレーヤーはアングラの世界を中心に活動している(まだメジャーに競合があんまりいない)
- 習得コストがそこそこ高い(金銭的に若者が参入しづらい)
これは...!って思ったんです。
もしや、俺でもまだ間に合うんじゃないかと。
こんなポテンシャルの塊が、長いこと地下に埋もれていて、そしていままさに地上に吹き出ようとしている絶好のタイミングじゃないかと。
私はコレで緊縛師になりました
Webの世界から引退することを決めた夜、己に問うたんです。
今一番やりたいことは何か?
今自分ができることで、最もビジネスとしてポテンシャルがあるのは何か?
もうね、緊縛しかなかったんですよ。
充実感も将来性も、今これにまさるものは自分の中になかったんです。
ならばもう、やるしかないべと、速やかにHajime Kinoko師に相談をさせていただき、スタッフとして働かせていただくことになったわけであります。
というわけで、今後は高瀬ヤスジ改め、たかせ秦之助として生きていきます。
職業は緊縛師・ロープアーティストです。
もし緊縛に興味のある方がいらっしゃいましたら、こっそりでもいいので(恥ずかしがらずに!)たかせにご連絡くださいませ。
オンラインでは、主にTwitterとInstagramで活動していますので、ぜひフォローしてやってください。
文化祭の件は本当にごめんなさい
たくさんの期待をいただいていたにもかかわらず、何も言わずに失踪した感じになってしまい、本当にごめんなさい。
急転直下な展開で、気持ち的にも時間的にも、直視することができませんでした。
緊縛師として実績が出せるようになった暁には、改めてトライしたいと思っています。
関係各位の皆様方、本当に申し訳ありませんでした。
最後に
おそらく12月あたりにショーをやります。
詳細固まりましたら改めて各方面で告知いたします。
興味本位で結構でございますので、ぜひぜひ起こしなすってくださいませ。
今後とも、緊縛師・ロープアーティスト たかせ秦之助をよろしくお願いいたします。
かしこ
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