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全員に愛される強く優しいキャプテンー中西大翔という人

こんばんは、ライター修行中のAikaです。
昨日は高熱が出てしまい、ブログをお休みさせていただきました…。
楽しみにしていた方には本当に申し訳ないです。
そして、体調を気遣う温かいお言葉もいただきました。
本当に感謝しかありません!

前回は國學院応援ソングを作られた、キャラメルパンチさんについて、書かせていただきました。

↓前回のブログ↓

病み上がりでして優しい人の特集したいな、と思ったので國學院の前主将、中西大翔選手について、書きたいと思います。
本当はこんなんじゃ足りないのわかってますが、序章だとおもってください(笑)

國學院大學の前主将、中西大翔選手は1年生から駅伝に出場していた誰もが認めるエース選手。

箱根駅伝の実績も十分です。

第96回大会4区:3位 1時間1分53秒
第97回大会2区:15位 1時間9分14秒
第98回大会4区:4位 1時間1分50秒

それだけに、4年時に箱根に出走できなかったことは、ご本人も周りも監督も無念だったかと思います。

実績十分の強いエースでありながら、その優しさに助けられた部員は非常に多く、人格者として慕われていたエピソードも多いです。

大翔選手には同じ國學院に双子の兄、唯翔選手がいました。
1年時から箱根メンバー入りしていた大翔選手に対し、走れなかった(当日変更だったと記憶しています)唯翔選手は涙を流して悔しがっていたそうです。

そんな唯翔選手を励まし続け、時にはペースメーカーとして引っ張りながら、誰よりも出走を願ってサポートし続けたのが大翔選手でした。

結果としては唯翔選手のランナーとしての出走は叶いませんでしたが、箱根で給水ランナーとして、大翔選手に力水を渡してくれたことで、2人の箱根路となりました。

唯翔選手だけではありません。
中西主将になってからというもの、多くの部員が「大翔さんのために!」と口にしていました。

当時2年で大エースの平林選手。

同じく当時2年で”4本柱”の一角を担った山本歩夢選手。

箱根駅伝当日は、同期の坂本健悟選手が大翔選手のサングラスをつけて走ったそうです。

また、10区アンカーを務めた佐藤快成選手はケガで思うように走れない期間、大翔選手に励まされ、恩を感じていたそうです。

7区を走った当時1年の上原選手は大翔選手の部屋っこ(寮で同部屋)で、なかなか駅伝に出られず悔しがっていた期間、大翔選手に励まされたといいます。

主将は部員に慕われる人、尊敬される人がなることが多いとはいえ、これほどまでに部員皆から主将個人への感謝や尊敬の眼差しで溢れていたチームは珍しいです。

包み込むような優しいキャプテンと評され、口数は少なく背中で語るタイプの主将だったという大翔選手ですが、常に結果で見せ続けている選手でもありました。

主将になってからというもの、出たレースは全て外さないという心構えで挑み、実際にそれを体現していました。

それだけに、ケガで箱根に出走できないと分かったときは監督共々涙したといいます。
偶然主将の涙を見てしまった、という山本選手、平林選手、上原選手はこれでより奮起したと話していました。

参考:

それでも翌日からすぐに前を向き、元主将だった土方選手からの心配の連絡にも、「自分はサポートに回ります」と気丈に返事をしたそうです。
(文化放送ラジオ解説より)

後日談ですが、大翔選手はこの時、兄の唯翔選手が支えてくれたといいます。

本人にとって、最後の箱根駅伝に出走できなかった悔しさはあると思いますが、それでもゴールでアンカー佐藤選手を迎えたときの表情は笑顔でした。

本当に、こういうところが人格者なんだろうな、と思います。
こういった大翔主将の作ってきたものを今の副将の山本歩夢選手や平林選手によろしくと言っているところもまた、分かってるなあと。

そして、副将を務めた際に「自分の苦手なところを補ってくれた」という伊地知主将、同じく副将(現:寮長)で「中間層の底上げをしてくれていた」という鈴木景仁選手への信頼の厚さも感じられます。

今は旭化成の実業団ランナーとして、元気に走っている姿を見せてくれているので、今後の活躍にも期待したいですね!

今日はこの辺で。明日も頑張ります!

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