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2019年をストーリーで振り返る

2020年、あけましておめでとうございます。昨年も多くの方に大変お世話になりながら、たくさんの出会いや経験をさせてもらいました。
お世話になった方々に、あらためてお礼を申し上げます。

この一年を振り返るため、 Instagramのストーリーに載せていたものから月別に画像を選びましたので、拙文と共に楽しんでいただければ幸いです。

なお、この投稿は、24時間で消えるストーリー機能にならって、24ヶ月後に消えていく(予定)です。

1月

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元旦を迎えた日に近くを散策していたら、一匹のキツネが遠くの雪原を歩いているのを見つけた。

いま住んでいる場所は、ヒトの数よりも多いくらいに野生動物がたくさんいる。そんな彼らを見ていると、余計な忖度のない自然体な生き方に時おり羨ましさを覚えることもある。

人間は社会的な生き物なので、野生に戻ることは難しいけれど、社会と野生の狭間にある「野良」に近いような生き方をすることはできるかもしれない。

いくつかのコミュニティを渡り歩く中に、自分だけの世界を持っている「野良」の在り方に、所属することへの依存から離れるためのヒントがあるような気がしている。

2月

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初めてのバックカントリー。冬のハイシーズンになると、夏のあいだは踏み入れることのできなかった場所へ行けるようになる人たちがいる。

人の手の行き届いたゲレンデではなく、その外側へ向かうには、色んな知識やスキルや道具が必要であり、誰でも簡単に行けるわけじゃない。だからこそ、その先には未踏の世界が待っている。

どんな分野でも「行儀の良いアウトサイダー」がカッコいいと思う。では、行儀の良さとは一体なんだろう?と考えてみると、それは決められた枠組みの外側へ向かうための教養を持っているかどうかなのかもしれない。

「行儀の悪いアウトサイダー」は取り返しのつかない事故を起こしたり、他人に迷惑をかけたりしてしまう。どうかそうならないように、酸いも甘いも学び続けて教養を身に付けたい。アウトサイダーへの道は、まだまだこれからだ。

3月

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雪も融け終わらぬ頃に、キャンピングカーの撮影をするため友人と海岸の方まで出掛けた。

機材一式を積み込み、あちこちのロケーションへと伺って撮影のタイミングを待つ。キャンピングカーは移動式のスタジオであり、オフィスにもなる。

誰もがスマートフォンを持つようになり、自分の「頭の中の個室」を持ち歩くようになった。そうなると次は、現実に拡張された「自分だけの個室」を持ち歩く時代になるのかもしれない。

ここ数年、日本でもキャンピングカーやモバイルハウスなどの移動式住居がブームとなっている。一方で海外では、良い雪や波を追いかけて「バンライフ」を送っている人たちは珍しくないらしい。

もし近いうちにそんな移動式個室を手に入れることができたなら、そのときは機材やガジェットを詰め込んだ「移動式研究室」にして、新たな研究・撮影対象を求めてあちこちを巡りたいと空想している。

4月

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北海道では、春になっても相変わらず雪が降り頻る。

この春、令和という新たな元号を迎えるにあたって、日本にだけもたらされた”なにかを変えるきっかけ”に、多くのひとは新時代への期待を抱いている。

それは、令和という新しい”雪”が積もり、まっさらに生まれ変わって人生をイチから始めるような気分かもしれない。

だけど一方で、それぞれを取り巻く現実は突然変わってしまうわけではない。個人のどうしようもないレベルから、地域や国や地球規模でも多くの問題がへばりついて離れない中、地続きの今を歩いているのに変わりはない。

そんな当たり前のことを突きつけられながら、僕たちは少しだけ全てを忘れさせてくれる「何か」をいつも探している気がする。

誰しもがインターネットに繋がり、ポケットに入っている情報端末を通じて、あらゆることが白日の下に晒される時代。だからこそ、”オンライン”に載らない事柄が重要になっていくのかもしれない。

5月

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まるで示し合わせたように一斉に芽吹く緑を見ると、ついに春が来たなあと感じる。季節は決まった形を持たないけれど、不思議なくらい精巧に仕組まれた生態が、その輪郭をつくりだしているのかもしれない。

北海道には、大自然があるとよく言われている。けれど実際には、人の手が入っていない「自然」はあまり残っていない。

人も自然の一部である以上、それをどう捉えるのかは人それぞれだと思う。一方で、たとえば見渡す限りに整えられた耕作地や、一面に植樹されたカラマツ林など、「不自然な自然」に多くの人が美しさを感じるのもまた事実だ。

僕たちは、自分たちの作り上げた「自然」という矛盾と幻想を抱きながら、それでも春が来るたびに、目の前の生態が起こす現象に心を動かされている。

6月

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この時期になれば、夜空を見上げると天の川を望むことができる。

昔のひとは、頭上に浮かぶ大きな黒い平面に、たくさんの小さな穴を空けた誰かがいたのだろうと考えた。だけど僕たちは、星々の小さな光は実際には果てしない距離の立体の中にあって、届いている光もそれぞれ違う時間からやってきたことを知っている。

そういった点で、星空とインターネットは、少し似ているような気がする。
デバイスの画面に流れる情報も平面に見えるけれども、実際には場所も時間もほうぼうに散らかっていて、その立体的な情報の粒を平らな画面に変換しながら、それぞれの繋がりを見出している。

