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いろんな境目が曖昧になってきた話

今日、本紹介系のYouTubeで「非二元論」という言葉に出会って、
なんやそれ?と思ってググってみたけど、なんだか曖昧でよくわかんなくて。。
「二元論」を調べて、その逆…みたいに想像するとなんとなく腑に落ちた。。

量子力学に納得行く人は非二元寄りなのではないかと感覚的に思ったけどどうだろう…💭

二元論(にげんろん、dualism)とは、世界や事物の根本的な原理として、それらは背反する二つの原理や基本的要素から構成される、または二つからなる区分に分けられるとする概念のこと。 例えば、原理としては善と悪、要素としては精神と物体など。 二元論的な考え方は、それが語られる地域や時代に応じて多岐に渡っている。

Weblio辞典より

ワンネスとかいう言葉が出てくると急に怪しげに感じるけど、そういうの抜きにして考えてみた。

事実そのものはいじりようのないすでに完成されているもので、人それぞれの思考による解釈があとからくっついてきているだけということ。

動画内(紹介されてる本の中)では映画レビューがたとえとして挙げられている。
映画に対する感想は人それぞれ。でも変わるのは感想であって映画そのものが変わるのではない。
感想がつく以前に映画というデータそのものは完成している(事実でしかない)から。

これを聞いて、以前ある記事の中での発言が少し取り沙汰されていた坂本龍一さんの言葉
「音楽(そのもの)になにか力があるわけではない」
の話と同じだな…と感じた。

書かれた曲はただそこにあるだけ。
私も曲の力というのは、その曲が演奏者それぞれの解釈で表現され、さらに聴き手の解釈が加わって、後天的に何らかの力を持つものだと思うからだ。
(逆にいうと、誰にも演奏されず日の目を見ないままお蔵入りしている曲そのものには、なんの力もなくただそこにあるだけ…ということだ。)

ただおもしろいのは、
人の数だけ感想がある…というのはその通りだとしても、
キレイ、美しい、楽しいという感覚や不快、不愉快といった感覚は、人はある程度同じような感覚を持っているようにも思う。
だからこそ、そこに響くと何か大きな力になり得るのかもしれない。。


いまふと思ったけど、
お金も同様かもしれない。
ただの数字や紙切れに人が(思考で)後から価値を与えてるような存在。。

ただこの「事実」ですら、私は時にその存在がよくわからなくなる。

以前、抑うつになりかけの結構精神的にギリギリな状態だった頃、
通勤途中の上野駅で乗り換える時、
グレー、紺、黒といった同じような暗い色のスーツ姿のたくさんのサラリーマンの方々が、脇目も振らず足早に自分の目の前を通りすぎて行くのを眺めながら、
自分は透明人間なんじゃないか…という気持ちに度々なっていた。

私は確かにここにいる(←事実)、

でも、今目の前を通りすぎていく誰の目にも私の存在はきっと見えてない…(←見知らぬ人にとっては私の存在は事実になり得ない)

これが自分だけじゃなく、全ての人、物に当てはまるとしたら、
自分の目に見えてるものも実は全てが幻なんじゃないか…と思えてきて、
度々えも言われぬ気持ち悪さを感じ、吐き気をもよおしたりしていた。

自分が「事実」だと思っていることも、
それらはすべて私にとってだけの事実でしかない、、
自分にとっての事実は、自分の中にだけにしか無いんじゃないかとすら思う。

上記の動画内でも

「色即是空 空即是色
この世のあらゆる現象に実体がなく、それは夢のようなものだ。」

と般若心経の言葉を例に出しているが、
その教えから感じる概念的なこと以上に、
私は量子力学に関する本を読んだ時、
自分の中のそのえも言われぬ気持ち悪い感覚が少し解明されたような気がして嬉しくなった。

観測されたからそこにある、
けど、観測されてなかったら素粒子は特定の形にはならずただ漂ってるという…

だから全て幻なんじゃないか…っていう感覚はまんざら間違いでもなかったのかも、と思えたのだ。

でも逆に、
私にとっては幻でも他人にとっては事実であると考えるなら、私の感知していない全てが事実であるとも言える。


そんな風に考えると、色んなことに対して「否定」ができなくなるのだ。
在る無しも曖昧、正しいか間違ってるかもわからない…というか、曖昧になってくる…

私に関していえば、
気持ち悪いと思われるかもしれないが、
亡くなった人に対しても、最近曖昧だ。

普段そう頻繁に会わない人が亡くなっても、息を引き取る瞬間(←事実)を目の当たりにしてないから、ずっとここではないどこかに存在しているように思うし、

看取った家族に対しては、肉体は無くなったけど、見えない魂(←見えないのだから、在る無しは判断できない)とは心の中で毎日よく会話してるし、なんなら生きてた頃よりも仲良く一緒に居る気さえしている。

検索すると
「非二元論  危険」
と出てくるのは、
そうしたあらゆる境目が曖昧になるからじゃないかな…と思う。

でも、人や物事の真実を知ろうとすると
どっかしらで行き着くところなんじゃなかろうか…とも思う。

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