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教職志望の方へ(19)ー年配の先生

 他の方のところでコメントを書いて、またまたやらかした(余計なことを書いた)みたいなので、それに関連して、年配の先生についての思い出をお話します。

【年配の英語の先生】
 平成元年、三国丘全日制が1学年16クラス、ひとクラス48人で3学年揃っていた頃、先輩に拾ってもらって期限付講師として働きました。その時、いつ見てもコーヒーを飲んでいるか、新聞を読んでいるか、空きコートで同僚と(当時もうすでに珍しかった)ウッドのラケットでテニスしているか、しか見たことがないボサボサ白髪の男性の先生がいました。
 定年になるまでは、いつも飲みに連れて行って下さる先生方の中の一人で、メンバーの中でもほとんど喋らない方だったので、丁々発止で討論する先生方の中では地味で、正直大したことがないのかな?と思っていました。
 それがある日、職員室にいると、生徒が質問しに来ました。英語です。その先生は、生徒の持ってきたプリントをちょっと見て、「あぁ、これはね……」と立ちどころに英語を交えて説明し始めました。
 こちらは大学院を出てすぐの時期でしたから、それなりに英語は分かりましたが、この時は聴いていても、ちんぷんかんぷん。そりゃそうです。その頃は通信教育しかしていなかったZ会の問題です。私はZ会の質問が来たら、アホだしトロいので「読むのに時間がかかるから、預かって放課後でいいかしら?」と言っていました。しかし、御大は、その場で即答されていました。
 そう言えば、時々質問に来る生徒たちは、尊敬のまなこで、恭しく質問に来ていました。大概、即答でした。
 後で聞いた話では御大は京大卒だとか。そのことを教えてくれたのは飲みに連れて行って下さっていたリーダー格の先生でしたが、さらに私に言いました。「あんたはどう思っているか知らんが、ここにいる教員は、校長や教頭になるのを断ってここに来た、大物ばっかりやねんで」……返す言葉もございません。そう言えば、よく見るとたまに御大が読んでいる辞書はウェブスターではなかったか、と思うのでありました。

【できる学年主任】
 阿倍野で病気の私がやむなく最後に担任をした時、副担任について下さった学年主任は、白髪混じりでいつもイヤリングをしているちょっと不思議な雰囲気(ラピュタに出てくる海賊のママを細くしてもう少し上品にした感じ)で、討論などでも左右(右翼も左翼もいたのです)取りまとめて、10クラス(この時はひとクラス40人)の学年を率いておられました。
 大職員室が南向きで温かくて、冬場はよく学年机で一緒にいたのですが、ある時、学年主任はふと雑草を取り出して、私に渡して、「これ、何だと思う?」と聞きました。
 「……メヒ…シバ。メヒシバです!」何や知っとったんか〜、というような反応だったので、「昔、これで、草相撲しました」というと、何か意外そうでした。
 学年主任は四国は愛媛のご出身、私が阿倍野と同じ学区の高校だったのをご存じなので、そうやって私で試して、同じ地域に住む生徒の反応を予測されていました。
 他にも普通の世間話のように、化学や生物をいろいろ聞かれました。もう忘れましたけれど。
 後に大学で模擬授業の仕方を教える時、「発問は、身近な人に質問してみて、反応を確かめるといいよ」と教えた時に、あぁこれを学年主任はやっていたのか、と思いました。メヒシバで。

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