昔のひとが無数の点から星座を見出して、そこにストーリーを想像したように、同じインターネットの情報を見ていても、その見方を変えたり繋げてみるだけで、きっともっと豊かな気分になれるはずだ。

7月

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リバーガイドの放課後。同じ流れを下るにしても、手段が変われば景色も変わる。僕たちは遊びの中から、違った見方や学びを得ていく。

いまは誰しもが、ドローンでの空撮も楽しめるようになり、まるでゲームのような第三者の視点で、空間から俯瞰して地上を眺めることもできる。

テクノロジーが普及し、本来見ることができなかったはずの視点を手に入れたことで、自分たちのことをもっと俯瞰して見られるようになったら良いのだけれど、それはまだまだ先のことになりそうだ。笑

ところでこの日、僕は空中にドローンを置き忘れた。
年々酷くなる自分の注意欠陥にやるせなくなりながら、空中で健気に待ち続けていたドローンのホバリング能力に、テクノロジーの恩恵を思いがけず感じさせられたのであった。

8月

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木々の間を縫うように進んでいく、蛍光色のボート。自然へ低負荷で、誰でも手軽にウィルダネスを楽しめるアクティビティがラフティングだ。

この年のグリーンシーズンから、縁あってラフティングガイドを始めさせてもらっている。意識したわけではないけれど、名前に「舟」が付くからか、不思議とこれまで舟に関わってばかりの人生を送ってきている。

ネットで調べてみると、舟は船と違い、人の力で動かす小さな”ふね”のことを指すらしい。思えば、自分で舵をとって小回りが効く「舟」のような生活に乗り換えてから、2年近くが経った。

ひとりだったら、きっとすぐに方角を見失って漂流してしまっているだろう。あちこちで受け入れてくれる「港」があるおかげで、いまの生活がある。そのことにあらためて感謝しながら、これからも自分だけの航路を探していきたい。

9月

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今回、TOBIU CAMPというフェスに初めて参加してきた。北海道の白老という地域の森の中に、芸術や音楽や先住民族の文化を交えたコンテンツが作り込まれたイベントだ。

夜になると、中央に大きなキャンプファイヤーを焚いて、周囲を皆んなで囲って回る。その様子を見ていると、ある大学教授の話を思い出した。

かつてヒトは、同じキャンプファイヤーを見つめながら情報を交換したり交流したりしていた。やがてそれが、新聞になりラジオになりテレビになり、マス・メディアがその「キャンプファイヤー」の役目を果たしてきたと言える。

では、いまの僕たちにとっての「キャンプファイヤー」は何だろう?
インターネットによって情報が民主化されていき、あらゆる人があらゆる方向から情報を取ることのできる現在では、同じものに向き合いながら話すという機会を、意図的につくる必要があるのかもしれない。

きっと、そのうちのひとつが焚き火であり、フェスなのだろう。こういった機会は、今後よりいっそう需要を増していくんだと思う。

10月

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秋になれば、北の大地は赤・黄・緑のラスタカラーに染まって道ゆく人を楽しませてくれる。その彩どりは、北海道で特徴的な植生である針広混交林ならではのものかもしれない。

「多様性」という言葉がよく用いられるようになった。グローバルに開いていく社会に対応するため、世の中には色んな価値観があることを互いに認め合っていこう、ということみたいだ。

ただ、自然を見ていると、多様性を獲得するためにはいくつかの段階があるように思う。いきなりひとつの場所に多くの種を詰め込んでも、きっと上手くいかないだろう。

自然には、長い時間をかけて構築されてきたバランスがある。まずは苔むすところから、時間をかけて草木が生え、そして多様な生態をもつ森林へと遷移していく。

人の価値観も同じように、情報の雨を浴びることで、たくさん芽生えたり消えたりしながら、いまはまだ適正なバランスを見つけ出していく途上にあるのかもしれない。

11月

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廃材小屋のなかで、知人からお茶をご馳走になる。そんな素朴な体験が、不思議と気持ちを満たしてくれるお昼下がり。

21世紀に入ってからのここ十数年は、誰が見ても間違いなく「革新」がテーマの時代だと思う。毎年追われるように技術革新が起きて、実際に僕たちの生活も刺激を受けながら大きく変わりつつある。

果たしてこの「革新」というテーマは、どこまで続いていくのだろうか?
この時代の大きな変化にも、いつか終わるときが来る。そのときに、どんなテーマが求められるだろう。

持続的に豊かに暮らしていく、そのために必要なのは、技術革新を繰り返して刺激と快適さを求め続けることよりも、実際には単調で厳しいこともある環境の中に、自分なりの感性を見い出すことのできる「素朴さ」なのかもしれない。

12月

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例えば雪山に登ってスキーで滑り降りてきて、そのままクルマに乗り換えて街まで走り、クツを履き替えて地下道を歩けば、それはひと繋がりの「移動」体験だと思う。

アクティビティと呼ばれるものは、実のところ単なる「格好つけた移動」だったりする。いろんな道具やスキルを用いて、移動の自由を広げていくことこそホモ・サピエンスの本懐なのだ。

行きたい目的地があっても、そこへ向かう手段がなければ不自由だと言えるし、手段があっても自分の「ペース」を保てる状況でなければ苦しい思いをすることになる。

時にはゆっくり、時には急ぎ足で。人はそれぞれに合ったペースがある。これからも出来うる限り、好きなときに好きな早さで、どこまでもマイペースに生きてやりたい。


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