先輩の話

 第一志望じゃない高校で、第一志望の部活に入った。

  「入学」というより、「漂着」と言うべき入り方だった。 そもそも縁もゆかりもない場所に愛着なんて持てなかったし、バキバキに折れた状態では状況を受け入れるのも困難だった。
  唯一の救いは、ずっとやりたかった競技がそこにあったことだ。地方の学校としては非常に幸運なことに、二つ上の代が活発に活動していてくれたらしい。
  3年間暫く羽を休めよう、と思いつつも、やっぱり実力主義の塊みたいな競技と関わることになった。性格はどうしようもない。

 部活でわたしたちの"教育係"になった先輩は、全てのリアクションがオーバーで、出す指示が色々無茶苦茶で、「破天荒な師匠」のモデルみたいな人だった。
「俺は野球部出身だから上下関係に厳しいんだ」と言われて序列に縁がないわたしは震え上がっていたけど、実際の先輩は意外にも(?)沢山褒める人だった。「今度の大会でお前を俺の部下としてデビューさせる」と言われた時、ちょっと嬉しくなったりもした。
  デビューさせる、と言われたは良いものの、わたしはとても緊張に弱かった。人に見られているだけで固まってしまうのに、壇上でボタンなんか押せるわけがない。「知識はあるのになぁ……」と困った顔をする先輩に申し訳なかった。
 夏の大きな大会は、早押しラウンドに出られるだけで凄いらしい。通過者が表示されるスクリーンに、何故かわたしの名前がある。「お前、すげーじゃん、1年目で、」 先輩は狂喜乱舞、という言葉が似合いそうなくらい喜んでいる。掲げられた両手にぱちん、とハイタッチをして客席を立った。そんなに喜ばれることなのか、と思いながら。

 「頑張ってるって言っていいのは、結果を出した時だけだよ」 と言った誰かのことを思い出す。安全に過ごすために実績が必要だった時間のことも。
  戦うべきでない場所に移ったのに、戦闘態勢も完璧主義もなかなか抜けない。己の振る舞いが災いして何ダースかの敵を作っていたわたしに、「うちの部活の評判ってものが」と《こいつには俺がよく言い聞かせておきますので》式の後始末を買って出ていたのも先輩だった。
  関われば関わるほど変な人だな、と思う。Twitterで「今度は何をしたんだ」と小言を言いつつ、大会帰りの電車の中ではひたすら話を聞いてくれる。褒めて貰えたかと思えば「難しい本より先にドラえもんを読め」「学校でちゃんと集団行動をしろ〜」と口うるさくなったり、「お前生活回りの常識全然ないだろ、今の月9知ってる?W杯で勝った国分かる?」と絡みに来て小一時間喋り続けたりする(最終的には、先輩の好きな海外サッカーの話を山ほど聞くことになった。いいけど)
 「ネットでの行状の説教」とやってきた時、うっかり口にした「トップじゃないとダメなので」への返答は、<トップじゃなくても頑張ってる>だった。 ……価値観は簡単に変えられないです、と言い返す。戻ってきた<今からがんばんなさい> を思ったより受け入れられたのは、本音しか言わない人だと知っているからかもしれない。
  時間と人は最良の薬だ。わたしはちょっとずつ元気になったり穏やかになったりして、褒められることにも慣れていった。……きっとそんな意図はなかっただろうけど。  



 あれからもう7年が経っている。
 競技2年目のわたしは少し緊張から解放されて、それまでよりは結果を残せるようになった。
  華麗に受験生へと転身してしまった先輩は、(大会直前に自作の「海外サッカーまとめ」を送り付けたりしつつ)〈今年はお前の年だ〉と言い続けてくれた。
3月には<通った、お前もきっと受かるからがんばんだぞ> のLINEが来て、わたしの最後の大会が終わった後には〈上が何もしてないのに色々と良くやってくれた、ありがとな〉なんて言われて、そんなストレートに優しくしなくても、と思ったりした。
 受験生の時も、大学に入ってから心が折れてしまったときも……なんなら今も、わたしはいつかのバス停で貰った「あなたには才能があります」を後生大事に持ち続けている。

 先輩は今春社会人になった。
 相変わらず横暴で「破天荒な師匠」なので、たまに「8時半に電話かけて起こして」とか「𓏸𓏸に××って聞いといて」とか「この日空けといて、クイズするよ」とか好き勝手な連絡が来る。別に嫌ではないけども。
 
 こんな文章を書かなければ、多分知られずに済んだだろう。
 人に触られるのが怖くなくなったのは、勝つ度にハイタッチをするようになったからだということも。
 「あの頃は一匹狼だったよな~」なんて宣う高校同期に「その節はご迷惑をお掛けしました」と半分笑いながら、思い浮かべているのが誰のことか、も。
  今の学科にいられるのは、大学1年で全部を投げ出しそうになった時の〈諦めつけさせて欲しいなら最初からそう言ってくれよ、そうじゃないんでしょ〉〈絶対やれることやった方がいい〉というLINEのおかげだということも。
 ……そして、(その選択をするまでにあった沢山の悲しいことを踏まえても) 先輩に会えたという一点だけを考慮したって、わたしが母校に入ったのは間違いじゃなかったと思えることも。
 当時取ってくれた行動の数々が、たとえ綺麗な意図によるものじゃなかったとしてもそれでいい。むしろ、だからこそいい。

 わたしはとてものんびりと競技を再開して、あと3年は学生をやるらしい。
 別に今後先輩と人生が交わることは全然ないかもしれないし、10年後くらいには忘れられている可能性もある。それでも。
 こういう人の下でゆっくり大人になる機会を得られたのは、自分に与えられた大きな幸運だったな、と思っている。

 この文章をもしかしたら見ているかもしれない先輩へ。
 勝手に色々と書いてごめんなさい。強めに怒られる覚悟はできています。


サポートエリアの説明文って何を書けばいいんですか?億が一来たら超喜びます。