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ドット道東によるローカルプレイヤーの可視化と、SNS上の賑わいが作り出すこれからの価値について

Web上の仮想研究室「Seisyu Labo」のせいしゅうです。普段は南富良野に在住し、北海道の真ん中であるこの場所を起点に、アウトドアの仕事をしたりデジタルコンテンツを作成しています。

今回のテーマは「ドット道東によるローカルプレイヤーの可視化と、SNS上の賑わいが作り出すこれからの価値について」です。

このようなテーマを取り上げたのは、この約2年の間に北海道のローカルプレイヤーと呼ばれるメンバーたちに出会い、その友人たちが新たに「ドット道東」という一般社団法人を設立したことがきっかけです。

これが僕たちや皆さんにとってどういう意味を持つのかということを、個人的な考察を交えて展開してみようと思います。

ローカルプレイヤーの定義について

先ずはじめに、ここでいう「ローカルプレイヤー」の定義付けから考えてみようと思います。

ローカルという言葉は、多くの場合「田舎」や「地方」と訳されますが、それが指すものは場合に応じて様々だと思われます。
ローカルの対比になるものを考えると分かりやすいですね。それは「都会」だったり「東京」だったり、コンピューター用語だと「リモート」だったりします。

プレイヤーというのは「選手」や「参加者」なんて意味合いで使われますが、ここでの場合は「発信者」に近いかもしれません。それぞれにとってのローカルで見ているものを、自分を通して何らかの手段でインターネットへ発信している人、というニュアンスでしょうか。

ドット道東やその周りにいるメンバーは、ほとんどが北海道の各地に拠点を持ち、それぞれの仕事を持っています。中には札幌などの「都会」に住む人もいますし、東京との二拠点生活をしている人もいますが、なんらかの形でローカルに関わっています。

では、ローカルで何かをしていればローカルプレイヤーなのか、というとそうでもなさそうで、おそらく最も重要なのは「各地域に対する関係性を持ち、そこに新しい価値をつくろうとしている」ということだと思われます。

ここでいう関係性を持つこととは、単に暮らしていくことやビジネス上の関わりはもちろんですが、それだけでなく情緒的なものも含めてのことです。ドット道東のメンバーのひとりであるかしこは、これを「元カレ」として表現していますね。

僕はもともと北海道にルーツを持たないので、彼らのその複雑な「情」をきちんと理解できているかは、あまり自信がありません。

ローカルのなかにある「地元」という切り離せない関係性のなかで、それが自分の理想とかけ離れている姿にもどかしさを覚えながらも、一緒に歩んでいくことを決めているひとたち。

そういった人たちが集まり、自分の元カレ、もとい今カレたちの良いところを再発見してもらうために「道東誘致大作戦」を企画したのが2018年のことです。

道東誘致大作戦によるプレイヤーの可視化

このイベントのことを知ったのは、当時札幌にいた絹張蝦夷丸から教えてもらってからでした。

隙あらばウェブメディアに目を通している、通称「ソーシャルディガー(ウェブの記事を掘り起こす人)」と呼ばれる彼のリサーチ能力のことを僕はずいぶん信頼していて、彼が面白いと紹介してくれるものには都合のつくかぎり乗っかるつもりでいますが、このイベントはまさにそうして出会ったものです。

クラウドファンディングによる地域対抗の様子から、現地オホーツクでのトークイベントまで、周囲をウロチョロしながら参加していました。

そこで出会ったのが、いまのドット道東の中心メンバーであるたくろーくん(中西拓郎)やじんちゃん(神宮寺亜沙美)、ちひろさん(名塚ちひろ)やかしこ(須藤か志こ)、しげのざ(野澤一盛)です。

このイベントを通してはじめて、それぞれの地域でおもしろいことを発信している人たちがいるんだな!ということを知りました。僕と同じように、ここで初めて知ったひとも多かったと思います。それまで個々に活動していたローカルプレイヤーの「可視化」がなされたと言えるでしょう。

