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断捨離思考が止まらない⑨狭い家が恥ずかしかった話

実家が狭くて恥ずかしかった。
いつも散らかっていて恥ずかしかった。昭和の狭い建て売り住宅だった。
友達を呼んで遊んだことはほぼ無かった。今思えば友達の家も似たりよったりだったのに私は自分の家が恥ずかしかった。

台所と居間、2階は四畳半二間の和室。
昭和50年代にこの手の狭い建て売り住宅はあちこちに建てられた。あちこちに4軒単位で同じ家が並んでいた。団地と同じく狭い建て売り住宅が流行っていたのだろう。 

狭い台所にいっぱいいっぱいの4人がけのダイニングテーブルが置かれ、すれ違う隙間も無いくらいだった。脱衣場もなく台所に風呂場のドアがあった。服は台所で脱いでダイニングテーブルの椅子が脱衣場の変わりだった。

2階の四畳半二間の和室は父と母、私と弟で使い分けていたが寝る時は4枚布団を敷いたらほぼ横一列で私はこの家で23歳まで過ごした。

父が収集癖のあるタイプで趣味のプラモデルとNゲージ(鉄道の模型)が至るところに積まれ、押入れや階段の上まで溢れていた。母は父の趣味を嫌がった。作ったプラモデルを落としたり、当たって壊れたら父は激怒した。狭いスペースにプラモデルを飾るから落ちるのだ。
私たちはプラモデルを壊さないよう最新の注意を払っていた。

それでも家族の仲が悪いわけではなく、私たちは狭い空間で一定の暗黙のルールに従い過ごした。
耐えた、というほうがしっくりくるかもしれない。

私が友達を恥ずかしくて呼べなかったのは母が人が来るのを嫌がったからというのも大きい。母も散らかっている家を見られるのが恥ずかしかったのかもしれない。父はサラリーマンで普通に収入があり、母もフルタイムのパートだったので世帯収入はそこそこあったと思う。たぶんやろうと思えば家の中を整理整頓する収納を買うくらいいつでも出来たはずだ。

私の断捨離の始まりの始まりは実家が起源だ。


何が書きたいかわからなくなってきたがこうやって自分の思いを書き綴ることは普段フタをしている自分のイヤな引き出しを開けることになる。 それはきっと見えるものの断捨離だけでなく心の奥底に隠してあるものをあぶり出してすっきりさせることに繋がるのかもしれない。

子どもたちが家を出たタイミングで私は断捨離しなくてはならない気持ちが強くなった。今はベッドなどどうしても必要な大型家具以外は捨てれた。地震などで家具が倒れてくる心配も無い。残っている外付け家具はテレビ台、ローテーブル、シングルチェア、座椅子、観葉植物用のシェルフあたりか。夫の部屋は治外法権ということで私は口出ししない。漫画でいっぱいの本棚が倒れて死ぬかもしれないがしょーがない。

マンションに備え付けのクローゼットに収まる程度の持ち物を増やさずにキープしたいと考えている。

うちの場合、息子夫婦と孫がたまに遊びに来るが、そういうときに急いで片付けなくても良いリビングを継続したい。

急いで片付ける=散らかっている=綺麗に見せたい=見栄 ということになる。

見栄をはらずにありのままの状態が綺麗であるには片付けるものが無いのが1番なのだ。

私も母もきっと見栄っ張りなんだろな。
散らかっていてもどうぞどうぞと人をうちに上げる人だってたくさんいる。
ありのままが恥ずかしくないのは羨ましい。人に良く見られたいから恥ずかしく感じるのだ。と、また話が脱線した。

私がかつて「実家が恥ずかしかったこと」は今の断捨離に繋がったのでもう結果オーライということにする。反面教師は必要なのだ。面倒くさいことを後回しにしない。「面倒くさい」が積もり積もるとそれはいつもの「景色」になるからだ。何年も同じ場所にある要らないものは「景色」だ。景色は目に入ってもただの景色だからスルーする。そういうことだ。家の中で自分の目に入る景色を疑うことだ。

私は散らかったリモコン、雑誌、かばんなどが床に転がっていると地味にストレスになる。

家に帰るとホッとするのと同時にほんの少しだけイラッとする人はきっと視界の先にストレスの原因になる小さなモノがある。

まだ、道半ば。粛々と断捨離を続けて還暦には終えたいと思っている。






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