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断捨離思考が止まらない②思い出の品のデジタル保管を止める

断捨離といえば、あの有名なやましたひでこさんの断捨離や自分軸の考えに感化された方も多いであろうと思う。

自分軸…なんて素敵なモノの考え方なんだろう、ってね。

私も断捨離を進めるにあたって何人かのミニマリストさんの考えや行動に共感した。

その人たちは日本の伝統行事などに囚われることなく、例えばクリスマスや正月なんかも特にご馳走を用意するわけでもなく淡々と過ごしておられるのだ。

私の中でくすぶっていた「しきたり」みたいなものに対する反感を見事に取っぱらった生活をしているのだ。素晴らしい。それでいいじゃないか。

まず捨てるべきは「こうであるべき」「普通はこうするもんだ」という思い込みじゃないか?

例えば誰かからもらった使わない物があったとする。私にとっては要らない物。
でも「とりあえずせっかくいただいたんだから」という理由をつけて仕舞い込む。これを無くせばいいのではないのか。

いつか使うかもしれない物はいつまでも使わない物なんだ。

私は成人した息子たちが幼稚園のころなどに書いた絵や先生から頂いたメッセージカードや色紙の類を「一応」置いておいた。が、そんなものは本人たちが一番忘れている。

こういう物をカメラで撮ってデジタル保管するといいよね、というストレージの無駄遣いを提案する方は多いだろう。

だがしかし、だ。
デジタル保管したとて見ないのだ。
まさに容量の無駄遣い。
思い出を捨てたんじゃない、という言い訳に過ぎない。
  
そんな物たちは家の中にたくさんあるはず。まずは思い出しもしない思い出の品を断捨離することをおすすめします。

マジで捨てても何のダメージもないから。


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