ここで正直な心情を暴露してしまうと、はじめはこのイベントが何をもたらすのかについて、全くピンときていませんでした。当時はあまりローカルメディアに詳しくなかったので、いらっしゃるゲストの方々がどういった人たちなのかも分からなかったし、その人たちが来たことで何が変わるのかも想像できなかったからです。

ただ、とにかくSNS上が賑わっている。インターネットに詳しい人もそうでない人も、様々な人がそれにどんどん乗っかっていく。これはある種のお祭りなんだな、と思いました。そして今になって思うのは、この「賑わい」こそがローカルに必要なことだったのだということです。

「賑わい」が作り出すこれからの価値

突然ですが、糸井重里さんの『インターネット的』という本をご存知でしょうか。初版からもう19年近く経ちますが、いま読んでもまったく古くないどころか、これから参考になることがたくさん書かれています。

ここでかいつまんで紹介すると、「インターネット的」にはリンク・シェア・フラットなどとつながっていく豊かな感覚がある、と書かれています。

これらの要素は、道東誘致大作戦とそれに連ねる事柄に関わってきたローカルプレイヤーたちのつながりに共通するものがあるな、と感じています。

ひとつめのリンクというのは、情報が単につながるということではなく、有機的につながりあうということが鍵になっています。
道東誘致大作戦以後のメンバーのつながりには、そういった風にSNS上や現地でもリンクがリンクを呼び、あっちとこっちが結びつき、思いがけないつながりが見つけ出されていっているような気がします。

シェアは、おすそわけの精神です。情報を持っているひとがそれを分かち合い、スキルを持っているひとがそれを補い合う。
これも、道東誘致大作戦以降の関連するイベントには、運営でないメンバーが長距離を走らせて集い、自主的に写真や動画を撮り、運営を手伝い、SNSでシェアするなどをして、それぞれに「感謝」や「快感」を稼いでいる様子を見てきました。

みっつめのフラットは、それぞれに違うプライオリティ(優先順位)を持ち、社会的な立場や地位とは関係なしに舞台に立てるチャンスがあるということ。
それぞれにそれぞれの軸を持っているローカルプレイヤーたちの間には、縦構図のないフラットな関係性があり、同じ悩みを共有し合ったり同じ立場から話を進めているのが印象的です。

そして、ここからが本題なのですが、糸井さんはこれらの先に「賑わい」というものが必要なんだと書かれています。歴史をみると、いつでも、祭りというものが何かをつくってきている、と。

”自前でも祭りができるという可能性が、インターネットにはある”
”祭りをつくるエネルギーが先になって、商売をしたい人を巻き込むことができる”

ぼくがドット道東のことを面白いと思うのは、こういったところです。外側から見たら何があるのか分からない「道東」という場所に、先に「賑わい」を作り出してしまって、あとから自分や仲間が暮らしていくための生業を成立させてしまおう!という、インターネット的であることの行方を見てみたい。

ドット道東には、SNS上での賑わいを作り出す「お祭り力」がある。そして、それぞれのローカルプレイヤーたちにとって、担いでもらえるチャンスや「関わりしろ」がある。
それは、これまでに各イベントを盛り上げてきたローカルプレイヤーたちが証明しています。

はじめに「ローカルプレイヤーの定義」ということを書きましたが、一般社団法人として設立されたいま、どこまでがそうでどこまでが違うのか、その輪郭をつくる「境界線」のようなものを、おそらく当事者であるメンバーたち自身が模索している最中であるように見られます。

ただ、もしかすると実はそんなに難しく考えることではなくて、関係人口と呼ばれるような関係性、それぞれの場所でなにか「ウズウズ」しているひとたちが、一緒になってお祭り騒ぎの「賑わい」を作っていけたら、それでいいのかもしれません。

そのためのお神輿が、このたび「ドット道東」として可視化されました。
そのお神輿を担ぐのもよし、担がれるのもよし、周りで囃したてるもよし。中途半端な立ち位置にいる僕が言えることではまったくありませんが(笑)、この「ドット道東」という集まり、ローカルで何かやりたくてウズウズしている人たちにとって、これから要注目ですよ!

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