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進路指導の思い出⑤

 進路指導の思い出④までは、平成4(〜8)年当時のことで、求人票は男女別でした。ですので、例えばガソリンスタンドは男子だけの求人で、男女の別を書かなくなった次の年に、女子生徒が応募したのですが、面接の時10人ぐらいいたが女子は自分一人だけだったと言っていました。もちろん落ちました。しかし、数年後、女子がガソスタを受けて合格したので、時代も変わったものだと思いました。

 男女別求人だった時に、高卒男子の事務職は皆無で、営業職は自動車の販売がまだありましたが、バブル崩壊の影響が出てきた時に、ほぼ壊滅しました。
 男の子たちは、テレビを見て「ドラマで見るような、ワイシャツにネクタイを締めてオフィスで働くような仕事がしたい」と言いましたが、現業、つまり工場勤務ばかりで、「オフィスでネクタイを締めて働きたかったら、大学に行かなきゃ」と、とても残酷なことを就職コースの生徒たちに言っていました。

 また、今もそうだと思うのですが、初任給は、バイトで稼ぐよりも安くなるので、「フリーターになります」という人も結構いるのです。
 そう言う生徒たちに、就職主担はいつも「健康保険料や年金は会社が半分持つから、絶対得だ。しかも、ずっとバイトだと給料は上がらないし、バイトは若いうちしか出来ないぞ」と説明しました。
 彼らは稼げるバイト先にほとんど年配の人がいないことを知っているので、納得していました。でも、年金は先の話だし、健康保険料も家族単位なので、親が支払っており、しかも病気をしてもすぐには病院に行ったりしないのです(金持ちはすぐに病院に行く、と言っていました)。なので、家庭事情等で今すぐにお金の欲しい人はフリーターになっていたように思います。

 平成五年から担任を持って、平成七年には進学クラス担当だったので、別の悩みがありました。
 本人が進学したいというので、保護者に相談したら、「本人に任せています」とおっしゃるのです。かなり入学金や授業料がかかりますよ、と伝えると「それも本人に任せています」と言われて、当時、既に、本人にどうこうできる金額ではなかったので、私は絶句しました。
 同じクラスで、保護者が祖母で年金暮らしだから学費など出せないと言われた生徒は、卒業後、電話をかけてきて、今は新聞奨学生になって、バイクで新聞配達をしながら、大学に通っていると言いました。配達前に朝刊の折り込み広告を折るので、朝早くというより夜中に仕事をして、授業が眠くて仕方がないとも。
 また、後に定時制で、元々全日制にいた人で、いくらか祖父から出してもらえるけれど、残りは自分で稼がないと、と言って、勉強の傍ら、土方に行った生徒がいました。とても細い人で、元から土方をしている同級生にどうやったら力が入るか指南してもらっているのを見ました。しばらくしたら力瘤の比べ合いをしていましたが、毎日大変そうでした。
 その生徒にはかなりスパルタな受験指導をしたので、関大の国語で98点を叩き出していましたが、英語が2点足りなかったと言って、関西外語に進学しました。
 確かに、自分で働いての進学は、やってやれないことはないのかも知れないのですが、側から見ていても、また聞くだけでも、想像を絶する大変さでした。

 今はあの当時よりさらに、授業料は上がっています。みんなどうしているのでしょう。進学校に移って、すでに六〜七年経ったので、わかりません。

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